滋賀報知新聞(ニュース)平成13年1月4日(木)12517号

目に見えるボランティア

地域から世界へ

=タイ・ラオスの子供を支援=

(湖南・中主町)


 「タイやラオスの小学生を卒業にまで導くのが私の道楽」と、野洲郡中主町1210-2の丸山敏子さん(61)は話す。六年前にタイの子供一人を支援し、奨学金授与式に訪れた現地の様子は、戦後貧しかった私の子供のころを思い出させたと振り返る。

村の子供たちに囲まれ若さを取り戻す敏子さん

 屋根と柱だけの学校にびっくりもしたが、そこで学ぶ子供たちは明るく元気で、とりわけ目の輝きの素晴しさに感動を覚えたという。その時の感動が忘れられず「はまってしまった。今では仕事や心の支えとなり、止められない」と、支援への喜びを隠し切れない。

 夫の忠次さん(63)も、楽しそうに取り組む妻の姿を見て、ラオス支援に加わった。子供の成長とともに二人暮らしの家庭に共通の話題が生まれた。「夫婦の間に明るさを取り戻してくれたのは、タイやラオスの子供たちのおかげ」と謙そんする。

 敏子さんは十二年前、横浜在住のころ友人に誘われNGO(国際協力市民団体)が行う国際教育里親援助「ダルニー奨学金」(一人一万円)制度を知った。タイの子供一人の里親になり、奨学金を手渡す交流ツアーにも参加した。

 かやぶきのような屋根と柱だけの学校を初めて見た時、日本では考えられず「日本の子供は恵まれている」と、何気なく取り組んだ里親制度だが、支援した子供のあどけなさとつぶらなひとみにはまり込んだ。

 タイ東北部のコーンケーン県にある村を訪れたのは一九九四年十一月。村中挙げての歓迎ぶりに驚き、中でも友情のあかしに執り行うバーイシー(幸福や安全を祈り、たこ糸を手首に結ぶ伝統的な儀式)に不思議な感動を覚えたという。

奨学金を手渡す敏子さん

 その後も毎年、里子のいるマハーサーラカム県の村を訪れ、四回目となる九八年五月の奨学金授与式で初めて私の子に直接、奨学金を手渡した感激を振り返る。とてもチャーミングな女の子で、ちょっとはにかみながら受け取り、にっこりほほ笑んだ顔が今でもまぶたに焼き付く…。

 昼は記念植樹やバレーボールなどを楽しみ、夜の歓迎会では奇麗に着飾った子供の素晴しい踊りは印象的だった、と年齢を忘れた自分に不思議な力さえ感じたという。

 敏子さんは現在、しみんふくし滋賀の所属ホームヘルパーとして活躍している。すべてタイやラオスの子供支援と私の夢を買う資金だ。現地を訪れる日が近づくと、日々の苦労など吹っ飛んでしまう。働いたお金を自由に使う―これが「道楽」というゆえんだ。

 今では、タイ十二人とラオス三人の子供を支援するまでになり、毎年二人が中学校に進学している。現地へも七回(タイ六回、ラオス一回)訪問している。今後は「年に二回は訪れることになるだろう」と目標を定め、そのために「頑張って働く」と、支援を仕事と心の糧(かて)にしている。

 この様子を横目で見ていた夫の忠次さんにしっと心が芽生えてきた。電気設計技師として東南アジアなどの現場を駆け巡り、二年前に定年退職した。建設現場で年端もいかない日雇い少年の姿に、教育の必要性を常に感じていたという。

 「アジア発展は教育しかない」と、忠次さんもラオスの子供一人の支援を始めた。もちろん、妻敏子さんとの共通の話題を求めてのことだろうが、現地(インド・パキスタン・バングラディッシュ・ロシアなど)を知る忠次さんには強味がある。

 経験を買われて現在も働いているが、妻に連れられ「ラオスの交流ツアー(研修旅行)に参加したい」と胸の内を明かす。社交家の敏子さんと違って、言葉少ない温厚な忠次さんに「恥ずかしいから一緒に行かない」と、難民救済に取り組む家庭に、円満と明るさが漂う。

 現在、滋賀県では三十三人がタイの小学生百十八人と、二人がラオスの子供四人を卒業まで支援している。恵まれた生活環境の中で、遠くて近い東南アジアへの支援は、実感できる、顔の見える、地域で取り組む身近な国際協力ではないだろうか・・。

