滋賀報知新聞(ニュース)平成12年2月24日()第12160号

春休みを利用して開く

少年少女スキーツアー

=参加者募集 志賀高原2泊3日=

(湖東・広域)
 新日本スポーツ連盟滋賀県連盟は、今年も春休みを利用して「少年少女春スキー」を志賀高原(長野県)の横手山で開く。

 日程は三月二十四日夜出発、同二十七日夜帰着の二泊三日。指導員によるクラス別スキー教室もあり、小学三年以上ならだれでもツアーに参加できる。日野町役場や滋賀交通八日市営業所、八幡サティ前、五個荘滋賀銀行前などから乗車可。

 希望者は、所定の申込用紙に必要事項を書き、来月一日までに〒529―1603日野町大窪六六九、歯黒清司さんへ送付する。と同時に参加費を郵便振替口座00910―4―67418、口座名「少年少女春スキー志賀会場」へ振り込む。予約金一万円でも可。

 問い合わせは田中美智子さん(TEL0748-22―4739)か小川忠喜さん(TEL0748-22―2359)へ。定員(八十人)で締め切る。


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愛知川町「市遺跡」発掘調査

権力者による開発の歴史

古墳〜鎌倉時代の川や集落跡
=26日に現地説明会=


検出された石を敷き詰めた道路(中央の白い部分)

(湖東・愛知川町)
 県教委文化材保護課はこのほど、愛知川町市の市遺跡で県文化財保護協会によって進められている発掘調査に関する今年度の調査の成果について、古墳時代(六世紀)から鎌倉時代(十三世紀)の集落跡が見つかったことを発表した。

 この地域で行われた豪族や寺院勢力など権力者による水田経営に伴う土地開発史が明らかになろうとしている。
 今回の調査では、南北方向に幅約十四メートルの旧河道を二条検出。古墳時代前期の土器、十二〜三世紀の建物跡が河道が完全に埋った上にあることから、二つの川とも六世紀から十三世紀ごろまで機能していたものとみられている。このほか掘立柱建物六棟、溝五本、井戸二基、道路一本が発見された。

 掘立柱建物は、六世紀以降にはこの地域を開墾して水田経営を行っていた依智秦(えちはた)氏がその勢力を誇っていた、土器(六世紀後半)が入った柱穴が見つかった、七世紀になると律令制の下で全国規模の水田経営が行われるようになったこと、一方、十二世紀になると寺社や貴族による荘園支配が広まり、この地域が奈良の元興寺の支配下にあったことが調査地に隣接する豊満神社の記録に記されていることなどから、七〜八世紀のもの三棟、十二〜三世紀のもの三棟に分類できる。

 また、水田に水を供給していたものと思われる溝も、二本の川をつなぐように掘られている二本(六〜八世紀)と、旧河道が埋りかけたころに川の上や川に並行して掘られた三本(十二〜三世紀)で時代が異なるものとみられる。
 井戸の一基は素掘で、もう一基は縦棧(たてさん)組の四角い井戸枠があり、井戸の底に水を溜めるための曲げ物も据えられており、いずれも十二世紀以降のもののようだ。

 道路は東西方向に幅約三メートル、長さ約十六メートルで旧河道を横切るような形で検出。旧河道の一番浅い部分に直径一―三センチの小石を約三十センチの厚さに投げ込み、その上から直径約五―二十センチの丸みをおびた河原石が敷き詰められ、東側から西側に向けて緩やかに傾斜している。
 市遺跡の発掘調査は、県営かんがい排水事業の愛知川調整池工事に伴って昨年五月から平成十三年まで約三万平方メートルについて調査しているもので、今年度はそのうち一万平方メートルについて発掘した。

 また、昭和五十七年からこれまでの六回の発掘調査で、弥生土器から江戸時代末期の井戸まで各時代の遺物が多数発見されており、市遺跡は弥生時代には集落が成立し、江戸時代末ごろまで続く遺跡であることがわかっている。
 発掘現場では、二十六日午前十時半から現地説明会も開かれる。


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貴重な「織田信忠画像」入手

県立安土城考古博物館

「信長」と間違えられていた稀少画
=29日から 一般公開展示=


博物館が購入した「織田信忠画像」 

(湖東・安土町)
 県立安土城考古博物館はこのほど、館蔵資料として「織田信忠画像」、「織田信長朱印状」、「江源武鑑」(こうげんぶかん)の三点を新規に購入し、二十九日から四月二日まで同博物館で公開展示する。

 「織田信忠画像」は昨年七月、東京で開かれた入札会で落札した業者から購入したもので、入札会では「織田信長尊像画」として出品されたが、同博聞館では信長ではなく嫡男(ちゃくなん)=本妻から産まれた家を継ぐ男子=の信忠であると判断。残存数が少ない信忠画像の中でも新たな発見であると同時に最古の画像の一つであると考えられることから購入に踏み切った。

 信忠画像であると判断した理由について同博物館は「信長像と勘違いされていたのは、画像に添えられていた由来書に記述されていたためで、同書には信忠の菩提寺であった妙心寺大雲院(京都)に所蔵されていたが 、大雲院が廃絶し隣接の長興院に移されたのち、信長の末裔(まつえい)にあたる津田家に移った経過が記されていることや図様が愛知県の總見寺に伝わる織田信忠像と酷似している、また、その画像の箱書によるとこの画像は、京都妙心寺長興院の信忠像を模写したことになっていることから、江戸時代初期に描かれた信忠画像であることは間違いない」と説明している。

