滋賀報知新(ニュース)平成14年1月7日(月)第12932号

聖武帝の理想郷 史跡保存で後世へ

平城京に匹敵・本格的都

幻の紫香楽宮(信楽町)
=新宮神社遺跡は現地保存=

(湖南・信楽町)
 平成十二年十一月、普段静かな山あいの集落、信楽町宮町区は、世紀の大発見にわいた。十月に奈良時代の役人の施設跡が南約二キロの新宮神社遺跡から見つかったのに続き、同区の宮町遺跡から天皇が国家の重要な儀式を行なう朝堂院の一部とみられる大規模な掘っ立て柱建物跡が確認され、同時期に聖武天皇が造営した本格宮都・紫香楽宮(しがらきのみや)の位置が断定されたのだ。これを受け、同町教委と県教委は現在、発掘作業と並行しながら、奈良市の平城宮跡に並ぶ文化財として史跡指定、保存に向け、国と地元に働きかけている。造営から千百年余の時を超え、紫香楽宮をめぐるロマンに思いをはせてみた。


 ●壮大な宗教都市誕生
 「天下の富を有つ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり」。天平十五年(七四三年)十月、聖武天皇は有名な大仏造立の詔を発して、離宮・紫香楽宮の南側の大戸川東岸丘陵(同町黄瀬区)で甲賀寺建設に着手し、二年後の同十七年正月には「仏都」実現のため、建設中の恭仁京(京都府加茂町)から紫香楽宮へ首都移転すると宣言した。
 紫香楽宮の中枢、朝堂院は平城宮の宮殿ほぼ同規模で、これまでの発掘によると、中央北側に前殿(南北十二メートル、東西三十七メートル)、後殿(南北十二メートル、東西二十七メートル)を置き、東西にそれぞれ官人が詰める脇殿(南北約百メートル以上、東西約十二メートル)を構え、ちょうどコの字形になっている。
 同遺跡と南側三・八キロの甲賀寺のほぼ中間にある新宮神社遺跡では、役人の住居跡と思われる建物跡三棟と井戸のほか、当時の一般的な橋(幅約三メートル)よりはるかに大きい幅約八・五メートル、長さ約九・五メートルの掘っ立て柱式の橋脚跡が見つかり、その南側からは朱雀路(すざくじ)の側溝跡が検出されている。
 これらの調査結果を総合すると、四キロ四方のこじんまりとした小さな盆地の北側に天平文化の粋を凝らした極彩色の宮殿が建設され、メーンストリートの朱雀路が南北を貫き、大仏建設中の甲賀寺まで続いていたことが想像できる。
 ●半年で消えたT幻の都U
 本格的な「仏都」の寿命は短かかった。当時の政界は不安定で、藤原氏と皇族がすさまじい権力闘争を繰り広げていた。首都が紫香楽宮に定まった頃から、抵抗勢力の仕業と思われる不穏な放火が相次いで発生し、聖武天皇はついに新京建設をあきらめ、遷都から五カ月後の天平十七年五月、平城京へ帰り同地で東大寺という形で理想を具現化する。
 何がそこまで聖武天皇を大仏建立に駆り立てたのか。今となっては分からないが、一説では、反乱や天災が続いた当時、天皇はその根源を自らの不徳に求め、仏徳で補おうとしたとされる。
 また、同遺跡に長年携わる同町教委の鈴木良章さんは、個人の解釈と断わった上で「この頃、天皇は一人息子の安積親皇を亡くして神経衰弱しているところがあり、現代の親がするように仏にすがったという見方もできます」と、古代天皇の人間像に迫る。

 ●聖武天皇の夢のあと
 今後の保存について同町教委は、史跡推定地の地権者から同意を得て、国に対して史跡保存の指定を申請したいとしている。朝堂院跡が見つかった宮町遺跡は十八―二十ヘクタール、役人の住居跡と思われる新宮神社遺跡は三―四ヘクタールと推定され、延べ六十―八十人の地権者が見込まれる。
 宮との関連施設が見つかった新宮神社遺跡に関しては、第二名神高速道路のルート予定地と重なっていたが、県と町、日本道路公団関西支社の三者で、昨年十一月に橋脚設計の変更に合意し、現地保存することが決まった。具体的な方法はまだ煮詰まっていないが、建物を復元するか、広場だけのものにするかは地元の意見を取り入れながら検討する方向だ。
 


