滋賀報知新聞(ニュース)平成17年2月9日(水)第14023号


住民主役の「愛の田園ネット」

新市の中で輝くまちづくり

=愛東町 つどいで熱くアピール=

▲まちづくりへの意気込みを感じさせたつどい
(湖東・愛東町)
 愛東町は、合併後も地域の特性を生かした住民参加と連携によるまちづくりをすすめるために、まちづくり協議会「愛の田園(まち)ネット」(仮称)の設立をめざして、「愛の田園(まち)づくりのつどい」を、このほど町文化センターで開催した。

 つどいには、植田茂太郎町長はじめ、町職員、町議、区長、一般住民、合併関係市町住民ら約百六十人が参加。合併後もまちづくりの先導的役割を担うことができる、輝ける“愛の田園”の存在を、熱く内外にアピールした。

 町環境整備課が作成したスライド「愛の田園(まち)に住む魚たち――田園自然環境保全・再生支援調査より――」で、町内の川に住むホトケドジョウといった絶滅危惧種や希少種を含む魚の生息が身近な場所で確認されたことを通じて、町の魅力を再確認することができた。

 全国のまちづくりにかかわってきた千葉大教授・東大名誉教授の大森彌氏の基調講演「すばらしいまちづくりを進めよう!」では、少子高齢社会で高齢者や子どもたちがまちづくりにどれだけ参画できるか、様々な団体・機関・家庭・個人が連携しながらの新しいまちづくりのためのネットワーク構築の必要性などについて理解を深めた。

 スライド「未来へ咲かそう マーガレット」で、町内のまちづくりの取り組みの歩みを自然、環境、農業など六つのテーマで振り返るとともに、これまで築き上げてきたまちづくりの軌跡を、大切に新市へ引き継ぐ決意を新たにした。

 町が開催してきた「まちづくり勉強会」の参加者を代表して小椋喜八郎さんが、これまでの取り組みを報告するとともに、まちづくり協議会「愛の田園(まち)ネット」(仮称)の役割やシステム、行政・議会との関係などについて説明し、参加と協力を呼びかけた。

 町民代表四人がパネラーとなって、客席の参加者も加わってのパネルディスカッション「あなたが主人公“愛の田園(まち)ネット”をどう進めるか」では、少子高齢化による地域の伝統行事の存続問題、市中心地域との格差への懸念、義務的なまちづくりではなく主体的なまちづくり、愛のまち交流の継続など、それぞれの体験や経験を交えながら、思いや夢を語り合った。大森氏は、「活発な活動を続けることが新市への交渉力につながる」「それぞれの地域の良い所を理解し、生かしてくれる市長を選ぶことも重要」などと、アドバイスした。

 最後に、山川裕子さんが、「夢に向かったまちづくりをいつまでも進めたい。未来の人たちが私たち以上に、このまちを愛してくれるために」と、アピールを読み上げ、藤関安久助役の音頭で参加者全員による「がんばろう!」で、新市への意気込みを高めた。

 全体を通して、環境、農業、福祉など、これまで取り組んできたまちづくりに対し、住民一人ひとりが誇りと自信をもっていることを、強く感じさせるつどいとなった。

 同町では、今回のアピールを受けて、まちづくり協議会「愛の田園(まち)ネット」(仮称)の三月立ち上げをめざしている。


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真のパートナーへ

人権と男女共同参画のつどい

慣習・慣行の固定観念
=知らず知らずに生き方を制約=

▲身近な結婚をテーマにした寸劇「三世代夫婦の思いやり」
(湖東・能登川町)
 能登川町躰光寺の町やわらぎホールで、すべての人が人権尊重の認識を深め、喜びや充実感を共有できる住みよい社会を築く『人権を考える 能登川町男女共同参画のつどい』が開かれた。

 「ずっとこうしてきたから」「当たり前だから」という慣習や慣行は、期待される役割を「男だから、女だから」という固定観念(ジェンダー)によって画一的に分類してしまい、一人ひとりの個性や能力、生き方を知らず知らずのうちに制約してしまっている。

