滋賀報知新聞(ニュース)平成17年1月13日(木)第14000号


滋賀だけ犠牲もうごめん

豪雨時の瀬田川洗堰全閉操作

県が国交省に全閉撤廃要請
=注目の淀川水系流域委の最終報告=

昭和36年に建て替えられた電動式の瀬田川洗堰
(全 県)
 「百年ノ後ニ怨言ヲ言ハレルコトガ、或(あるい)ハアリハセヌカ、其(そ)ノコトヲ心配スルノデアル」明治二十九(一八九六)年の県議会で、藤澤萬九郎県議が設置に批判的な発言を行ってから、今年でちょうど百年を迎える。このため県は、琵琶湖下流の京都、大阪を水害から守るため、豪雨の際に瀬田川洗堰(あらいせき)を全閉することを定めている国の洗堰の全閉操作の撤廃を求める動きを昨年末から強めている。はたして百年に及ぶ怨言に終止符を打つことができるか----。

【石川政実】


 国松善次知事は先月二日、国土交通省近畿地方整備局を訪れ、琵琶湖の水位が過去最高になった明治二十九年の洪水をシミュレーションして、洗堰の全閉操作の撤廃を求める要請書を手渡した。これに対し京都府宇治市は二十七日、同整備局に対し、滋賀県が求めている全閉操作撤廃には慎重な対応を求める意見書を提出した。上下流で真っ向から意見が対立しているのだ。

 全閉操作は、明治二十九年の帝国議会で決定した「淀川改良工事計画」に盛り込まれ、同三十八年の旧洗堰完成に伴い運用が始まった。大阪府枚方市の淀川水位が基準から三メートルを超え、危険水位も超えると予想された時に、国土交通省琵琶湖河川事務所長の権限で全閉操作が行われる。平成四年、国と関係自治体が合意し、操作規則として明文化された。

 これまでの全閉指示は、主なものでも五回以上出されており、大正六(一九一七)年には、湖岸の約六千二百ヘクタールが六十八日間にわたって浸水した。怒った住民が洗堰に集まり角材の抜き取りを迫る騒動にまで発展している。

 現在の淀川水系の治水は、昭和四十六年に策定された「淀川水系工事実施基本計画」に基づいている。治水計画は、通常、大都市においては二百年、あるいは百年に一度の大洪水を想定して策定される。淀川流域については昭和二十八年の洪水の一・二倍の規模の二百年に一度の大洪水を想定。琵琶湖は、百年に一度昇る水位を対象にしている。この時の琵琶湖の水位は一・四メートルであり、これに一・二メートルの余裕高を乗せた二・六メートルが湖岸堤の高さとなっている。しかし琵琶湖流域の近代以降の既往最大洪水は、二百年に一度と言われた明治二十九年である。だが「淀川百年史」によれば、同省近畿地方整備局(当時の近畿地建)が「明治二十九年の洪水資料がない」ことを口実に除外したのだ。

 今年で洗堰の全閉操作が百年を迎えるため、県水政課は昨年、彦根や京都の地方気象台などを訪ね、明治二十九年の洪水について雨量などの古い観測データを探し出して、当時の流量を推定した。その結果、洗堰を全開した場合も、下流の淀川では流せる水量にまだ余裕があることが分かり、全閉操作の撤廃は可能と判断したもの。ただ、宇治川ではいっ水の危険があると分析し、同整備局の諮問機関である淀川水系流域委員会が見直しを求めている大戸川ダム(大津市)と丹生ダム(余呉町)について整備を進める必要性を訴えた。

 同流域委員会はこの二十二日、同整備局に河川整備計画の最終的な考え方を示す予定だ。さらに国の社会資本審議会河川分科会は今年中に基本計画をまとめ、それに基づき新たな「淀川水系河川整備計画」が策定される。なお県水政課では三月、明治二十九年の洪水のシミュレーションの成果を土木学会水工学講演会で発表するとしている。はたして滋賀は百年の屈辱から解放されるのか、その鍵を握る二十二日の同委員会の最終的な取りまとめが注目されるところだ。


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市町立小・中学校

栄養士採用試験

=受付は19日まで=

(全 県)
 県教育委員会は、平成十七年度の県市町立小・中学校栄養士採用選考試験を今月二十七日、大津合同庁舎で実施する。受け付け期間は十九日まで。

 四月から県内の小・中学校(共同調理場勤務の場合もある)で勤務する栄養士若干人の募集で、受験資格は栄養士免許を有する、または三月末日までに取得見込みの昭和五十年四月二日以降生まれの人。

 初任給は、大学卒の場合は月額十七万千三百六十九円、短大卒の場合は月額十五万六千三百二十一円で、実務経験のある人については一定額が加算される。このほか、調整手当、扶養手当、住居手当、通勤手当、期末手当、勤勉手当等がそれぞれ条件によって支給され、昇給は原則として毎年一回となっている。

 試験は、一月二十七日午前八時四十分から受け付けし、択一式による教養試験と論文試験、集団面接(討論を含む)を行う。

 結果は二月上旬に全員に通知し、合格者は、県人事委員会による口述試験、適性検査等を受ける。採用内定の通知は三月中旬。

 出願者は、所定の志願書と履歴書(三カ月以内に撮影した写真を貼ったもの)に必要事項を記し、免許の写しと連絡用封筒(長形3号封筒に九十円切手をはり、宛先を明記したもの)、返信用官製はがき(宛先明記)を同封して、〒520―8577大津市京町四丁目1―1、県教育委員会事務局教職員課小・中学校人事担当(077―528―4534)まで郵送する。