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未来の夢育む学び舎

甲西町の滋賀ラテン学園

=教育現場に不況の影=

教育免許を持ったスタッフが授業を担当(小学生の部)
(湖南・甲西町)
 出稼ぎのため来日する日系南米人が約一万人と近畿地方で最も多い滋賀県で、ブラジル人学校の開設が相次いでいる。甲西町でも昨年五月、子どもたちが帰国後の生活で母国語が必要なことから、滋賀ラテン学園(同町吉永)が開校した。これまで外国人を労働者として門戸を開きながらも、彼らを受け入れるための社会制度を整備してこなかった日本。長引く不況は、来日就労者の生活を直撃するだけでなく、教育現場にも影を落とす。


 ●負担重い授業料

 空店舗を改装した同学園には、三歳から中学生までの六十三人が通い、十一人のスタッフが授業、保育に当たる。将来的には敷地内のホテルを改装し、定員を三百人まで拡充したいとしている。
 「親は以前、仕事が忙しく子どもの教育に無関心だったが、今では不景気で残業がなく、学校教育に協力的」と、園長のアレシャンドレさん(26歳)は変化したブラジル人家庭について話す。ただ、ゆとりが増える一方、収入は減り、生活が苦しいと指摘する。
 ブラジル人就労者の滞在は、好景気だった頃は三、四年だったが、今では収入が減り、十―十五年を覚悟する人が多い。母国も未曾有の不景気。やはり日本で働き、ふるさとに残した家族に送金するしかない。
 そこでクローズアップされたのが教育問題。言葉が通じないため日本の公立学校になじめなず、不登校になる子どもたち。さらに滞在が長期化すれば、母国語を忘れて使えなくなり、帰国してもポルトガル語でコミュニケーションがとれなくなるという。
 そんな中、一人娘をもつアレシャンドレさんは、同じ悩みを持つ有志とブラジル人学校を設立。しかし、公立校に比べて高い授業料は、収入の半分を仕送りに充てる家計にとって重い負担だ。国から支援がないため授業料は月額三―四万円だが、それでも学園の経営環境は厳しく、赤字から抜け出すには二年かかる。

 ●日本社会になじめず
 コンピューター教室では、この四月に再来日した中学二年のフェルナンダ・オガタ・アボリョさん(13歳)が授業を受けていた。彼女は九歳の時、母親とともに日本に来たが、十歳で家庭の事情で帰国。当時は日本の公立学校に通ったが、いじめにあって溶けこめなかったという。
 将来の進学を尋ねると、「そこまでははっきり考えていない」と話し、それでも「授業では英語が一番楽しい。仲間がいるから学校に来ることが楽しい」と、居場所を見つけた喜びを語った。
 多くの日系人子弟は高校進学を希望するものの、言葉が通じないため断念し、卒業後は就職するしかない。同学園はこれらの悩みを解消しようと、現行のカリキュラムを修了すれば卒業資格が得られるよう、ブラジル政府に申請している。許可されれば、帰国後は正規の教育を受けたとみなされ、高校・大学への道が開ける。
 同町教育委員会によると、町内の公立小、中に通う日系人子弟は、平成十三年十二月現在で五十五人。少しでも勉強しやすい環境をつくろうと、県の補助を受けた日本語教室を各校で実施するほか、臨時職員とボランティアによる通訳を行なっている。
 しかし、日系南米人の就労は景気に左右されやすいことから、学校における子どもたちの転入学も流動的。需要が予想できないため予算拡大は難しく、現在の事業規模では不足ぎみだという。


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地域で支える青少年スポーツ

レスリングの日野クラブ

湖国から世界のトップへ
=少年期から強豪選手と練習=

有力選手も多く在籍。中央で黒Tシャツを着ているのはグレコローマン八十五キロ級の有力選手・中西宣文選手
(湖東・日野町)
 サッカーの草津東高、野球の近江高の活躍などで、昨年の高校スポーツ界は湖国旋風が巻き起こった。そんな高校スポーツ界にも、このところ、多様化する価値観で運動部の敬遠や、押し寄せる少子化の影響で、全国的に競技人口が減少しているという。そのような流れに歯止めをかける組織として、地域クラブが注目されている。湖国から世界のトップを目指す日野クラブ(レスリング)を訪問し、青少年スポーツの現状と今後の展望を探った。


