滋賀報知新(ニュース)平成15年2月6日(木)第13375号


大津市 予断許さぬ激戦に

春の県議選動向(1)

上位争う梅村、世古、佐野
=当落線上の上田、三宅、藤崎=

(氏名の次の数字は年齢。自=自民公認・推薦、
民=民主公認・推薦、公=公明公認、共=共産公認、社=社民推薦・支持、無=無所属。現=現職、元=元職、新=新人。一行書きの最後の数字は当選回数)

【大津市(定数九)】
世古  正 60 自現3
上田  彰 73 自現2
三宅 忠義 64 自現1
佐野 高典 54 自現1
梅村  正 53 公現3
河部 哲幸 59 民新 
成田 政隆 28 民新
沢田 享子 54 社現3
森  茂樹 64 共現2
藤崎ヨシヲ 63 共現1
佐藤 健司 29 無新
(湖西・大津市)
 滋賀県の統一地方選は、四月四日告示、同十三日投開票の県議選を第一弾に、四月二十七日の投票日までに五市議選、七町村長選、十三町村議選、一町議補選が繰り広げられる。そこで立候補予定者の顔ぶれがほぼ出そろってきた県議選動向を追ってみた。=文中敬称略=                      

【石川政実】


 県内最大の選挙区で有権者は、前回選挙(平成十一年)より、一万五千四百人増加の二十二万九千五百四十八人(昨年十二月二日現在)となっている。現職八人、新人三人(四人の可能性もある)が九議席を目指す少数激選区となりそうだ。

 世古は、地元の平野、逢坂、中央の三学区を手堅くまとめ、前回落選した白倉一路の地盤・膳所学区の切り崩くずしを図る一方、長等、滋賀、さらには坂本、瀬田学区にまで攻勢をかけ、安定した戦いを進めている。

 扶桑社の「新しい歴史教科書」を採択すべきだと県議会で論陣をはる上田は、雄琴、仰木、坂本、下坂本、唐崎、滋賀学区を固めるとともに、名誉顧問を務める比叡山高校の同窓生にも支持を呼びかけるが、教育問題が得票に結びつくか。  上田と北部で競合する佐野は、当選ラインを一万票に設定し、地盤の葛川、伊香立、真野、真野北、堅田学区や親戚のいる瀬田学区に加え、昨年十二月には坂本にも後援会の支部も設置。また自衛隊OB会にも浸透を図り上位をうかがう。

 三宅は、出馬を見送る腹づもりだったが、先月の自民の市南部市議団との話し合いで、慰留されてしまった。十日の自民党の二次公認の選対までには決めるとしているが、出馬に傾きつつある。ただ決断の遅れが、どう票に影響するか。

 引退する民主の深田作治の後継者として、市議(三期)の河部が瀬田学区から立候補を予定している。河部を含め、東レ出身の市議三人の得票数が約九千票だけに、吉田範久市議(関電)票も加え、一万票へ上乗せしたい意向だ。

 成田は、河部、沢田に続いて連合滋賀の推薦を取りつけた。沢田と同じ唐崎学区を地盤に、下坂本、坂本を中心に地域型選挙を展開する。またびわ湖ローズタウンなど新興住宅や白倉票にも浸透を図り、勝手連的な戦いを繰り広げる。

 沢田も、成田の立候補で、安閑とはできない。旧総評系の県教組、自治労、女性団体などを中心に運動を展開する一方、毎週、西大津駅前で県政活動報告を行うなど地道な活動を続けている。前回の産別票が河部や成田に回る懸念もある。

 生活現場を重視し、安全、安心を公約に掲げる公明の梅村は、三連続トップ当選をねらう勢いだ。五人の市議と連動して、全市的な取り組みを進めている。この二月には県政報告会を行う一方、ミニ集会もきめ細かく実施していく。

