滋賀報知新(ニュース)平成14年8月14日(水)第13183号

戦跡巡拝慰霊の旅に思う。

=八日市市長 中 村 功 一=

遺族の呼びかけに思わず流れ落ちる痛恨の涙
(湖東・八日市市)
「夫や父、肉親の終焉の地を訪れて確かめたい。そしてその地で懇ろに慰霊をしたい」との思いは、戦没者遺族の切なる願いであり、戦後57年を経た今もその思いは強く変わることがないと、遺族の方々より常々お伺いをしていた。

 市内の遺族の方々は毎年、県遺族会の主催による戦跡巡拝に参加されているが、八日市市独自での慰霊巡拝は平成7年度のフィリピン訪問についで2度目である。
市議会の志井弘議長さんとともに23名の遺族関係者の皆さまに同行させていただき、さる7月20日から23日までの4日間にわたって、南太平洋のサイパン島とグァム島を巡拝し、戦争の悲惨さを強く胸に刻むと同時に、平和と豊かさを享受していることの喜びを感じつつ、思いつくままに筆を走らせた。

 7月20日早朝、7時10分からの結団及び出発式で、市議会議員や遺族等関係者の皆さんの激励を受けお見送りをいただく中、我々慰霊団一行27名は慰霊の旅に出発した。

 出国手続きを済ませ、名古屋空港を後にしたのは正午少し前、ジェット機は日本から遥か南へ約2400km離れたサイパン島を目指した。

 離陸間もなく眼下には太平洋の青い海が広がる。機内では、皆さんそれぞれに今はなき肉親に思いをはせ、今回の慰霊に参加できたことを本当に喜んでおられる様子だ。

 名古屋を発って3時間半いよいよサイパン到着だ。着陸直前窓から見るサイパン。まずは珊瑚礁によってエメラルドブルーとコバルトブルーに染め分けられる海の美しさに目を見張る。サイパン国際空港に降り立って一番に迎えてくれたのは、真っ赤な花をつけた大きな木。フレームツリーである。日本名は、日本兵が遠く祖国を偲び南洋桜と名付けたとガイドさんの説明があった。ひと時とも祖国や家族のことを忘れたくないという切ない人の心が伝わり、私の胸を熱くする。

 サイパンは、第二次世界大戦までは、日本の委託統治領であった。鉄道が走り旧市ガラパンだけでも3万人余の日本人が生活を送った島である。現在はアメリカの自治領で北マリアナ連邦に属している。伊豆大島の2倍ほどのこの島の魅力は、南国の素朴な風土にあるといわれる。この日は、サイパン国際空港からホテルに向かい明日からの巡拝慰霊に備えた。

 翌21日、いよいよ今日は巡拝慰霊の日だ。例によって私は朝が早い。ホテルの庭先に立つと、南太平洋の海が果てしなく広がる。やりきれない望郷の念にかられつつ、兵士たちは何を思い何を望みながらこの海を眺めたであろうか。今、私たちは平和を享受し気ままな快楽を求め過ぎているのではないか。先人たちの思いに込み上げるものを感じずにはいられなかった。    

 皆さん慰霊の服装を整えロビーに集まってこられる。さわやかな朝の挨拶が交わされた。いよいよ戦没された肉親に出会えるという満足感や期待感が漂ってくる。

 宿泊していたこの地は、かつて日本人の大きな町があったガラパンである。舗装された道を進むと、バスの窓からかつて砂糖王として島民から親しまれた松江春次のブロンズ像と、サトウキビを運ぶために使われた蒸気機関車が展示されているのが見えた。

