投稿「忘れられぬ真っ赤な夜空」

■平成30年8月14日(火) 第18193号

=池本由紀子(89)東近江市聖徳町=

 真珠湾攻撃の勃発は、私が6年生の時です。当時、そんな大戦争になるとは思っていなかったのですが、戦争は長引き、大阪府内在住だった私は、女学校3年生から府南部の軍需工場へ動員されました。
 工場では一生懸命仕事をしました。楽しみは、駅から工場への道すがら、皆で唄う「花もツボミの若桜」で始まる学徒動員の歌。
 夕方帰宅して「今日は珍しく白いご飯かな」と思い、よく見ると、大根を細かく刻んだ「大根飯」、赤飯に見える「コウリャン飯」だったことも。それでも家族で「おいしい、おいしい」と食べたものでしたが、おかわりはなく、食べ盛りの私たちはいつも空腹でした。
 夕食中に空襲を知らせるサイレンが鳴ったことがありました。防空壕から真っ暗な空を見上げると、「ピカッ」と光るB29の編隊。「わぁ、きれい」と思った瞬間、大きな、大きな音がして爆弾と焼夷弾が落下してくるのを目の当たりにし、空一面が真っ赤に染まり、足の震えが止まりませんでした。
 私の家も、近所の家も焼かれ、泣きながら途方に暮れる人たちを多く見ました。終戦後、難波や梅田へ行くと、百貨店、劇場はがれきに化していました。私はそれらを見た時、「戦争ほど恐ろしく惨めなものはない」と思いました。
 開戦から終戦までを知る世代として、戦争の悲劇を再びくり返してはいけないと思い筆を執りました。1人でも多くの人に読んで頂き、平和の尊さに思いを巡らせてもらえれば幸いです。


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