 書き損じハガキなどで知られる日本民際交流センターは、タイ東北部の子供の中学進学(年間延べ一万五千人)を支援している。三年前からメコン河対岸のラオスへも支援の輪を広げた。

 世界で最も貧しい国の一つに数えられるラオスは、人口(約五百万人)の半数以上が貧困レベル以下の生活を強いられ、小学校(1―5年)の就学率も平均七○%と低く、卒業に至っては四○%に落ち込み、同センターが手を差し延べる南部の農村部では二○%にも満たない。退学理由は家庭の世話、労働の担い手が主な原因だ。

 子供たちは、将来「先生や警察官になりたい」と話す。しかし小学二、三年で多くがあきらめるという。親も教育費が続かず、弟妹の世話や農業の手伝いを望むからだ。このような教育環境にあえぐタイやラオスの小学生支援に関心を寄せる人には、東京・新宿の日本民際交流センター(TEL03―5292―3260)が懸け橋になってくれる。


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西太平洋地域「ポリオ根絶」京都会議

ボランティアの真髄を垣間見る

舞台裏を差さえた井田亮・歯科医師
WHOとロータリークラブ

官民一体の活動が実を結ぶ

国際ロータリー2650地区世界社会奉仕委員長、井田亮先生(歯学博士)

(湖東・八日市市)


 世界保健機関(WHO)が昨年秋に京都で開催した国際会議で、西太平洋地域(日本・中国・オーストラリア・ベトナムなど三十六の国と地域)での「ポリオ(小児マヒ)根絶宣言」を行った。

 一九八八年にWHOが地球上のポリオ根絶を計画して以来、アメリカ地域に次ぐ二番目の宣言である。この中心的な役割を果たした尾見茂・WHO西太平洋地域事務局長は「官」の代表だが、この舞台裏を支えた「民」の代表が八日市市にいる。

 国際ロータリー二六五○地区(京都・奈良・福井・滋賀)の世界社会奉仕委員長で、同市東本町に井田歯科東診療所を開業する井田亮先生(歯学博士)だ。

 井田さん(八日市ロータリークラブ会員、五十四歳)は九四年十一月、第一回ポリオワクチン投与の対象地となったカンボジアに、事前調査団の中心メンバーとして加わった。翌年二月のカンボジアを皮切りに、モンゴル(九六年五月)、ネパール(九七年一月)、ラオス(九八年二月)、ベトナム(九九年一月)、そして昨年一月は中国とミャンマー国境でポリオワクチンの投与を行ってきた。

 二六五○地区は、九五年から五年間で約一億五千万円をワクチン投与の運営費として寄付している。使い道がはっきりしない「目に見えない活動
ベトナム・アンザン省(投与)

」に、世界的ポリオ撲滅のコンセプトをロータリー例会で説明し、粘り強い努力の結果、ラオスへ五十人、ベトナム四十人、そして中国へは九十人の申し込みの中から七十八人が、ワクチン投与や受け損ねた子供を探す事後調査にボランティア(自費)として参加した。

 ポリオワクチンは経口投与のため、特に医師の資格がなくても簡単にでき、ロータリーメンバーの協力が得やすかったことが、活動を成功に結び付けた大きな要因となった。ボランティアには同地区のメンバー延べ二百二十人が参加している。

 中国での予防接種活動はミャンマー国境地帯で行われ、子供すべてがワクチン投与を受けたか再度調査した結果、現地の人々は自由に国境を出入りすることから、ポリオウイルスの危険にさらされていることが分かった。根絶とされた地域でも「簡単に他の地域からウイルスは持ち込まれる」と、四歳以下の子供二百三人を調べた井田さんは指摘する。

 欧州地域は今年にも根絶宣言される見込みだが、残るアフリカ、東南アジア、東地中海の各地域では発生が続いている。患者発生地域からのウイルス流入や、生ワクチンをを投与した子供の便を通した感染の恐れもあり、調査や予防接種への活動に終りはない。

さらに頭痛の種が・・・

 二六五○地区の功績を認めたWHO西太平洋地域の尾身事務局長から井田さんに「京都会議を援助してほしい」との依頼が寄せられ、尾身事務局長と親交のある井田さんにとって「うれしい頭痛の種」が舞い込んだ。会議設営の資金調達の苦労が目に見えていたにもかかわらず、頼みを断わることができなかった。

 四府県九十一クラブ(六千二百人)が加盟する同地区(本部・彦根、山崎時雄ガバナー)に呼びかけ、さらに二千万円の寄付を集めた。根絶宣言の原稿づくりや会場設営を一手に引き受け、京都会議(十月二十九日)当日までの一週間は京都に泊り込み、八日市まで診療に通う日々が続いたという熱の入れようだ。