 バスは、タガンタガンと呼ばれる木が群生するジャングルをさらに北に走る。
今は舗装された道路になっているが、往時はジャングルの中、道なき道を兵士たちが草木を掻き分け突き進んでおられたのだなと考えているうち、今日慰霊をするサイパン島の北部に差しかかった。そのジャングルの一角が拓かれ、小さな碑が建っているのが目に入った。スーサイドクリフ慰霊碑である。“自殺の崖”の名のとおり、旧日本軍サイパン攻防隊最後の攻撃後、追い詰められた日本兵が手榴弾で自決したり、民間人が崖から飛び降りたという悲劇の場所である。なぜ、民間人までもがということだが、兵士と共に行動すれば食糧はもらえ、敵から身を守ってもらえるとの考えからだったということだ。

 バスを降りた一行は、早速慰霊の準備に取り掛かった。遺族会の皆さんはなかなか手際がよい。素早く飾り付けられ、遺族の方の熱い思いが伺えた。

 導師(山内観良さん、鈴木悛亮さん)の焼香が終わると、遺族の方から戦没された夫や父、兄弟に対して呼びかけがされた。今回の巡拝慰霊団の中で一番ご高齢の方はとてもお元気だ。この方のお宅は家族を2人も戦争で亡くしておられる。涙ながらに近況を語り一心に呼びかけをされる姿に、私は、ここまでよく頑張ってこられたな、ご家族皆さんのご苦労たるやいかばかりであったかと目頭が熱くなるのを覚えた。

 読経が辺りに響き渡る中、散華された英霊に思いを馳せつつ冥福を念じ次々と香がたかれる。焼香が終わると「戦友」という軍歌を献じた。こうして一連の慰霊行事を終えると本当に来てよかったとの思いを強くした。

 次の慰霊地は、眼下に南太平洋が広がるバンザイ・クリフである。サイパン島の最北端にあり追い詰められた日本軍兵士が捕虜の汚名と屈辱を恐れて、バンザイと叫びながら90メートルの断崖から海へ身を投げ大量自決されたところだ。また、女性や老人たちもアメリカ兵の制止の声を背に、次々に身を投じたとも言われている。崖の上にある碑の中で一番古いと思われる小さな慰霊標が建っている。この碑は東京の方角に向かって建てられているとの説明があったので、私も思わずその方向に身を振り向けると、当時の兵士たちの望郷の想いに侘しさを感じてしまった。岸壁に向かって打ち砕ける波には自然の厳しさと表現できないまでの美しさがある。ここに立つと自然があまりにも美しいので、戦争の愚かさとむごたらしさが一層鮮明に映る。

 ここでも、遺族の方の呼びかけや「赤とんぼ」の献歌で慰霊を済ませると、次はバスで10分程のところにある日本政府が昭和49年に整備した中部太平洋戦没者の碑において、平和祈念式典及び中部太平洋方面戦没者合同慰霊法要が行われた。山田利治遺族会長が「今の繁栄と平和を享受していることに感謝し、二度と戦争という不幸な歴史を繰り返さないことを誓う」と平和宣言をされた後、私は戦場の華と散られた英霊に対し追悼のことばを述べさせていただいた。

 八日市市の遺族会では、毎年各地区で戦没者の慰霊祭を行われ、私もいつも追悼のことばを述べさせてもらっているが、かつての戦場の地で捧げる追悼のことばは、目の前に英霊がおられるという思いがことさら強く感じられ、緊張と当時の惨状が脳裏を掠め胸が熱くなり、ついつい言葉を詰まらせてしまった。

 ここでの平和式典と慰霊祭を済ませた我々は、サイパン最後の激戦地といわれるこの地を散策した。少し歩くとそそり立つ巨大な岩石の砦があらわれた。これが通称を“ラスト・コマンド・ポスト”というマッピ山の崖下にある日本軍最後の戦闘司令部跡だ。見学できるように作られた石の階段をあがって驚いた。洞窟状のくぼみをコンクリートで固め作られたトーチカは、側面を直撃弾による2メートル程の大きな穴があけられ、戦闘の激しさを物語っていた。

