中央政界特報

■平成30年9月6日(木) 第5375号

「政治特報」

 真正面からのガチンコ勝負の安倍晋三首相と石破茂元幹事長。互いに一歩も譲っていない。その素顔の一端は。

 安倍首相は1954年9月21日生まれ。
 石破氏は57年2月4日生まれ。
 ともに世襲議員だ。
 安倍首相の父・晋太郎氏は元外相。祖父の寛氏は元衆院議長。母方の祖父は岸信介元首相、大叔父が佐藤栄作元首相。
 さらに遠縁には松岡洋右元外相、吉田茂元首相がいる。
 5歳のとき、日米安保条約改定反対のデモ隊のシュプレヒコールを岸元首相のひざの上で聞いている。
 小学校から大学まで成蹊学園で成蹊大学法学部政治学科卒業。カリフォルニア州立大と南カリフォルニア大大学院にそれぞれ留学している。
 トランプ米大統領との会話にも全く不自由していないのもこの留学によるもの。
 加えて54年から57年まで神戸製鋼でサラリーマン生活を。このときの勤務地はニューヨーク支社。
 その後、父晋太郎氏の秘書に。
 国会議員になったのは93年の衆院選挙。山口4区から出馬して初当選。
 議員になってからはトントン拍子でスピード出世している。
 第2次森内閣、小泉改造内閣で官房副長官、そのあと自民党幹事長、官房長官などを歴任。06年に自民党総裁となり総理大臣に就任。
 だが、大きな挫折に見舞われた。
 潰瘍性大腸炎の持病から、366日で退陣している。
 このときの心境を、今年の夏、地元山口の晋太郎氏の墓参りをしたときに漏らしている。
 「自信も誇りも打ちくだかれてしまった」
 石破氏も安倍首相と同じくサラリーマンを経験している。
 慶応大学法学部を卒業した後、三井銀行に就職。
 24歳のとき、参院議員だった父・二朗氏が他界。
 二朗氏と親しかった田中角栄氏に誘われ、田中氏の下で政治家修行を。
 国会議員になったのは1986年の衆院選。最下位当選だった。
 「地方の石破」と言われているように地方に強いのは、田中元首相の教えを守り、ひたすら足をつかっていることにある。
 27年9月28日に派閥「水月会」を旗揚げ。
 その勢力は石破氏を含めて20人。

「饅頭発売となるか」

 「まんじゅうをつくられるようになって本物」
 永田町でいわれている比喩のひとつだ。
 総理大臣になると必ず名前をつけられた饅頭が国会、靖国神社などの売店で発売されている。
 「土産に」と求めていく人が多い。
 安倍晋三首相の饅頭は「晋ちゃん饅頭」。
 皮にきな粉を混ぜ、中身は黒ごまを使用したこしあん。
 歴代首相では、小泉純一郎元首相の「純ちゃん饅頭」が人気だった。
 就任したときの支持率の高さから飛ぶように売れた。
 麻生太郎氏が首相の椅子に坐ったときに発売されたのは「秘密の太郎ちゃんまんじゅう」。
 在任期間はわずか1年余と短命だったが、売れ行きは上々だった。
 福田康夫元首相も1年余と短命政権で発売された饅頭は「やっくんのビンボーくじで福がきた!」
 民主党政権では鳩山由紀夫元首相が「政権交代紅白まんじゅう」、菅直人元首相のは饅頭よりもせんべい「やめませんべい」が話題に。野田佳彦元首相も瓦せんべい「がんばるノダ」のほうが人気に。
 さて、9月20日投開票の自民党総裁選。
 勝つのは誰か。安倍首相が勝てば「晋ちゃんまんじゅう」が引き続き土産の中心に。
 石破氏が勝利となると「石破まんじゅう」が出まわることになる。
 石破氏の饅頭はかつて2度にわたって売り出されたことがある。
 1度目は08年12月に「希望戦士イシダム」のネーミングで。
 2度目は12年に「希望戦士イシダム」がリニューアルされて。
 果たして3度目の発売はあるか。