 なぜ、そこまで彼に勇気を与えたのか。ポリオ投与の対象地は、どこも衛生状態など最悪で、現地にたどり着くにも交通が不便な所ばかり。「足が棒になりましたが、子供の顔がまぶしくて、これでポリオにかからなくても済むと思えば、どんな苦労も乗り越えられます」と話す。

活動は止むことなく・・・

 西太平洋地域のポリオ根絶はできたが、井田さんとロータリークラブの奉仕活動は、これで幕を下ろすわけではない。注射器などの医療機具の処理に困っている同地域では、これまで土の中に埋めていた。サイクロン(台風)が来ると汚染した医療機具が表面に現われ、感染問題を引き起こしている。

 井田さんは昨年十一月の半月間、医療用焼却炉の設置に向けた活動のためヴァヌアツ(人口十九万三千人)を訪れた。WHOと協力し合って焼却炉の経済的な援助と、技術的なアドバイスについて事前打ち合わせのためだ。日本政府は「焼却炉本体の代金は出すが、設置費用などはロータリー二六五○地区で負担してほしい」と、要請したという。

 今年四月には焼却炉を扱うミッションがヴァヌアツで行われる予定だが、井田さんは「またまた(資金面で)頭の痛い話を背負い込んだ」と、うれしい悲鳴を上げる。保健・飢餓・人間尊重を活動方針に掲げるロータリーの奉仕精神に終りはなく、一層の活躍に期待がかかる。

 ロータリーメンバーの資金協力と彼の絶え間ない努力の両輪が備わってこそ、今回のような世界的な「真のボランティア活動は成功する」と、井田さんに教えられたインタビューだった。


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支援される側にもプライドがある

カンボジア支援の栗本さんは語る

寺子屋で勉強を教える栗本さん

(湖東・近江八幡市)


内戦の傷跡が残るカンボジアの農村部で、寺小屋や孤児院を建設する子供ための教育支援を続けている栗本英世さん(49)が、二年前から定期的に帰国するようになった。

 国内で栗本さんの活動を支援するNPO「カンボジアこどもの家」の仲間たちへの活動報告と日本の人々にカンボジアの実情とNGO活動の意義を伝えるためだ。

 帰国すると必ず、栗本さんは出身地の近江八幡市に立ち寄り、小、中学校での講演会に足を運ぶ。そこでは人と人の心のつながりの大切さを熱っぽく語る。
 なぜ、支援活動をたった一人から始めることになったのか、現地ではどんな活動をしているのか、聞いてみた。

 栗本さんが、発展途上国の支援活動を続けているのには理由がある。子供の頃、家庭が貧しかったことから高校進学を諦め上京。職に就いたが、勉学は諦めず、台湾に留学。その後、日本に戻らずに東南アジアの国々を巡り歩いた。

 タイで十年間教育支援を行ってきたが、その途中で義務教育制度が施行され、すべての子供が学校に行けるようになったのを機に活動を終え、ラオスのあと、カンボジアに入った。

 「カンボジアはNGO銀座と云われ、アンタックの時から一種のブームになっていました。都市部では、困っている人を探し出し、それを題材に支援金を集めて活動していくやり方でした。そのやり方では、利益を得ようとする人ばかりが群がり、弱者には支援の手が届かないことが普通でした。利権が絡んでしまうのです」。

 本当に困っている人に支援をしたい、との思いからバイクで全土を巡り、NGOが入っていない地方を訪ね、村人たちがどんな生活をしているのか見聞した。
 そこで見たものは、貧しさの余り売られていく子供、地雷で親を亡くした孤児、病気を防ぐ知識がないために死んでいく人々、読み書きが出来ないために騙されている人々の悲しい姿だった。

 こうした国の現状を少しでも良くしていくには、次の世代を担う今の子供たちと接して行かなくては何にも変わらない。家庭が貧しくて勉強を諦めていた自分と同じ姿の子供たちがそこにいた。まず、タイ国境に近い村ポイペットで寺小屋を建設した。

 九六年から支援活動を始め、現在ではポイペットのほかにクラッチェなど四か所に寺小屋と孤児院を開設。栗本さんを中心に三十人のスタッフが活動を支えている。
 「支援活動は、援助を行う側の都合で進めてはいけない。受ける側の立場を考えて取り組まなければ、本当の支援につながらない。相手を哀れむような視線で接してはいけない。村人にも立派なプライドがある」と栗本さんはいう。