 共産は前回、びわこ空港反対などの気運で二議席を確保したが、今回は危機感が強い。森は、経団連が提唱する消費税引き上げ、政府の医療改悪に真っ向から反対する構え。三市議が連動する形で、支持拡大に努めている。

 藤崎は、中央学区以北を地盤とし、同学区以南の森とすみ分けをしている。藤崎も、別の三市議と連動して、県、市、学区単位で重層的な選挙活動を展開中だ。学区単位では、「生活相談会」を開催し、地域をキメ細かくフォローしている。

 元NHK記者の佐藤は、瀬田東学区から出馬の準備を進めているところだ。しかし県議選をあきらめ市議選に回る情報が意図的に流され困惑気味。「今週中には明らかにしたい。立候補するなら無所属」としており、県議選に出馬の公算大か。

 また前回落選の瀬津一男(78)=無党派住民連合=は「今月半ばには結論を出す」としているが、流動的だ。いずれにせよ、梅村、世古、佐野がトップを争い、それを河部、森、沢田が追い、藤崎、三宅、上田、成田、佐藤の五人のサバイバル戦か。ただ成田は、上位に食い込む可能性も。


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志賀町 豊かな自然環境活かし

びわこ成蹊スポーツ大が開学

=地域指導者やジャーナリト育成=

春の開学を目指して急ピッチに進む建設工事
(湖西・志賀町)
 びわこ成蹊スポーツ大学(森昭三学長)が今春、志賀町北比良に開学する。学校法人・大阪成蹊学園(大阪市東淀川区)が、大阪成蹊女子短大の体育学科を四年制大学として独立させて設立するもの。地元志賀町が誘致を要望していたことや、近畿地方でスポーツ系の競合大学が少ないことから、学生募集を可能と判断し、開学にこぎ着けた。

 学生数の減少で全国的に大学が厳しい運営環境に立たされる中、教員養成や競技力を重視した従来のあり方を改め、地域スポーツやアウトドアの指導者、ジャーナリストの育成を特色として打ち出した。

 大学のキャンパスは、琵琶湖畔を通過するJR湖西線と背後に迫る比良山地に挟まれた、同学園のセミナーハウス跡地約九ヘクタール。総工費は、同学園の持ち出し分の三十九億円のほか、県の五億円、町の四億円の補助金をあわせ計四十八億円を投じた。施設のうち講議棟、体育館、競技場などは住民にも開放し、地域スポーツの振興に役立てる。

 スポーツ学部のみで、学科は指導者を育成する生涯スポーツ学科、トレーナーやジャーナリストを育成する競技スポーツ学科を設置している。大学周辺の豊かな自然を生かして、アウトドアを切り口にした環境問題にも取り組みたいとしている。

 学生募集・広報対策室の安田賢司室長は、「従来は高い運動能力がないと体育大学に入れないイメージがあったが、今後はメディア、ビジネスなど様々な視点からスポーツに接することが必要。また、生涯スポーツの振興のため、地域に根ざした指導者を育成していきたい」と意気込んでいる。


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栗東歴史民俗博物館で企画展

“すこし昔の暮らし”を紹介

=戦中・戦後の教材、生活用品など=

(湖南・栗東町)
 明治から現代までの生活様式の変遷を紹介する企画展「すこし昔の暮らしと人々」が、栗東歴史民俗博物館で開かれている。三月二日まで。

 同展では約百四十点の資料を通じて、洗濯機やラジオなどが普及して便利で快適になった生活や、学校の教材や遊びを取り上げて戦中・戦後の「子どもの一日」の移り変わりについて考える。

 農作物の害虫、益虫をイラストで大きく描き、壁などに吊るして生徒に教えた「重要害益蟲図譜」(明治二十四年)は、農家の子弟が多い戦前の栗東における教育の特色を示したもの。消耗品である教材が現在まで残っているのは珍しいという。

 同館の磯部宏子・学芸員は「市内外の小学校と連携して、昔の生活を知る体験教室にあわせて展示を見学してもらい、郷土学習に役立ててほしい」と話している。

 


