滋賀報知新(ニュース)平成14年10月30日(水)第13271号

労災隠し容疑で送検

八日市労働基準監督署

蒲生郡内の下水道工事現場
=事故発生の報告を故意に怠る=

(湖東・八日市市)
 八日市労働基準監督署は、三年近く前に蒲生郡内の下水道工事現場で発生した事故を故意に報告しなかったとして、労働安全衛生法違反(労災隠し)の疑いで、このほど京都市山科区にある建設会社山田重建の山田晶準代表(53)を大津地方検察庁に書類送検した。

 事故は十一年十一月に発生し、山田重建の工事現場で掘削溝に敷く鉄板の仮蓋(幅二メートル、長さ四メートル、厚さ一センチ)が接触したことから、作業員が右足を骨折するなどの重傷を負った。その作業員は七十八日間の休業を余儀なくされたにもかかわらず、雇用事業主に義務づけられている労働者死傷病報告書を提出せず、意図的に労災隠しに走ったものみられる。

 現場で作業員などが死亡や、四日以上の休業した場合に、事業者には報告書の提出が義務付けられ、労災隠しの手口として、今回の様に労災そのものを隠す場合と、労災の内容(発生場所など)を偽るケースに大別されている。

 隠す動機として▽労災発生が発覚すると、公共事業受注への今後に影響する▽下請けの場合、元請けとの取り引きに悪影響が出る▽労働基準監督署からの調査・監督ほか、行政上の措置や処分を受けることを恐れる――などが考えられる。

 労災隠しが行われた場合に、最大の被害者は被災した労働者である。手続きが適切に行われていれば、労災保険の給付が受けられるが、そうでないと被災者は、国民健康保険による自費で治療費を負担しなければならない。さらに賃金保障のない休業期間中の生活ほか、後遺症への不安も強いられる。

 このため、今後の生活に不安を抱く被災者が労働基準監督署に駆け込み、労災隠しが発覚するケースが多い。昨年中に送検された労災隠しは、全国で最多の百二十六件にも及び、うち建設業で百二件(八割)を占めている。今年に入っても九月末時点で七十三件に上り、昨年に迫るペースで労災隠しが行われている。


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錦之助、ひばり育てた沢島監督

母校で高校生を直接指導

=八日市高校演劇部 大会に自信つける=

演劇部員に熱のこもった指導を行う沢島監督
(湖東・八日市市)
 湖東町出身で、県立八日市高校の前身である八日市中学を昭和十九年に卒業。戦後の映画全盛期を築き、数々の名作を世に送り出した銀幕の大監督、沢島忠氏が、同窓会(住井鐵造会長)の在校生を思う達ての願いに快く応じてくれ、このほど母校を訪れて演劇部を直接指導した。

 同校演劇部は、十一月一日に草津市で開催される高校生演劇地区大会に向け、仕上げのけいこに励んでいたところで、夢の実現に十八人の部員も大監督から直接指導を受けることができるとあって、胸を膨らませてけいこに臨んだ。
 

 「ひおじいちゃんが見ていると思って気楽に」と声を掛けられても、やっぱり緊張ぎみの部員たち。通しげいこが始まると沢島監督は、そのつど気が付いたことを横に座らせた演出担当の部員に、「役者が重なっている」「美術や道具はどうなっている」「もっと舞台を広く使って」「台詞(せりふ)を言うだけでなく、一本調子にならないように感情や動きのメリハリを」など、演出や演技についてヒントやアドバイスを続けた。

 午後からは部分けいことなり、今度は演技者のところへ歩み寄り、演技の手本を見せるなど、手とり足とり指導にさらに熱がこもってくる。さすがの高校生たちもその迫力に圧倒されっぱなしだったが、その熱意にこたえ、ひとつでも多くのものを吸収しようと、キャストもスタッフも最後まで気を抜くことなく真剣に取り組む姿が見られた。