 現在のところ、信忠の画像は安土山の總見寺、京都の大雲院、愛知県の總見寺三点しか確認されておらず、購入した画像は数少ない新発見の逸品だった。他の三点と比べて非常に古い時期のもので丁寧な描き方で保存性もよく、伝来が明らかな稀少品で価値が高いという。

 「織田信長朱印状」は、現在の愛知県津島市にある津島神社の神官を務めていた真野善二郎という人物に宛てた手紙で、信長と深い関係にあった同神社の領地の継承を同人物に認める内容が書かれている。「天下布武」の朱印が捺された数少ない信長発給文書の一つといえる。同館では朱印状の購入は初。

 「江源武鑑」は、佐々木六角の事績を綴った二十冊揃いの歴史書。偽書として知られている江戸時代の古籍だが、残存資料の少ない六角氏を研究する上での史料として購入した。


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武村潰しで高度な策略

自民党県連 参院補選で会長らに候補一任
下馬評の県議らトーンダウン

=平和堂の夏原社長らにも接近か=

(全 県)
 自民党県連はこのほど、大津市内で総務会と選対委員会を開き、さきがけ幹事長の奥村展三参院議員が衆院三区へくら替え立候補を表明したのに伴う参院補選の候補者選びについて、河本英典会長と松井俊治幹事長に一任することを決定した。そこで、異例とも言える今回の一任劇の舞台裏に迫ってみた。(石川政実記者)

 県庁の地方新聞記者クラブで記者会見した河本会長は「タレントは大嫌いで論外だが、それ以外なら例えば県会議員、官僚、経済人、文化人などといった幅広い中から人選をしていきたい。公募制も考えられるが、時間的な制約からむずかしいかもしれない。補選と来年夏に任期期満了に伴う本選挙の二回、参院選を戦える候補者が絶対条件。このため従来なら、すぐに金のある候補者うんぬんの話になるが、候補者を幅広く選ぶ以上は金のかからない選挙を目指している。現在のところ、私に意中の人があるわけではない。これから人選していく」と含みのある発言を行っている。

 自民党県連ではこれまで、辻村克県議、宇野治県議、芥川正次県議、さらには党籍停止処分を受けている石田幸雄県議らの名前が上がっていた。
 しかし河本会長の「新時代の滋賀県のリーダーになれる人を有権者に提示したい」とする発言からも、県会議員でない選択肢を模索しているように見受けられる。

 そうなると党本部の意向や河本氏の東京都内での幅広い人脈を生かした意外性のあるパラシュート候補(県出身者)、あるいは県内では、擁立を画策したと見られる平和堂の夏原平和社長を始めオプテックスの小林徹社長ら経済人や元通産省課長で評論家の八幡和郎氏、元労働省事務次官の清水伝雄氏、二年前の参院選比例区で出馬した石田潔氏(西浅井町出身)らの再評価が進むだろう。さらには野中広務自民党幹事長代理への恩義もあって、前回の衆院選で滋賀三区から自民公認で出馬し落選した栢木寛照氏擁立の可能性も見逃せない。栢木氏を担ぎ出せば、旧宇野(元総理)派が奥村展三氏へなだれ込むのを防げるメリットもある。

 政界筋では「今回の会長、幹事長一任という決定は、いかにも唐突で、あたかも河本会長に意中の人があるかのような印象を与えたが、実際は二度の選挙が必要ということが重荷になって候補者に名乗りを上げる人物がなく、窮余の策だったのでは。また民主党の候補者が決まってからでも、臨機応変に対抗馬のカードを切れる態勢づくりをねらったのだろう。同党県連にとっては、今回の参院補欠選挙で仮に破れてもそうダメージにはならない。むしろ照準は二区の武村正義衆院議員に当てている」と受け止めている。ともあれ、ここ当分は、党本部と河本氏の動向から目を離せないところだ。


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春挙の別荘・葺替完了

廬花浅水荘持仏堂

=湖岸に佇む数寄屋造=

重要文化財廬花浅水荘持仏堂

(湖西・大津市)
 県教委文化財保護課はこのほど、膳所出身の日本画家・山元春挙によって建設された別荘「廬花浅水荘(ろかせんすいそう)持仏堂」の屋根葺替工事と、ほか四棟の保存修理を完了したと発表した。

 琵琶湖岸に佇む廬花浅水荘持仏堂は、大正時代の別荘建築としてその形態と庭園を保存する建物で、大正三年(一九一四年)に山元氏が屋敷地を購入。同四年に離れを建築した後、八年から土蔵、持仏堂、本屋を増築したとされている。
重要文化財廬花浅水荘表門

 茶室建築の手法を採り入れた数寄屋造が特徴で、各所に茶室を設けるなど山元氏の心配りと遊び心が盛り込まれている。全体の構成は、桟瓦葺の複雑な屋根に銅板葺の軒を廻した軽快な造りとなっており、材料技法ともに優れているとして平成六年十二月に重要文化財に指定された。

 屋根葺替工事は、所有者の山元寛昭氏(宗教法人記恩寺代表役員)から県が受託し、平成十年七月から今年一月までの十四カ月間にわたって、持仏堂と表門を全面葺替え。また、渡り廊下・本屋・離れの一部葺替と防腐防虫処理等を行った。総事業費は約三千万円(国、県および大津市から補助)。


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