 国のレスリング地域強化拠点、県立日野高校(日野町上野田)の格技場は、毎夕と毎週土・日、練習で熱気に包まれる。一般のクラブ員に混じって中高生が、汗を散らせ闘志をぶつける。隣の練習ゾーンでは、子どもらがガッツあふれるフォームで、タックル人形に向かい突進する。

 同クラブの加入者は、ちびっ子から大人までの七十四人。モスクワ五輪の幻の代表・南敏文監督が、大学を卒業してUターンする日野高レスリング部員のため練習場をつくろうと、同校を拠点に五年前に発足。ちびっ子も一般会員とともに練習に参加し、未来のオリンピック選手を夢見る。

 ここの魅力はなんといっても、南監督の指導力のほか、初心者の頃から世界のトップ選手とともに練習でき、成長したメンバーが指導者として定着する点。また、来年度からスタートする学校の完全週休二日制をにらみ、子どもの課外活動の充実も担う。

 また、国と県の支援で環境が整っていることから、卒業生をはじめ有望選手が続々加入。グレコローマン五十四キロ級の村田知也選手24(昨年の世界選手権9位)や、同八十五キロ級の中西宣文選手23(フランスアンディグレーヌ国際大会出場)ら、地域クラブでは珍しく、世界レベルの選手五人を擁し、実業団や警察に片寄る勢力図を塗り変えている。

 地域クラブをめぐる環境は、まだまだ課題は多い。地域クラブに加入する高校生の県大会出場については、高校運動部員でなくても学校に在籍していれば認められるが、全国大会になると各種競技連盟の規制があって出場できない。

 県教育委員会によると、県内の高校運動部の登録者数は少子化の影響もあって、平成三年度の二万五千人(生徒全体の四七・一%)から、十年後の十三年度は二万人(同四六・五%)と約五千人減少。価値観の多様化で激減する都市部に比べ、ほぼ横ばいの加入率を保っている。

 ただし、競技ごとの登録者数を比較すると、少子化に関わらず人気の高いサッカーに集中する一方、バレーボールやラグビーは激減。中にはチームが組めない運動部もあり、他校と合同で大会出場する学校もある。現場の教諭は「勉強との両立が難しい」「アルバイトや遊ぶことが多い」と嘆く。

 青少年スポーツのメリットとして、体力向上のほか、自主性・協調性・責任感・連帯感の育成が挙げられる。社会の変化とともに、新しいスポーツ参加の形を構築しなければ、そのメリットは薄れてしまう。 


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作文「こんな沖島になったらいいな」

全校児童9人の「夢と願い」

=島民約500人が暮らす沖島から=

島への思いを作文に綴った沖島小の全校児童9人
(湖東・近江八幡市)
 日本で唯一の湖に浮かぶ有人島「沖島」。現在、島民約500人、140世帯が主に漁業で暮らす。近年、若者の島離れが進み、市は過疎化対策として「沖島21世紀夢プラン」の策定に乗り出した。

 その策定作業には、島民をはじめとする民間人が大きく関わり、官民一体となった草案づくりが進められている。島民の心のよりどころとなっている市立沖島小学校の将来像も論議にのぼっている。

 自然豊かな湖の中で育つ全校指導9人が、島への夢や願いを綴った作文から島発展を祈る気持ちが溢れている。


 わたしは、おきしまがきれいなしまになってほしいです。みちをあるいているとよくあきカンやおやつのふくろなどがおちています。ごみは、すてないようにして、みんなでおきしまをきれいにしたいです。
     1年・久田 さやか

 ぼくは、おきしまがもっときれいになって、魚がたくさんとれるしまになるといいなとおもいます。ごみやあきカンやたばコのポイすてをしないようにしてきれいなおきしまやびわこになってほしいとおもいます。
  2年・小川じゅんぺい

 子どもたちがたくさんふえて、にぎやかになったらいいなあ。公園が広くなったら、子どもたちもたくさんあそべるし、あそぶどうぐがたくさんあったら、あそぶことがなくてもあそべる。
 それから、沖島が橋で八幡とつながって、かんこうきゃくがたくさんになるといいな。お年よりの人たちも、橋をわたって八幡に行けるようになる。
 沖島にびょういんができたら、お年よりやびょう気の人がすぐ行ける。
 びわ湖がきれいになって、今まですくなくなった魚もいっぱいふえてりょうしの船も増えるといいな。ぼくは、こんな沖島になってほしいなあと思った。
      3年・茶谷 知弥

