滋賀報知新聞(ニュース)平成17年2月2日(水)第14017号


支え合う地域づくりを学ぶ

あったかフォーラム

=3月10日 八日市文芸会館で開催=

(湖東・八日市市)
 県と街かどケア滋賀ネットは、三月十日にあったかフォーラム「暮らし密着 地域共生ケアを探る〜くらし支え合い 滋賀モデルを拡げよう〜」を八日市文化芸術会館で開催する。午前十時―午後四時半で無料。

 身近な地域で高齢者や子供、障害者など、だれもが自然に集い、憩い、ふれあう場所を地域に整備し、介護や子育て、生活支援など、多様なサポートで支えあう住民主体の活動(「あったかほーむ」づくり)が県内各地で始まっていることから、この活動をさらに広げていこうとフォーラムを開くことにした。

 フォーラムでは、これまで世話を受ける側とされてきたお年寄りや障碍(しょうがい)のある人、それに子供たちが家庭や地域で果たす役割に焦点をあて「支え合う地域づくり」を学ぶ。

 また、地域での人の暮らしは、分野・領域別での縦割りや、世代・時間別の輪切りにできないとの視点から、文化・教育・環境・産業などや、幼・壮・老なととのつながりも併せて考える。

 千葉で先進的な活動に取り組む生活クラブの池田徹さんの講演を受け、小梶猛(しみんふくしの家八日市)、伊井野雄二(デイサービスあかめの森)、高橋卓志(神宮寺住職)、吉田一平(ごじから村)、阪井由佳子(デイケアハウスにぎやか)の五氏がパネルディスカッションする。

 参加希望者は、氏名、所属、連絡先住所、電話番号を書き、二月十日までに街かどケア滋賀ネット事務局へFAX(0748―77―5617)で申し込む。詳しくは同事務局(TEL0748―77―5580)の三井さんへ問い合わせる。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

子どもたちの笑い声と

おじいちゃん・おばあちゃんの笑顔

「ほんわかホーム」からまちにあふれる
=八日市大通り商店街にオープン=

▲オープンしたほんわかホーム
(湖東・八日市市)
 八日市大通り商店街に空き店鋪を活用した託老・託児施設「ほんわかホーム」(上之町五―一八)がオープンした。同商店街振興組合の商店街の活性化対策の一環として行政や商工会議所などの支援を受けて開設されたもので、子どもたちやお年寄りが地域の中で集い、生活できるふれあいのスペースとしての利用から、商店街の良さを地域の人にも見直してもらえるのではと、期待が寄せられている。

 運営は、近所で先にデイサービス事業を行っているNPO法人ゆりかごネットがあたり、保育士や栄養士が常勤する。

 提供サービスは、当面、〇歳児からの月極保育と一時預かり保育からスタートし、徐々にサービスを充実させていくことにしている。また、趣味の講座やふれあいスペース開放などの高齢者向けサービスも並行して提供することで、子どもたちとお年寄りのふれあいの機会による情緒面や精神面など内面的ケアにもつなげたい。

 開所式では、本間林蔵組合理事長が「商店街に近くオープンする文化交流施設の関連施設として商店街の活性化に」と期待を、また、小島智津子法人理事長も「活性化のため、少しでもがんばりたい」と決意を込めた。

 サービスの内容や料金など、詳しいことはほんわかホーム(TEL0748―22―3395)まで。自由に見学することもできる。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

明治〜昭和の暮らし紹介

愛知川流域の民具展

=能登川町立博物館=

▲愛知川によって育まれた東近江地域の民具展
(湖東・能登川町)
 鈴鹿山脈から琵琶湖までを流れる愛知川。かつて、その流域には地域ごとに個性ある生活が営まれ、特色に則した道具が作られてきた。能登川町立博物館で開催中の第五十五回企画展「愛知川流域の民具〜春夏秋冬〜」は、今では見ることが出来なくなった愛知川によって育まれた民具百二十点が紹介されている。

 上流に位置する永源寺町では、豊かな森林や愛知川から発せられる霧が茶の薬用効果を高め、永源寺が創建された室町時代から茶栽培が本格化し、「茶摘み籠」や「茶刈りバサミ」「シンドカゴ(背負い籠)」などが作られた。また、林業が盛んなことから「大鋸」「ヨキ(斧)」が普及するほか、木地師による手回し轆轤の「カンナ」「ウマ(鉋枕)」も民具として見られる。

 中流域にある八日市市・五個荘町・愛東町・湖東町・愛知川町では、扇状地のために土地の保水力が低く、集落間でしばし水利争いが発生。いかに水を確保し、効率よく汲み上げるかが課題で、灌漑用水路やため池が設けられたほか、「ゴイ」「竜骨車」「じゃ車」「バーチカルポンプ」などの揚水道具が発達した。また、ため池の管理に伴う独特の漁法「オオギ漁」がはじまり、円筒形の漁具「オオギ」が作られた。なお、平成十年に、湖東町大沢の八楽溜で三十七年ぶりにオオギ漁が復活した。