 「お金や物品は必要だが、金や物は使えばなくなる。それだけの支援ばかり続くと村人たちは物もらいに陥ってしまう。そうではなく、村人との共同作業で出来あがったもの、そして、その土地に残っていくものが一番です。そしてきちんとした報酬がもらえる仕事として作り上げていくことが重要だ」と説く。

 例えば、マラリアを防ぐには、媒体の蚊を殺す殺虫剤でなく、蚊が発生しない衛生環境の浄化を伝え、傷口にアロエの葉汁を塗ることで汚い手のバイ菌感染を防ぐ工夫などを教えることも現地ではずいぶん役立つ生活支援だという。

 栗本さんは、通訳ガイド、翻訳、ドキュメンタリー番組のコーディネイトなどで収入を得、孤児院や寺小屋の建設につぎ込んでいる。
 日本からのボランティアを受け入れる宿泊施設も建てた。昨年、スタディーツアーでやってきた日本人の内、社会人二人と学生一人が現地に残り、栗本さんと支援活動の輪を広げている。


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聖地ブッダガヤに「感得」の宿

自己実現へ心の充電

カリーテンプル(仏心寺)完成

(湖東・八日市市)


村人や世界の人達と交流自分の生き方見つめる場

 釈迦が悟りを開いた地であることから「仏教の聖地」として知られるインド・ビハール州ブッダガヤ。ここに、現地の村人と日本人僧侶との交流がはぐくんだ宿坊付きのカリーテンプル「仏心寺」が昨年末に完成、旧暦の元旦(一月二十四日)から本格的に世界の人々に無料開放されることになった。

 八日市市蛇溝町にある福命寺の内田卓也住職(46)が昭和五十八年から三年間、ブッダガ

本尊が完成するまでの3年間、本堂に飾られる「釈迦三尊像萬陀羅図」(チベット仏師作)を前にカリーテンプルについて語る内田住職(福命寺で)

ヤの印度山日本寺に国際仏教交流協会の駐在僧として滞在を終え、帰国する際に、交流を通じて多くのことを学ばせてくれた村人への感謝の気持ちを込め、村人三百人を招待してカレーを振る舞った。

 十数年がたったある日、その時にカレーを食べた当時子どもだった村人から「土地を提供するから村人と日本人が交流できる寺を建ててほしい」という一本の電話が。

 内田住職は福井県、兵庫県の仲間の僧侶とともに「お釈迦様の聖地に宿坊を作る会」を結成し、カレーが縁の「カリーテンプル」を建設することに。支援者に一口一千円を募ったところ、延べ一千五百人あまりから支援金が寄せられ、建設が現地の人達の手で着々と進められた。

 驚くほどの建築技術と人海戦術でカリーテンプルは予定通り見事に完成。現地と日本の関係者、支援者ら約二千人で落慶式とカリーパーティーを昨年の大晦日(おおみそか)から今年元日にかけて開き、カリーテンプルの完成とともに新しい世紀の到来をいっしょに盛大に祝うことができた。

 「そこに何があるのか」。現代日本の便利な生活にどっぷりと浸かってしまっている私たちが忘れてしまっている「大切なもの」。人が自然や信仰と、すべての時点でかかわりながらの生活、混在一体となった社会でお互いを認め合いながらエネルギッシュにいきる人々、そこに秘められたパワー、「(共に)生きること」の原点。かつての日本にもあったはずのもの。

 今の自分をそこに解き放ち、もう一度自分自身を見つめ直す。旅の目的ややり方は人様々、本堂で祈りをささげ、村の人達や宿坊を利用する人達との交流から、自らを「感得」できるはず。そこにこそ、カリーテンプルを聖地ブッダガヤに建てた意味がある。

 不登校や様々な教育問題にも携わる内田住職は、「現代社会は“損か得か”で物事をはかるため様々な矛盾や事件が起きている。人を認めることの大切さや、心のものさしを“善か悪か”に戻すためにも、今こそ私たち自身の生き方を考え直さなければならないのではないか」と話す。

 施設の完成で活動は終わりではなく、これからがスタート。村の人達といっしょにさらに何ができるのか、さらに夢は続く。

 カリーテンプルは自炊宿泊のみ。四人部屋が七室用意され、滞在日数に制限はない。利用方法などについての問い合わせは、お釈迦様の聖地に宿坊を作る会事務局(TEL0748―24―3908、078―591―0039)まで。


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