 巡拝慰霊を終えたこの辺りは、第二次世界大戦の旧日本軍による悲劇や傷跡を多く残こしながらも、一方でバード・アイランドやタポチョ山など溢れんばかりの美しい自然がそれらをやさしく包んでいた。

 戦争で命を落としたのは、軍人だけではなくサトウキビ産業の発展に貢献した多くの沖縄県民もおられ、琉球政府によってラスト・コマンド・ポストの南側に「おきなわの塔」が立てられ、その隣には韓国人慰霊平和塔も建てられているとの案内があった。

 この日は、3箇所での慰霊を終え、早速次の慰霊地であるグァムへ向かった。サイパンからグァムへはジェット機で50分。途中テニアンの上空を飛んだ。ここからB29が原子爆弾を積んで広島へ向かったことは有名であるが、あいにくの天気で島を見ることはできなかった。

目前の英霊に感謝の念を抱き恒久平和を誓う
 グァムもサイパン同様この時期は雨期にあたり、1日に2〜3回はスコールに見舞われると聞いていたが、その夜の雨足は激しかった。

 グァムは、日本から南へ約2500km、飛行機で3時間半である。ここも日本軍玉砕の島で、島のあちこちに戦跡が残っている淡路島ほどのリゾートアイランド、28年間ジャングルに潜んでいた元日本兵横井庄一さんゆかりの地でもある。案内では一時期は日本の占領地にもなったが、現在はアメリカの自治属領としての顔を持つ一方で、先住民であるチャモロ人の文化やスペインの文化が融合した独特の雰囲気を持つとのことだ。

 「澄みわたる青空と心地よい潮風。白い砂浜に打ち寄せる透明な波。ドラマチックなまでに美しく、一日の終わりに空を染めるサンセット、夜には澄んだ空で輝く幾万の星々が貴方を魅了するでしょう」こんな旅行ガイドブックを読んできたが、グァムの2日間はあいにくの天候だった。グァム島での案内をしてくれたガイドさんによると、1週間ほど前に大きな台風が直撃し甚大な被害をもたらしたとのこと。風速100メートルだったとの説明には耳を疑ったが、随所で民家の屋根が飛び、ヤシの木が折れたり根っこから倒れていた。さらには竹までが折れていたので成る程と思った。

 22日、巡拝慰霊地に向かうバスの窓からみるグァムは、サイパンと比べると随分開発が進んでいるようだ。高いビルも多いし立派な建物も数多い。その分往時を偲ぶ箇所は少なくなっているのだろう。昨年のニューヨークでの同時多発テロ事件以降、兵士たちが潜んでいたといわれる洞窟等は見学ができないとのことだったので、余計にこんなことを感じたのかもしれない。

 グァムでの最初の慰霊地は、ジーゴというところにある南太平洋戦没者慰霊公苑だ。この辺りは元々はジャングルだったように思えたが、バスが着いた公苑の入り口は閉ざされ「当分の間立ち入り禁止」との表示がしてあった。入って聞いてみると2回も通過した台風の被害を復旧するため入ってもらっては困るとのことだったが、特にお願いして慰霊を済ませることができた。ここの慰霊塔は多くの個人や団体、企業等が資金を出し合って作られたと記されており、多くの人々が戦争の犠牲者に感謝し慰霊をしようとの気持ちを持っておられるのだということを強く感じた。

 ここでの慰霊を終え次の慰霊地へ向かう途中、街路樹として植えられているピンクタコマというツツジに似た木に出会った。この木はサイパンでの南洋桜同様、日本兵が祖国を偲び南洋ツツジと名付けたということだ。更に胸の詰まるような話を聞かされた。それは、サイパンやグァムでの戦いは、日本軍と米軍との軍備に戦いにならないほどの大きな差があったということ。そして必ず援軍が来ると信じて戦っていた兵士たちの期待もむなしく、上陸するまでに米軍の攻撃によって海に散ってしまったということだった。上陸し戦って戦場の華と散るのならまだしも、それすらかなわなかった兵士の無念さは想像するにも余りあり身の震えるのを覚えた。