 そんな性別の固定観念を見直し、男女がともに家庭や地域、職場などで対等なパートナーとして参画し、喜びと責任を分かち合う充実社会の実現を目指して、同町では平成十五年に、町男女共同参画推進計画を策定した。

 つどいは、推進計画の一環として町と町教委、町人権・同和教育推進協議会、男女共同参画部会委員が共催し、互いの能力が発揮できる成熟した社会づくりのために開いたもので、身近な事柄として考えてもらおうと、“結婚”をテーマにした人権教育や家事・育児等の夫婦協力を寸劇「三世代夫婦の思いやり」として開いた。

 また、落語家・桂あやめさんによる講演「笑いでコミュニケーション〜女と男のつながりあい〜」も行われた。

 あやめさんは、昭和五十七年に桂文枝に入門し、女性に落語は出来ないという固定観念の壁に、自作の落語で風穴を開け、OLや女子高生、嫁・姑など、身近な女性を主人公とした創作を続けており、主宰する寄席スペースの茶臼山舞台(大阪)で、新作ネタ下ろしの会「できちゃったらくご!」や、社会的テーマを歌・落語・トークで楽しむ「あやめジャーナル」などを開催している。

 会場では、落語家を志した経緯や苦労話、自分らしく生きることの大切さを時折、笑いを誘うトークで伝え、耳を澄ませる参加者も、自分自身にもある経験と照らし合わせながら頷く姿が見られた。

 そのなかで、あやめさんは「落語イコール男―のイメージが拭い切れず、当初は客席から違和感があった」と振り返る。何とかこの世界に溶け込もうと男性の格好をしたこともあったが「自然体でない姿に無理がある。自分らしく、女でないと思いつかないネタで笑ってもらおう」と気づいたといい、古典芸能の世界にも参画社会の気運が高まる。


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シーズン真っ最中!スキーへ行こう

小学2〜4年生スキー初体験

=ワールドカップ8位入賞 伊藤選手が指導=

▲スキー初体験の子どもたちに指導する伊藤みきさん
(湖東・日野町)
 日野町のわたむきっずスポーツクラブはこのほど、奥伊吹スキー場を会場に一泊二日の日程で「スキー教室」を開き、小学二年生から四年生までの男女計三十九人が参加した。

 講師には、全日本モーグルスキーナショナルチームメンバーの伊藤みきさん(近江兄弟社高校二年生、日野町大窪在住)を招いた。当初は、姉のあづささんも講師として招く予定だったが、昨年暮れの北米選手権で三位に入賞し、海外転戦中だったため、今回は妹のみきさん一人が講師を務めた。

 最近では、学校完全週五日制の導入で、授業時間が大きく削減したため、日野町内の小学校でスキー教室を実施しているところは、南比都佐小学校のみであることから、社会体育事業である「わたむきっずスポーツクラブ」のプログラムに今回スキー教室が組み入れられた。

 ほとんどの子どもたちがスキー初体験で、スキー板の脱着方法やストックの持ち方から方向転換、歩き方といった初歩的な練習を繰り返す教室となった。それでも、子どもたちは前日から降り続いた新雪を敷き詰めた最高のゲレンデコンディションの中で楽しくスキーを体験した。

▲来年トリノで開催される冬季オリンピック出場を目指す伊藤あづさ(右)・みき(左)姉妹
 伊藤みきさんによるどんな急斜面も自由自在にスピードコントロールするダイナミックな模範滑走を目の当りにし、子どもたちは「どうしてうまく滑れるの」や「いくつの時からスキーを始めたのですか」と次々に質問を投げ掛けていた。

 来年トリノで開かれる冬季オリンピック出場を最大の目標に掲げる伊藤みきさんは、土曜・日曜日を含め週四日間はスキー場に通う日々が続いており、スキーの板は自分の足のようなものだという。