 けいこを終えて部員たちを前に沢島監督は、「“有志在形”、心があれば動きが出てくる」「芝居は頭でやるのではなく心でやる」「芝居は相手とのキャッチボール」「その人間(役)を生きる」「“間”を大切に」など、改めて演劇の基本を強調するとともに、「きょう、これだけやったんだから、本番は絶対だいじょうぶ、精一杯がんばってください」と、激励した。

 脚本と演出を担当する今井ひとみさんは、「有名な監督に見てもらえて光栄です、教えていただいたことをしっかり身に付けて、全国大会めざしてがんばります」と、目を輝かせた。

 沢島監督は、幼いころから映画の弁士に憧れ、昭和二十五年に東映映画撮影所に入社、昭和三十年代から中村錦之助、美空ひばりら若手スターを起用した「一心太助」「人生劇場」「ひばり捕物帖」など、時代劇のヒット作品を次々と出し、東映を「時代劇王国」にのし上げた。


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活動支える地域へ感謝

白扇会の第6回チャリティー公演

=熱演に客席から大拍手=

福祉充実を願う若柳吉一保さんの舞「永遠の飛翔」
(湖東・五個荘町)
 伝統文化の継承と、活動を支える地域への感謝を込めた、白扇会の第六回チャリティー公演「白扇会―永遠の飛翔―」(県、県教委、能登川町、同町教委、滋賀報知新聞社後援)がこのほど、五個荘町てんびんの里文化学習センターで開かれた。

 日本舞踊若柳流師範・若柳吉一保さんと門下生による舞台で、雨天にも関わらず、赤レンガの里(近江八幡市)や止揚学園(能登川町)の福祉団体をはじめ、町内外から親子連れら約二百人が来場した。受付に置かれた募金箱には善意の気持ちが次々と入れられ、緞帳が上がるのを楽しみに待っていた。

 会長を務める北川弥助県会議員の挨拶のあと、来賓の小西理衆議院議員、山下英利参議院議員、大谷元太郎県会議員が挨拶し、門下生二人による「四季三番叟」で開幕。可愛い「手習子」や「民謡舞踊」「天翔の舞」「汐汲み」「小姓弥生の舞」のほか、息の合った大正琴演奏など、この一年間の成果を精一杯発表した。

 最終の舞台は、若柳吉一保さんの「永遠の飛翔」で、力強い動作や柔らかな運びなど、優雅でかつ楽しい踊りを披露。舞台と客席を一つにする素晴らしい熱演で、大きな拍手に迎えられながら幕を閉じた。

 若柳吉一保さん(本名・桂田五十鈴)は六歳から稽古を重ね、若干十八歳の若さで名取師範となった。伝統芸能の素晴らしさを伝えようと白扇会を結成し、昭和三十七年に能登川教室を開いたほか、八日市市教室、近江八幡市教室と数多くの伝承者を育ててきた。

 チャリティーは、平成九年の初回以来継続しており、集まった賛同金は能登川町・五個荘町の両社協に寄付している。今年は十万九千百二十六円が集まり、能登川・五個荘・近江八幡の社協に渡された。

 なお、テーマの「永遠の飛翔」は二十六もの舞を盛り込んだ舞踊作品で、第三十回県芸術祭で奨励賞に輝いている。


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さくら園の園児ら

口いっぱいに秋の味覚

池本園でりんご狩りを体験
=日野町石原で=

「甘くておいしい」とリンゴを口いっぱいにほお張る園児ら
(湖東・日野町)
 日野町の保育所・さくら園の園児二十一人(三、四、五歳)が、同町石原にある蒲生りんご農園の池本園(池本鉄士代表)をこのほど訪れ、青々と晴れ渡った空の下、リンゴ狩りを楽しんだ。

 園児らは、「甘くておいしい」や「五つは食べられる」と、自分で木からもぎ取ったリンゴに豪快にかぶりついていた。皮ごと切らずに食べることや木になっているリンゴを見るのは初めてという園児もいて、竹下美佐子園長(52)は「園内には渋柿はあるが、木からもぎ取って食べるというのは園児にとって初めての体験。自然の物を自然の中で味わえて、いい経験になった」と食欲旺盛な園児に目を細めていた。