 今回の最後の慰霊地は、太平洋戦争国立歴史公園である。小高い丘に築かれているなかなか立派な慰霊碑。数えきれないほど多数の犠牲者の名前が刻まれている。ここでも全員で献歌したが、限りなく広がる南太平洋を眺めながら歌う「琵琶湖周航のうた」には強い哀愁を感じた。また、この慰霊地でも3人の方々が呼びかけをされたが、最後まで待ってやっと順番が回ってきたという嬉しさがひしひしと伝わってきた。そして2日間で5箇所を巡拝した慰霊団員27名の顔にも、ほっとした様子と満足感が漂っていた。

 観光やリゾートで多くの人々が訪れるサイパンやグァムだが、戦没者の慰霊という目的で各所を巡ると見るものや出会うもののすべてが、戦争当時に結びつき感慨も一入で、今日の繁栄と平和に感謝し、すべての人々がこの史実をいつまでも忘れることなく語り継ぎ、二度と不幸な歴史をくり繰り返してはならないと改めて認識を強めることとなった。  

 そして、この旅を機に「真の平和」「真の幸福や豊かさ」を問い直し、八日市市の行政をお預かりする者として、今進めている諸外国との国際交流などを通して、世界の恒久平和の確立に貢献していかなければならないと決意を新たにした。

 終わりに、こんなに貴重な体験をする機会を与えてくださった皆様に重ねてお礼を申し上げ、巡拝慰霊の旅に思う結びとしたい。


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消防職員を募集

=東近江行政組合=

(湖東・能登川町)
 東近江行政組合は、平成十四年度の消防職員(初級六人程度)の採用を決め、受験願書を受け付けている。

 資格は、昭和五十二年四月二日から同六十年四月一日生まれで、災害発生時などの非常召集に非番日でも直ちに応じられる人。第一次試験は、九月二十二日に高校卒業程度の教養試験と適性・体力検査を行い、二次試験(十月下旬)で作文と面接をする。

 受験申込は二十三日までで、願書の請求ほか詳しくは同組合総括管理課(TEL22―7620)へ。採用(来年四月)されると、県消防学校(能登川町)で六か月の全寮制による教育訓練を受ける。

職員採用初級試験

=15日まで願書受付中=


 能登川町は、八月十五日まで「平成十四年度職員採用初級試験」の願書を受け付けている。

 採用予定人員は一般事務一人・保育士三人。受験資格は、一般事務が昭和五十六年四月二日から昭和六十年四月一日に生まれた人で、学歴は問わない。保育士は、昭和五十四年四月二日から同五十八年四月一日までに生まれ、保育士資格および幼稚園教諭免許を有する人、または平成十五年三月三十一日までに取得見込みの人。詳細は同町総務課(0748―42―9921)まで。


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ハラハラ、ドキドキのキャスター

小学生が奮闘

=ホットテレビに出演中=

テレビカメラを前に緊張のジュニアキャスター
(湖東・近江八幡市)
 ホットテレビの市政情報番組「ときめき八幡」に近江八幡市内の小学生がキャスターとして登場し、視聴率をあげている?。

 次代を担う子どもたちに、市政に関心を持ってもらうと同時にテレビメディアの役割や仕組みを知ってもらうきっかけにと、市が公募でキャスターを募集し、推せんで選ばれた5、6年生10人が2人1組になって取り組んでいる。

 番組は放送センターで収録したあと1週間通して放映されており、8月末までの夏休み中、5週間続けられる。番組では、メインキャスターを務めている市職員から原稿の読み方や時間の配分などの指導を受け、緊張の面もちでカメラに向かっている。

 放送内容は、市の行事案内や市政ニュース、お知らせなどが主で収録が終わると緊張がほぐれてニッコリ。子どもたちにとっては忘れられない夏休みの思い出になっている。 


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