 六日に福島県で開催されたフリースタイルスキーワールドカップでは、銀メダルをとった里谷多英選手に続き、伊藤みき選手が見事八位に入賞し、世界で互角に戦える力を見せつけ、オリンピック出場に向けてさらに一歩前進した。
 
■スキー教室参加者募る■

 日野町体育協会スキー部は、スキー指導者を目指す人を対象に全日本で活躍する伊藤あづさ・みき姉妹が実技指導する「指導者講習会」の参加者を募集している。

 指導者講習会は、三月十二、十三日の一泊二日の日程で、兵庫県のハチ北高原スキー場で開かれる。全日本スキーモーグルで一番の注目株である伊藤姉妹のモーグル競技を見学した後、実技指導を受ける。対象者は、スキー指導を目指す人で、目安としてパラレルターンができる程度。定員は先着十五人。参加費は、一人一万九千円。参加希望者は、日野町教育委員会もしくは大谷公園体育館へ参加費を添えて申し込む。

 詳しくは、同町教育委員会(電話0748―52―6566)または、大谷公園(電話0748―52―5379)へ。


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10、11、13日の3日間 

蒲生町で「住民説明会」

=合併協議の説明や質疑応答=

(湖東・蒲生町)
 蒲生町は十、十一、十三日の三日間、市町村合併に関する「住民説明会」を同町あかね文化センター大ホールで開催する。開催時間は、午後七時半から。

 日野町との合併破たん後、同町は、昨年十月に「住民説明会」を開き、町内在住の二十歳以上と永住外国人の計一万一千百五人を対象に住民アンケートを実施した。アンケートの回収率は七六・八%にのぼり、回答者の八割以上が「合併協議を進める」と答え、そのうち八〇・八%が「一市四町(東近江市)との合併(編入を含めた)協議を進める」を選択。

 アンケート結果を尊重して、町はこの十一日に誕生する八日市市・永源寺町・五個荘町・愛東町・湖東町で構成する「東近江市」へ能登川町とともに編入合併する方針を固め、十二月七日の第一回検討協議会から一市六町で合併協議を進めてきた。

 これまでに四回の任意協議会が開かれ、新市の総合発展計画のマスタープランとしての役割を担っている「東近江市・能登川町・蒲生町合併建設計画」も示された。

 住民説明会では、協定項目も含め協議内容の経過と合併建設計画の素案などについて、パワーポイントを用いて行政側が約五十分かけて説明する。その後、約一時間の質疑応答の時間が設けられる。

 開催日ごとに、参加対象地域が分けられており、十日が東地域(平林・石塔第一・石塔第二・綺田・寺・桜川東・桜川西・川合畑田・川合東出・川合西出・川合本郷・川合上本郷・木村・稲垂・赤坂団地・チェリータウン)、十一日が西地域(鋳物師・岡本・上麻生・下麻生・大塚・田井・大森・鈴・蒲生堂・宮川・外原・宮井・葛巻・横山・合戸・上南・市子殿・市子沖・市子松井・市子川原・川原東・川原中島)、十三日が長峰地域(長峰東一区・長峰東二区・長峰西・長峰南・長峰北)となっている。割り振られている開催日に都合の悪い人は、他の開催日でも参加できる。

 当日は、一月下旬に配布された資料「東近江市・能登川町・蒲生町合併協議の経過」と「東近江市合併建設計画概要版」を持参する。詳しくは、蒲生町役場企画課(電話0748―55―4881)へ。


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「西の湖周辺の人々とその歴史」

身近な歴史講座シリーズ(3)

八幡の古墳、安土の古墳
=水郷地帯の豪族の証 =

▲安土町桑実寺の瓢箪山(ひょうたんやま)古墳
(湖東・安土町)
 今回は弥生から古墳時代について紹介します。
 前回に縄文時代は採取経済だと説明しました。弥生時代はこれとは違い、水稲農耕を中心とする社会です。そもそも弥生時代という名称は、東京の弥生町で発見された土器がこれまでとは全く違う形式だったので弥生式土器と銘々され、その属する時代が水稲農耕を始めた時期であったところから弥生時代と呼ばれるようになったのです。