「金足農高バンザイ」

 安倍内閣NO2の要職で、内閣の家老の菅義偉官房長官から歓声が上がった。
 官房長官の権力は大きく、毎週火曜日に開かれる閣議の進行役を務める。
 菅官房長官の口から出た歓声は高校野球甲子園大会で準優勝に輝いた秋田県の金足農高の頑張りに対して。
 「すごく嬉しい」
 菅官房長官は秋田県出身。
 湯沢の米といちご農家の長男として。
 世襲の国会議員が多い中にあって、文字通りの叩き上げ。
 地盤も看板も金庫もない裸から、官房長官のポストまで登りつめている。
 1966年、地元の県立湯沢高校を卒業し、集団就職列車で上野駅に。
 就職先は東武東上線沿線の段ボール工場。
 ここから人の倍以上の努力が始まった。
 2年遅れで法政大に。大学に入ってからも築地市場での台車運びなどのアルバイトを。
 政治の世界にはいったのは「人のために尽くしたい」の思いから。まず最初に横浜市議に。
 2期務めた後、96年の衆院議員選で初当選。
 まさに「立志伝」そのもの。
 官房長官になってから母校の湯沢高校で講演したことがある。その時、後輩たちに説いたのは、
 「他人は助けてくれない。自分で決断すること」
 第2次安倍政権が発足した12年12月26日から、ずっと官房長官の椅子に坐っている。
 安倍首相が絶対的に頼りにしている片腕だ。
 9月20日の自民党総裁選。
 約70人いる無派閥議員の多くを束ねており、安倍3選を目指している。

「最長記録更新」

 国会議員のバッチは胸についていない。
 だが、自民党副総裁の椅子に坐っている高村正彦氏。
 それも半端な日数ではない。
 副総裁に就任したのは12年、安倍氏が石破茂氏を退け自民党総裁選に勝利したとき。
 昨年10月の衆院選に出馬せず議員を引退してからも、副総裁の肩書は変わらず。
 8月22日には歴代副総裁在任でトップだった大野伴睦氏の2142日に並び、あとは新記録を更新している。
 永田町の自民党本部。副総裁室での高村氏は靴を脱ぎ、草履にはきかえる。
 これが高村流。中央大学時代、少林寺拳法に没頭し、実力3段。監督まで務めたことがある。関東学生OB同友会をつくり、これと思ったことには一徹だ。
 一徹といえば、徹底して安倍晋三首相を支えている。
 安倍首相と同じ山口県の出身。「長州」で固く結ばれている。
 安倍氏が政権の座に復活した12年の自民党総裁選では、まっさきに派閥の領袖として支持を表明。
 「一度首相をやった人を負けさせるわけにはいかない」と走り回り、「安倍復活」の流れをつくっている。
 バッチをつけているとき、常に陽の当るポストにいた。経済企画庁長官、法相、防衛相、そして外相は2度務めている。
 自らの性格をこう言っている。
 「風呂は10分で十分」
 筋金入りの瞬間湯沸し器。
 安倍首相は憲法9条改正で、高村副総裁を頼りにしている。