 書類は、各地域振興局と市町教育委員会にも設置しているが、郵便で請求する場合は封筒の表に「栄養士受験願書請求」と朱書し、返信用封筒(長形3号封筒に九十円切手をはり、あて先を明記したもの)を同封して送る。また、県教育委員会のホームページ(http://www.pref.shiga.jp/edu/)からダウンロードすることもできる。


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県立琵琶湖文化会館でテーマ展示

=「屏風絵の世界」を開催中=

(湖西・大津市)
 テーマ展示「屏風絵の世界」が、二月十三日まで滋賀県立琵琶湖文化会館(大津市)で開催されている。迫力ある日本画が描かれた屏風十五点を展示する。

 山法師強訴図(紙本金地著色、江戸時代)は、叡山の山法師が、日吉の神輿を動かして、洛中に強訴におよぶ様子を描いたもので、入洛した僧兵と屋敷を警護する武士たちとが対峙する場面が描かれている。強訴に関する資料は多く残されているが、それを具体的に描いたものは以外に少なく、そうした意味から本図のもつ意義は大きなものがある。

 平安時代末期頃から勢力を増大した比叡山の僧兵は、しばしば要求をかかげて、日吉山王の神輿を動かして強訴におよんで朝廷を悩ませ、白河法皇をして「加茂河の水、双六の賓、山法師、これぞわが心にかなわぬもの」と嘆かせた。

 源氏物語図(紙本金地著色、江戸時代)は、源氏物語のうち「初音の巻」から取材したもの。元旦、所は光源氏の邸宅六条院、明石の姫君の居間を中心に描かれている。正月最初の子(ね)の日を、初子(はつね)の日といい、貴族の子女たちは近郊で若菜を摘み、小松を引いて健康を祝う風習があった。

 庭には梅花が咲き、居間には光源氏と文をしたためる姫君があらわされ、明石の上からの贈り物である鬚籠・檜破子・五葉松が置かれている。金雲を使った伝統的な大和絵の手法で、源氏物語の一こまをよく描いている。

 観覧時間は午前九時から午後五時までで、毎週月曜日は休館日。入館料は大人三百円、高校大学生二百円、小中学生百二十円。問い合わせは同館(電話077-522-8179)へ。


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高島市誕生記念

「スノーフェス2005」

=2月13日、今津町運動公園=

スノーフェスタのポスター

(湖西・高島市)
高島市誕生記念「スノーフェスタ2005」が、二月十三日に今津町総合運動公園(高島市今津町目置前地先)で開催される。

 フェスタでは、雪の造形展や雪上ゲーム、そば打ち体験、もちつき体験、豚汁販売、雪上ちびっこ広場、特産品の即売・出店・展示コーナーなどが催される。

 なお、前日の十二日には前夜祭が行なわれ、オープニングセレモニー「雪と炎の祭典」ではかまくらのライトアップ、太鼓演奏、どんと焼きなど幻想的なイベントが楽しめる。

 問い合わせは今津町総合運動公園内の実行委員会(電話0740-22-5555)へ。


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時代にあわせ愛らしく変ぼう

=陶都・信楽へタヌキ探訪=

店先にびっしり並ぶ愛らしいタヌキたち
(湖南・甲賀市)
 狸は「けものへん」に里と書き、純粋な野生の獣でもなく、イヌやネコのようなペットでもない、自然と人間界の“間合い”に身を置いてきた。そんなあいまいな動物タヌキがいつから縁起物の焼きものにされたのか、疑問を解くためにタヌキのまち・甲賀市信楽町を歩いた。

 国道307号線で信楽町の中心部・長野付近に入ると、無数のまあるい目が見てる、見てる。その視線の正体は、陶器店をびっしり埋め尽くすタヌキの焼き物。同町では年間十万体が生産され、まちのシンボルになっている。

 タヌキの焼き物のルーツを探れば、茶道具をつくった備前焼や萩焼などにたどりつく。香を入れる容器の狸香合(たぬきこうごう)は桃山時代にあったし、炭入れやタヌキの置き物も江戸時代には焼かれていたようだ。

キツネ顔のような初期の信楽狸(村木哲夫氏所蔵)しがらき狸学会発行「古たぬき図録」より
 一般庶民にも酒が売られる江戸時代に入ると、掛軸に現在のタヌキのやきものの基本スタイル「酒買小僧」が描かれるようになった。これは、笠をかぶって徳利と通帳を下げたもので、雨の中を酒を買いに走る子どもがモチーフになっているという。

 それでは、信楽でタヌキの焼き物がつくられたのは、いつ頃からなのか。

初期の信楽狸は精悍な顔


 しがらき狸学会(代表・大平正道氏)によれば、信楽でタヌキの焼き物をいつ、誰がつくりだしたのか、記録は残っていないという。地元の言い伝えや古陶狸などから推測して、江戸末期│明治初期に生産されはじめたという。初期の頃はキツネのようにスマートで精悍な顔つきをしていたが、昭和の経済成長期以降、丸みを帯びたものが好まれるようになった。

 タヌキの焼き物は、瀬戸や常滑、丹波、備前でも大量に生産されたのに、なぜ信楽が有名な産地になったかというと、昭和初期の陶工・藤原銕造(てつぞう)氏の愛嬌あるデザインが人気が高かったこと、同じ頃にタヌキの焼き物は縁起がよいと「信楽狸八相縁起」(石田豪澄名城大教授)で喧伝されたことによる。

 大平さんは「タヌキの焼きものは世相を映す鏡。売れるように大衆受けするデザインに変ぼうしていった」とみる。最近では、阪神タイガースがセ・リーグ優勝に輝いた平成十五年、縦じまのユニフォームを着た信楽狸が登場した。

 初期のタヌキの焼き物はどことなく反骨的なイメージがあったが、現在は愛きょうたっぷりのものもつくられ、狸と人間界の“間合い”はずいぶん縮まったようだ。 

 


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