 下流に位置する能登川町では、河川や湖沼など水との関わりが深く、「もじ」「ガバン」「タツベ」「押し網」等の漁具が発達・普及。農閑期の副業として麻織物の製造もはじまり、近江上布の産地を示す「織機」「糸車」が残る。また、養蚕を示す桑畑の「Y」記号も昭和の地図に見られ、「蚕棚」や「スゴ」「糸取り機」などを保管している家庭も多い。

 このように、愛知川と人々の関わりを幾度か紹介してきた同館だが、今回は、流域の各市町から生業に関する民具を借り受け、明治から昭和にかけた東近江地域の暮らしを探っている。

 期間中、洗濯板や石臼などを実際に使ってみる「民具体験コーナー」が設けられており、不定期だが地域学芸員・稲葉政幸さんによる蓄音機のSPレコード演奏も行われる。

 会期は二月十三日まで。入館無料。午前十時〜午後六時開館。月・火曜休館。問い合わせは同博物館(0748―42―6761)へ。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

今年いっぱいの舵取り

山中蒲生町長に聞く

=東近江市との合併に向けて=

▲残りの任期にかける思いを語る蒲生町の山中壽勇町長(蒲生町役場の町長室で)
(湖東・蒲生町)
 一日に当選証書を受け取り、二度目の船出をした蒲生町の山中町政。朝日野村と桜川村との合併で「蒲生町」が誕生した翌年の昭和三十一年に町職員となり、この五十年の町の変遷を間近で見てきた山中壽勇町長(68)が、さらなる五十年、百年先のまちを見越し合併に取り組んでいる。東近江市への編入合併が順調に進めば、来年一月一日に合併し、今年十二月三十一日までの任期となる。残りの任期にかける思いを聞いた。

●短期の町政で何が最も大事か

 一期目を終えて、これまで歩んできたことに対する評価を、今選挙で町民に求め、町が抱える課題をどう解決していくかを公約に掲げた。合併に関しては、住民アンケートで意向を聞き、方向は決まっているので成就させることが最大の責務だと考えている。

●合併に向けたまちづくりの柱は何か

 一つには、各字ごとに十年間の計画を立ててもらったわがまち夢プラン事業をいかに住民自身で継続していってもらうか。まちが大きくなればなるほど、末端の自治組織が重要になる。ハード面を援助するための補助を、合併に絡んで三年から二年に前倒しすることとなったが、補助金がないからしないというのではなく、これまでの取り組みで一定の成果も出ていることから地域で今後も取り組んでもらえるよう呼び掛ける。

 二つ目は、用地を買い造成している図書館建設。一万五千人ぐらいの区域に一つぐらいは必要ではないかと思う。広い用地面積など立地条件を生かして、屋外を活用した図書館のような今までにない形態の図書館でもいいのではないかと思う。

 三つ目が、木村のインター用地。一般道からも乗り入れられるような高速専用の道の駅を併設してもいいのではないかとの思いを持っている。三月末ぐらいには、名神名阪連絡道路をどのような規格の道にするか専門委員会で決まる見込みだと聞いており、道路整備と合わせて強く働きかけていく。

●経営難の蒲生町病院はどうなるか

 長い歴史と伝統があり、地域住民の一番の幸せの基である健康・生命を守ってきたのが蒲生町病院。運営上でピンチを招いているのも事実だが、活用方法によっては新市でも役立つ医療機関となりうる。特に、高齢化社会の到来により、現在、地域包括ケアの観点から在宅介護支援に乗り出している。どの介護施設も入所待ちの状態で在宅介護が重要視されており、そのフォローが必要となっている。病院の外にベッドを配置しているとの見方をすると、地域包括ケアの果たす役割は大きい。新市へ引き継ぎ役割を決めるということだが、公立病院を持たない一市四町が、町に開業医が一軒しかない蒲生町の公立病院の必要性についてあまり関心がないのではないかという心配もある。

●今、東近江市への編入合併をどう受け止めているか

 蒲生町の熱意は、一市四町側に受け止めてもらっている。東近江全体としても蒲生町が加わることでもっと大きな中核市を目指すことになるのでお互いにとっていい決断ではないかと思う。合併してすぐにはメリットが分かりにくいかもしれないが、五十、百年先にははっきりと分かる。びわこ空港の再燃もあるかもしれない。