 沖島に大きな公園があって、遊び道具がいっぱいあるといいな。道には、たくさんのお花があって、道だけでなく公園の中は大きなお花畑があって、春はチューリップ。夏はひまわり・朝顔・おしろい花。秋はきく。そして、冬は、まっ白な雪がふって大きな大きな雪だるまをつくってあそびます。
 公園のとなりには、好きな絵を書くこところがあります。そして公園のよこには、かわいいお店があります。公園の前には、おかしの店があるといいな。
 わたしは、子どもがいっぱいでにぎやかで、美しい沖島がいいなあと思います。
     4年・西居 洋越

 沖島の未来は琵琶湖のブラックバスがいなくなって、昔の琵琶湖になってほしいです。総合的な学習で琵琶湖(沖島)の漁業のことを調べています。苦労することは魚が少なくなってあまりとれなくなったことらしいので、僕は魚が多くなるといいなと思います。それに、琵琶湖がきれいになると、魚がどこにいるかわかっておもしろそうです。
 5年・西居 清仁

 私は沖島にもっとたくさんの店ができたらいいなと思います。案外安いスーパーとかができたらうれしいです。それに、手芸屋とかゲームセンターとか釣り具とかご飯食べるところとか、本屋とかの店があったらうれしいです。八幡の方に行かなくていいし、釣り人とか観光客とかで島が今よりも、にぎやかになりそうやし、だれかが沖島を気に入って住んでくれたらうれしいからです。
 もう一つは、キャンプ場とか遊び場が山にできてほしいです。ひまな時が多いので、遊びに行けるし、ガリバー村みたいないっぱいの遊び場ができたら、本当に便利だと思います。
 最後に、通船の回数を一時間に一回ぐらい動いてほしいです。学校から帰ってから、ほり切に釣りをしに行って、一時間で帰ってこられたら、私はうれしいからです。
6年・西居 佑梨

 ぼくは、沖島を一周できるような道ができたらいいなと思います。歩いて一周したことがないから、してみたいです。でも、道が広くなって車やバイクなどが走るようになっても困ります。沖島のおじいさんやおばあさんが安心して歩けないようになるかもしれないからです。
 ぼくは、沖島にもっといろいろな店や病院とかもできたらいいなと思います。おじいさんとかに、仕事ができるようなところがあったらいいなと思います。
 そして、自然はずうーっとこのままがいいです。そして、ぼくは釣りが好きなので、きれいな琵琶湖のままがいいなと思います。
                          6年・茶谷 裕介

 ぼくは、今のままの沖島がいいと思います。自然とかがいっぱいあるからです。港とか、グランドとか、山とか、琵琶湖とか、そういうところがぼくは好きです。でも、時々、沖島に来て釣りをして帰る人や、他の学校の人が、えさの箱や竹ざおの折れているのを捨てて帰るから、持って返るようにしてほしいです。ぼくも、ゴミとかをしないようにしなあかんけど、もっときれいな沖島や琵琶湖にしなあかんなと思います。
 それから、ぼくは、自転車で行けるところがもっとあったらいいなと思います。今、自転車で行けるところが少ないし、自転車でこいで遠くまで行ってみたいからです。
 6年・茶谷拓也

 私は、もっと遊ぶ所をふやしてほしいです。
 公園には、ブランコしかないので、シーソーとかもっといろいろふやしてほしいです。大きいすべり台とかが一番置いてほしいです。
 それとつり具とか、コンビニとかの店がほしいです。今の店は食べ物しか売っていないので、おもちゃとか、ルアーとか売っている店が、近くにあったらいいなぁーと思います。後は、自然や学校がこのままやったらいいなぁと思います。
 自然は、山、湖がきれいであってほしいです。最近山と湖に、ゴミを捨ててる人がいるので、ゴミを捨てないでほしいです。
 学校は、人数が少なくなってきているので、はい校とか、学校がなくなってほしくないと思います。
 湖の中にあるめずらしい学校なので、いつまでも残っていればいいなぁと思います。
6年・宮本 望帆


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