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子育てや高齢者介護

「福祉情報電話」

=生協が相談窓口を開設=

(全 県)
 生活協同組合コープしが(中出浩理事長)は、子育てや高齢者介護などくらしの中で直面する様々な場面で役立つ地域の福祉情報を提供し、組合員に限らず県民が気軽に相談できる窓口として「福祉情報電話」をこのほど生協会館二階福祉ネットワークセンター内に開設した。

 相談者の一助となる電話事業の展開を目指し、生協組合員およびNPO、地域の福祉団体などの活動者が、「ふくし情報レポーター活動(情報ボランティア)」を組織し、参加・相互交流型の情報活動を行う。

 電話以外にも、聴覚障害に対して、ファックス、郵便、Eメールでの問い合わせにも応じ、研修を受けた五人の専任職員が相談にあたる。

 応対時間は、祝日などを除く月曜日から金曜日までで、午前十時から午後四時まで。問い合わせは、福祉情報電話(電話077―527―9691、ファックス077―521―1990、Eメールfukushi@coop-shiga.or.jp)へ。


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「織田信長黒印状」 2通購入

県立安土城考古博物館展示公開

=1通は新発見の文書=

新発見の「正月廿(二十)一日」付の黒印状
「五月五日」付の黒印状
(湖東・安土町)
 県立安土城考古博物館はこのほど、平成14年度の購入資料として「織田信長黒印状」2通を入手し、きょう1日から3月30日まで公開展示する。
 県教委では、平成3年度から、県立安土城考古博物館の展示を充実させるため資料の購入を行っている。その件数は平成13年度上半期までで77件に上っている。

 今年度に購入した「織田信長黒印状」のうち、「正月廿(二十)一日」付のものは新発見で、もう1通は平成11年に同館が発見・公表したもので、800点近く現存する信長発給文書で新たに発見されるものは珍しい。

 2通のうち日付が1通「正月廿(二十)一日」付の黒印状は、「天下市武」の黒印が押された文書で宛先の「赤松弥三郎」は、播磨国(現兵庫県)龍野城主・赤松広秀と考えられる。弥三郎から新春の祝儀として太刀と馬を贈られたことに対して礼を述べると共に、自軍の城の守りが堅いことを喜び、信長が播磨へ出陣するときには協力するよう促す内容が綴られている。

 広秀は播磨守護赤松氏の支流にあたり、天正3(1575)年10月20日に京都で信長に謁見(えっけん)し、以後信長に従っことから本文書はそれ以後に出されたものと考えられる。

 信長は、天正5年10月より羽柴秀吉を播磨に派遣し、中国の毛利攻めにとりかかり、播磨国内では、比較的すみやかに信長の勢力が浸透するが、これは本文書等に見られるような信長の調略が、早くから進められていた結果とみられ、信長の村中国戦略の様子のわかる文書として重要。使者に立っているのが中国方面軍を率いることになる秀吉であることも興味深い。

 また、「五月五日」付の黒印状は 松浦安大夫から帷(かたびら・帷子)二折と帯を贈られたことに対する礼が述べられている。帷子は夏に着る麻・絹などで作られた単衣の着物のことで、端午の節句にこれを贈る習慣があったことから、この贈答もその習慣を踏まえたものと思われる。

 松浦安大夫は、和泉地方(現大阪府南部)で力を持っていた土豪の1人で、岸和田城主・松浦肥前守に仕えていたが、信長が入京し畿内に勢力を伸ばし始める頃にはその座下に入った。

 和泉方面は信盛の追放後、天正9年より堀秀政が在地支配の任に当たっていることが確認されており、本文書の使者が堀であるところから、それ以後に出されたものとも推定できる。

 信長と和泉の土豪との関係をうかがい知ることのできる文書で、地域の有力者とつながりを持ち、戦略的に利用してい信長の調略方法が、和泉でも確認できることは興味深い。


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