「ステージパパ、レオポルトの本音」 束の間の故郷での休息(14)
――ザルツブルクにはいつ到着されたんですか。
レオポルト 1766年の11月の末です。最後の大都市ミュンヘンでヴォルフガングが急性のリューマチ性関節炎に苦しんだ以外は、大きなトラブルなく、帰還できました。とにかく、長い旅でしたから、これからザルツブルクでどういう生活をすればいいのか、帰途はそればかり考えていました。息子や娘の教育もそうだし、大きくなっていく子供たちには手狭な住居をどうすればいいのかという差し迫った問題もありました。
――翌年9月には、ウィーンに行かれてますが、次の旅行に向けた計画などは、すでに立てられていたのですか。
レオポルト いや、正直なところ、さすがに、「当面旅はいいかな」という気持ちではいました。ただ、ザルツブルクに帰ると、ヴォルフガングには意外と慌ただしい日々が待っていたのです。大司教の功績を祝う記念行事に関わっての作曲を依頼されたり、思いのほか、劇音楽に携わる機会が多く与えられ、息子はしばらくすると、11歳の誕生日を迎えたのですが、もう一人前の楽長気分で、作曲の筆を取っておりました。ただ、まだまだ勉強しなければならない分野がたくさんあり、例えば、ピアノ協奏曲などは、人の作品をそのまま写させたり、元の曲を編曲させたりして、曲の書き方を習わせました。大事なのは、常に勉強し、研鑽すること。私は、習慣は、「鉄の肌着」だと思っているのです。いい意味でも悪い意味でも、ひとたび身に着くと、脱ぎ去ることはできません。怠ける気持ちが勝つと、築き上げてきた世界が一挙に崩れてしまいます。それでも、身に着けた技術だけでは、世の中を渡っていけません。大きなチャンスを獲得するには、旅を通して、ともかくも名声を広めるしかないのです。
――それで、次のウィーン旅行を決意されたわけですね。
レオポルト 幼い者にとって、時がいかに大事か、身に染みて分かっているつもりです。また私が瞬間、瞬間に失って行く、この時間は、永遠に戻らないのです。そう思うと、まるで急き立てられるような気持ちになり、大司教に、旅の許可を申請しました。実は、ウィーンでは、秋にマリア・テレージアさまの皇女さまが、ご結婚されるという情報がすでに耳に入っていました。息子の成長をウィーンの貴顕の方々にご披露する絶好のチャンスが「また巡ってきたぞ」とほくそ笑んだのです。当然、成功は間違いないと確信していました。9月の出発を考えていましたから、数か月前から、いろんな情報を集め、旅の支度にかかりました。今回も、一家全員と従僕を連れての旅にしようと考え、妻にもそのことを伝えました。ともかく、準備が大事。ヴォルフガングにも、何度そのことを伝えたことか!熟慮した計画と慎重な行動、それが成功を生むのです。
――なるほど。では次回は、二度目のウィーン旅行のお話、楽しみにしています。
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