 「リンゴを大切にしてほしいから」と、入園無料でリンゴの量り売りをしている同園の池本美恵子さん(61)は、二十数年前から旦那さんと一緒にリンゴ栽培を始めた。しかし、四年前、二人三脚で園を広げてきた旦那さんを亡くし、今では娘夫婦や周辺のりんご園関係者らの協力を得ながら、一人でリンゴ園を切り盛りしている。

 一人で剪定を行う池本さんの園内(六反)には、フジやラクラクフジ、センパツフジ、ジャンボ王林、王林、千秋、香月、陽光、ジョナゴールドなど約十種類のリンゴ六百本が植栽されている。有機栽培で手塩にかけて育てられたリンゴは、太陽の光をいっぱいに浴びてとても甘い。

 今年は気温が高く、リンゴが実る時期が早かったことから、例年より開園期間が短くなる可能性がある。現時点では、十一月中旬までの予定で、今が旬のフジを堪能できる。詳しくは、同園(電話0748―52―2065)へ。



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20年ぶりに宮中に献上

不老長寿の果実「むべ」

大嶋・奥津嶋神社から宮内庁へ
=故事にならって11月1日=

天皇への献上のため摘み取られた奥島山のむべ
(湖東・近江八幡市)
 天智天皇(629〜671年)の時代から宮中に献上した歴史が残る、近江八幡市島町地先の奥島山に自生する果実「むべ」が、20年ぶりに献上されることになり、故事にならって11月1日の献上日に宮内庁に届けられることになった。

 奥島山のむべが献上されるようになったのは、天智天皇が蒲生野遊猟の際、奥島(現在の近江八幡市島地区)に立ち寄り、8人の男子を持つ元気な老夫妻を見て「どうすれば、そのように元気に長生き出来るのか」と訊ねられ、老夫婦が「この地に産する不老長寿の珍奇な果実を食べておるためでございます」と答え、差し出されたその果実を食味した天智天皇が「むべなるかな(珍しいものよのう)」と賞され「このような霊果は例年貢進せよ」と告げられたことから始まった、とされる。

 10世紀はじめの法律の書物「延喜式」の中の「宮内諸国献供例貢御贄」でむべが、当地の大嶋・奥津嶋神社から朝廷に献上されている記録が残されている。

 それによると、近江国からは献上された5つの産物のうち4つは湖魚で、むべは唯一の陸地からの供物と記され、延喜式が制定される前から皇室に献上されていたと伝えられている。

 明治11年、明治天皇が北陸へ行幸に向かう途中、京都に立ち寄った際、村人が一篭のむべを大津の行在所(現在の県庁)に持参献上。古事を尊び、献上してくれた村人の思いに当時の籠手田安定・県令(現在の知事)が返礼の歌を詠んでいる。また、明治43年に大正天皇が、滋賀県を行啓された際にも当時の矢野宇之助村長がむべを献上した記録が残っている。これをきっかけに以後毎年の献上が許されるようになり、昭和57年まで続けられた。

 奥島山には、むべ谷、むべ原などの地名が残り、大正初期には「天然記念物むべ自生地」の標柱が、むべ谷に建てられた。

 むべ献上の再開には、大嶋・奥津嶋神社の深井武臣宮司を中心に町づくり推進委員会(前出幸久会長)など地元関係者が数年前から取り組み、古くからの歴史と熱心な取り組みを重く受け止めた宮内庁から特別に献上の許可が下りた。
 献上されるむべは、北津田町の民家で大切にされている長寿の木に実ったものの中から厳選した15個で、27日に関係者等らがおよそ100個を摘み取った。

 深井宮司と氏子総代代表者ら12人が31日、川端五兵衞市長と國松善次知事に献上の再開を報告したあと翌1日に上京し、宮内庁に届ける。また、7日に行われる近江神宮の鎮座祭にも毎年の習わしとして大嶋・奥津嶋神社から献納する。

 地元では「むべに親しむ郷づくり」事業に取り組んでおり、苗木の配布や植樹、果実を使った「むべ酒」の試作にも成功している。


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