「待ったなしの外交」

 世界は動いている。それも米国と中国が経済で正面からぶつかり合っているのをはじめ、緊迫の度合いを増している。
 世界の中での日本の立ち位置も微妙だ。
 9月、10月の首脳外交日程がその緊迫さを裏付けている。
 まず9月11日から13日までロシア極東のウラジオストックで開かれる「東方経済フォーラム」の国際会議。
 これにはロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、そして安倍晋三首相も出席。
 この「東方経済フォーラム」は2015年から毎年開かれているものだが、習主席が出席するのは今回が初めてということになる。
 9月には25日からニューヨークの国連本部で国連総会が。
 この国連総会にあわせ、トランプ米大統領と安倍首相による日米首脳会談が予定にあがっている。
 安倍首相は夏休み最後の22日、山梨県鳴沢村の別荘から帰京するや、その日にトランプ大統領と電話会談。
 それでもさらに顔を合わせての首脳会談を調整だ。
 10月には日中首脳会談が予定されている。
 日中平和友好条約の発効から今年は40年の節目の年。
 現在、日中両国で首脳会談の話が進められている。
 ここで問題となるのが9月20日投開票の自民党総裁選。
 ウラジオストックでの国際会議への出席、プーチン大統領との首脳会談に問題はないが、トランプ大統領、習国家主席との首脳会談は「総裁に再選されたら」の前提条件がある。さて、どうなるか。

「アスリート議員」

 スポーツ界に問題がつぎつぎと噴出している。
 女子レスリングのパワハラ問題、日大アメフト部のタックル問題、そして、バスケット選手の愚行問題などなど。
 つぎからつぎへとテレビのワイドショーをにぎわしている。これほどスポーツ界の不祥事が途切れることなく起こったのは過去にない。
 「スポーツの世界に政治が介入してはいけないが、これはなんとかしなくては」
 そう声を上げているのは馳浩衆院議員。
 馳氏はスポーツ界の出身、アスリートの一人だ。
 専修大学を卒業。ロサンゼルス五輪にグレコローマン90キロ級で出場。85年にプロレスラーに。IWGPタッグ王座などを獲得している。
 スポーツ界の不祥事にはどうすればいいか。
 「アスリートファーストで解決しなくては。そのためのシステムを作る必要がある」
 馳氏はそう言っている。
 スポーツ界出身者として、積極的に動くことも。
 アスリート出身の国会議員にはプロレスのアントニオ猪木氏、スケートの橋本聖子氏、ビーチバレーの朝日健太郎氏、野球の石井浩郎氏らがいる。
 麻生太郎副総理兼財務相もライフルの選手としてモントリオール五輪に出場した元アスリート。
 馳氏はいまも試合のマットに上がっている。
 8月21日には東京・後楽園での「プロレスリング・マスターズ大会」に参戦。平成維新軍と激闘。3カウントを奪って勝利している。
 昨年7月にもマットに上がっており「来年も」とまだまだプロレスラーとしてもやる気。体は鍛えられており、57歳とはとても思えない。

「20人の壁」

 自民党総裁選は安倍晋三首相と石破茂元幹事長のバトルに。
 野田聖子総務相の前に立ちはだかったのは20人の壁。
 総裁選に出馬するには、国会議員20人の推薦が必要。
 この壁を野田氏は「至難の業」と。
 前回、15年の総裁選のリベンジを目指したのだが。
 15年の総裁選、野田氏は「あと1人」だった。
 最後の最後、記者会見する寸前まで推薦してくれる議員確保に動いた。
 19人まで推薦人になってもらえたのに、あと1人が。
 最終的には電話を取ってくれる議員がいなくなった。
 このときの総裁選で野田氏擁立に動いたのは岸田派名誉会長の古賀誠元幹事長。
 だが、古賀氏の多数派工作も押し流されてしまっている。
 当時の自民党議員は402人。派閥勢力は細田派95人、額賀派53人、岸田派45人、麻生派36人、二階派34人、石原派14人、山東派10人、あとは無派閥。
 石破氏も安倍氏を支持して結局、無投票で安倍首相が再選をものにしている。
 その15年のときより、今回は20人の壁は高くなっていた。
 上智大学外国語学部を卒業し、帝国ホテルに就職。政治家になることは子どもの頃からの夢で、小学生の時の作文に「総理大臣になる」と書いている。
 93年の初当選いらい「自民党のマドンナ」と呼ばれ、トントン拍子の出世。閣僚、党役員の椅子に。
 だが、20人の壁は高い。