 水稲農耕はもともと日本には無く、大陸からもたらされた文化です。ですから縄文時代の社会とは全く違った社会になったと考えられています。水稲農耕をするには単独ですることはできません。少なくとも数家族が集まり、用水路を作り、水田を耕し、稲穂を刈り取るという作業を行わなくてはいけません。弥生時代も最初のころはこのような作業で精一杯だったのですが、やがて鉄の農具ができてくると大きな水田や大規模なかんがい排水工事ができるようになり、数家族でなくもっと大きな集団が作られるようになってムラができました。大中の湖南遺跡もこのようなムラの一つです。さらにこのようなムラが集まって一つのクニができたと考えられており、このクニができたころが、女王卑弥呼のいた「邪馬台国」のころなのです。

 さて、こうしてできたクニは水をしっかり確保しながらお米をたくさん収穫し、他の地区と交易をしていろいろなものを手に入れます。そして鉄の普及とともに武器も鉄で作られるようになり、権力をもっているところは益々強くなっていきました。丁度そのころ前方後円墳という鍵穴の形をした巨大な古墳が作られるようになり、これを古墳時代と呼ぶようになったのです。
▲瓢箪山古墳で発掘された石室の模型(県立安土城考古博物館に展示)

 西の湖周辺では安土町の桑実寺にある「瓢箪山(ひょうたんやま)古墳」が滋賀県で最大の前方後円墳として有名で、国の史跡に指定されています。全長が137メートルで後円部に3基の竪穴式石室、前方部にも2基の箱式石棺が発掘されています。副葬品として銅鏡(2神2獣鏡)、鉄製甲冑、鍬形石、石釧などが出土しています。また、近江八幡市側では円山の山中に円山古墳群(円墳4基)があり、白王町の山にも白王古墳群(円墳3基)や、王ノ浜古墳群(円墳8基以上)があります。さらに、島町には山口古墳群(円墳5基)があります。

 安土の瓢箪山古墳とこれらの古墳群との違いは、まず形状が違う事です。近江八幡市側の古墳群は全て円墳で円い形をしています。また、石室の構造も違っており、横穴式石室といって円墳の横から穴を掘って石室を作ったような形をもつものです。これだけ違いがあるという事は、作られた時期が違うということです。近江八幡市側の古墳群はおそらく5世紀から6世紀頃に作られたもので、安土の瓢箪山古墳は4世紀ごろに作られたものと考えられています。

 このようにしてみると古墳が作られた所はいずれも山の中か山裾にあることがわかります。これは山を削り、低いところに土盛りをすれば古墳は作りやすいですよね。それで山裾に作られたと考えられています。今では解らなくなっていますが、巨大な古墳もみんな山や丘を利用して作っているのです。こういうところに古墳時代の人々の知恵を垣間見る事が出来ます。

 では古墳時代の社会はどのようなものであったのでしょうか。古墳を作ることは大掛かりな土木作業が必要ですから、高度な技術を持った人たちがいたことは間違いありません。古墳にはいろいろな装飾品が石室内や棺のなかに一緒に納められ、中には青銅鏡や王冠などの豪華なものもあります。また、大勢の人の力が必要ですから、かなりの権力者が埋葬されていたと考えられています。一方、農民などの一般的な人々は、古墳の中に埋葬されることはなかったと考えられていることから、古墳時代を「大王の世紀」と呼ぶ時期もありました。いずれにしろ、豪族(地方の権力者)が大きな力を持っていた時代であると言えましょう。

 次回は西の湖と蒲生野を紹介します。

文・奈良俊哉氏
 (近江八幡市文化政策部文化振興課副主幹) 

 


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