●編入合併にマイナス面はあるか

 対等合併と編入合併にあまり違いはない。協議する上では追随で、期間も短いため細かい具体的な協議ができておらず、住民にとって分かりにくい部分があるかもしれない。各担当課職員が机を突き合わせて協議するという機会がないので、住民説明会までに新市の方向性を勉強するよう指示した。しかし、一市四町の決定事項は、蒲生町民にとって違和感がないと考える。合併の調印が終わると新市と二町での協議となる。合併期日に向かうのみとなる四月から十二月までに、詳しい内容を協議する場をとの思いがある。新市計画は合併後二年かけて策定することとなっており、そのときの協議には加われる。平成十八年度予算に新市を形成するための経費が第一段階として盛り込まれてくると思うが、その予算編成時に協議に加われるのかという編入の厳しい面もある。けれど十年以内に取り戻せばいいこと。特例債についても、新市になってから財政計画を立て、一定の見通しが分かった時点で計画を進めて行こうという考え方で、固いやり方だと思う。

●残りの任期に山中町政として何に取り組むか
 特別職の給与削減と管理職の手当削減など人件費の見直しや各課の統廃合で組織を

スリム化する行財政改革に取り組む。三月議会に行政機構の再編案を提案する予定で、現在、庁内の検討委員会で協議している。なんとか苦境から脱出できるように力を尽くしたい。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

「西の湖周辺の人々とその歴史」
身近な歴史講座シリーズ(2)
形を変えるびわ湖の水域
=丸木舟は内湖で活躍=

▲安土町大中で見つかった弥生時代の「大中の湖南遺跡」、当時の住居が復元されている
(湖湖東・安土町)
 今回は西の湖周辺にある縄文時代から弥生時代の遺跡を紹介しましょう。
 原始・古代の社会がどのようになっていたかを知るには、考古学による遺跡の発掘調査を行ない、当時の人々がすんでいた住居や使っていた道具を発見し、生活を復元していくことで解るようになります。

 西の湖周辺にある縄文時代の遺跡は、安土町の下豊浦の北側にある「弁天島遺跡」や近江八幡市の元水茎町にある「水茎B遺跡」「水茎C遺跡」、長命寺港の所にある「長命寺湖底遺跡」などからまとまって遺物が出土しています。遺物のほとんどは割れてしまった土器ですが、小さな破片もくっつけて見ると意外と大きな破片になったり、時には完形に近くなります。

 この土器についている炭化した部分を良く調べてみると、当時の人々がどの様なものを、どの様に調理して食べていたかを知ることができます。また、水茎B遺跡・水茎C遺跡や長命寺湖底遺跡では丸木舟が出土しています。

 縄文時代は「採取経済社会」といって山にある木の実や湖の魚や貝を採って食料としていました。丸木舟は漁をする上にも必需品であったと考えられますが、実は、この丸木舟はすぐに転覆してしまうのです。私は、この丸木舟で湖北町の尾上から竹生島まで実験公開をした経験があります。このときの丸木舟が安土城考古博物館の中庭に展示されています。この実験公開の日はとても天気が良く、琵琶湖も凪(なぎ)で、波が全くありませんでした。ですから何とか竹生島まで行けましたが、風が強くて波が高い時は、湖水が舟の中に入り転覆してしまうのです。練習の時に横波を被って横転したり、船の中に水が入り転覆してしまうこともあったのです。これでは琵琶湖に出て漁をするということは考えられません。滋賀県で丸木舟の出土例を見てみるとそのほとんどが内湖かあるいは内湖の近くから出土していることがわかっています。元水茎も内湖ですし、長命寺湖底遺跡は津田内湖のすぐ横です。ですから丸木舟は主に内湖の波の穏やかな所で活躍した舟なのでしょう。

 弥生時代の遺跡としては「国史跡大中の湖南遺跡」が大変有名です。大中の湖南遺跡は干拓事業によって発見された遺跡です。特に弥生時代中期の水田遺構が発見され、しかもこの水田の区画が大変大きいものであったこと、また大量の木製品が出土して、当時の農耕具の作り方が分かるような資料や、祭祀に使われたと考えられる木偶などが発見され、弥生時代のムラの構造や生活の様子が詳細に分かりました。

 大中の湖南遺跡の調査以前は、まだ弥生時代の生活は良く分かっていなかったので大変貴重な発見となり、西の湖周辺だけでなく、わが国における弥生時代の社会を解明する上においても大変重要な遺跡となったのです。 

 これらの遺跡はいずれも今の地形でいえばみんな内湖の中にあるか琵琶湖の中に有る遺跡です。琵琶湖の大きさが変化するということは良く知られていますが、かなり大きく変化しているようです。これも湖北町延勝寺のことですが、現在の岸から400メートルも離れているところで弥生時代の水田の跡が発見されています。内湖も琵琶湖の大きさと同じように変化しており、大中の湖南遺跡をはじめとする湖底にある遺跡は、当時は陸化していたり、湿地帯となっているところに用排水路をつくり水田としていた様子が分かっております。縄文時代から弥生時代のころの西の湖周辺は山があり、豊かな水があるわけですから、当時の人々にとっては生活するには大変便利なところであると言えるでしょう。
 次回は弥生から古墳時代を中心に紹介します。

文・奈良俊哉氏
 (近江八幡市文化政策部文化振興課副主幹) 

 


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