滋賀報知新聞(ニュース)平成17年2月20日(日)第14033号


一騎打ち 中村氏 と 西沢氏

きょう告示 初の東近江市長選

まちづくり推進に大差なく
=「若さ」と「合併に汗」の選択へ=

(湖東・東近江市)
 合併後初の東近江市長選は、二十日に告示される。一市四町合併協議会長を務めた旧八日市市長の中村功一氏(72)と、県議会議員の西沢久夫氏(52)の二人が立候補を予定し、両氏の一騎打ちとなる。昨年十二月初めから後援会組織づくりに取り組み、両陣営は万全の態勢で選挙戦を迎えた。

 合併をまとめ上げた協議会長として、中村氏に総仕上げの責任を託す旧四町の首長はじめ五十人近くの市議が支援に回る。千以上の団体から推薦状が寄せられ、後援会に約二万八千人を集めた。中村氏は、リーダー役として「皆さんと共にかいた汗を新市まちづくりに生かすのが私の責務」とした。

 一方、県議を投げ打ち地域まちづくりに意欲を燃やす西沢氏は、市議十五人近くの支援を受け、旧武村同友会を中心に組織体制を整えてきた。後援会には一万人強が入会しているという。西沢氏は「新しい風を吹かそう」と世代交代を呼び掛け、若返りこそ行政活性化につながり、しがらみからも抜けだせるとも。

 両氏が打ち出す合併後の取り組み姿勢は、まちづくり計画に沿い十年後の東近江市を視野に入れたものだが、安心・安全、環境、福祉、活力、協働、地域重視などのほか行財政改革に大差はない。

 民主党が西沢支援に乗り出したことから、自民党も中村支援の動きを強めた。政党色もさることながら、若さか、合併への汗か、二者択一の選挙になるものとみられる。

中村功一決起集会
千人が結集

自民も支援に乗り出す



 二十日告示の東近江市長選に向け、中村功一後援会は十八日、八日市文化芸術会館で決起集会を開いた。集まった千人以上の支援者を前に旧四町長は、合併協議会長としてのリーダーシップをたたえ、出馬要請した以上「中村市長誕生が使命」と支援を訴えた。

 上野幸夫県議(選対本部長)は「出たい人より、出したい人の見極めが重要」と選挙戦への意気込みを示し、駆け付けた岩永峯一、山下英利、有村治子の各国会議員ほか河本英典前参院議員、北川弥助元県議らが自民党の全面支援を打ち出した。

 中村氏は、合併を「地方分権対策の手段」とした上で「真の目的は新市まちづくりにある」ことを強調。「形はできたが、中身はこれから」と、具体的な推進へ道筋を付けるのが私に与えられた責務」とし、目的達成へ「力を貸して下さい」と、深々と頭を下げた。

 最後に、小寺裕雄県議を中心としたフレッシュの会メンバー百人が壇上に登り、ガンバローコールとともに、今後の健闘を誓い合った。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

田んぼの学校

〜生きものもごはんも田んぼのめぐみ〜

永源寺図書館で講演会
=自然を育てる農業の「新・生産思想」=

▲講師の宇根豊さん
(湖東・東近江市)
 東近江市立永源寺図書館で二十七日、農業と自然を考える講演会『田んぼの学校〜生きものもごはんも田んぼのめぐみ〜』の第一弾「百姓仕事が自然をつくる」が開催される。

 なぜメダカは消えたか、なぜ赤トンボは田んぼをゆりかごに選ぶのか―、農産物の価格・生産を価値とする「経済」が語られ、利益にはならないとして「自然」を無視し続けてきた従来の農政。環境破壊と農業の後退を目の当たりにした現在、価値(金)の世界だけで農業を語るには限界にきていることを誰もが感じ取っている。

 農産物以外にも農業が生産するのが「自然」だと話す、農と自然の研究所代表理事・宇根豊さんは、経済だけで推し量ろうとする近代化を批判し、農の大転換を提案しようと、同講演会の講師を快諾し、「生きものもごはんも田んぼのめぐみ〜百姓が支える豊かな自然〜」をテーマに登壇する。

 宇根さんは、昭和二十五年長崎県生まれ。福岡県の農業改良普及員となって減農薬運動を提唱。農薬散布に対抗する技術を田んぼの中から編み出そうと、農具としての虫見板を普及させ、全国に減農薬意識が広がった。これこそが公的な仕事だと主張し、福岡県内で「農と自然の研究所」を設立するために平成元年、四十九歳で県庁を退職して就農し、同研究所の代表理事を務める。主な著書に「田んぼの学校」「田んぼの忘れもの」「田の虫図鑑」「減農薬のイネつくり」などがある。農学博士。

 各地の講演会で宇根さんは、「安全な農産物が手に入らないという批判はあっても、近代化農業が自然を破壊するという意識は根付いておらず、自然は自ら成るの意味でしかなかった。後退する農業を立て直していくことが我々世代の役割ではないでしょうか」と話し、農業が自然をつくり守っていくという新しい「生産」の思想を広める。

 また、「『メダカやトンボじゃメシは食えない』と声を荒げますが、最後には『もう一度、あのホタルとメダカの川を孫に見せてやりたい』と人々はつぶやきます。これからの社会は、もっと金にならない仕事を大切にしなければ、人間にとって大切なものを失うのです」と、同講演会に思いを寄せている。

 開催時間は午後二時から同四時まで。入場無料。参加申し込みと問い合わせは同図書館(0748―27―8050、FAX27―8090)。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

50年前の世論を検証    

連載・湖東地域の合併

=当時の新聞記事から=

▲昭和の合併と云われた50年前の市町村合併を伝える地元紙「湖東よみうり」
(湖東・東近江市)
 東近江市が誕生して一週間が過ぎ、行政運営はまだスムーズとはいえないものの、何とか大きなミスもなく行政事務が進んでいるように見える。

 いまのところ、市民生活には大きな変化を感じるものは住所表示が変わったぐらいだか、市職員にとっては、職場も変わり人事も変わりで合併の実感を身をもって感じ取っているようだ。

 合併してよかったか、そうでなかったかの結果の評価は、何十年か先の市民に委ねられる。まだ、その答えを明確に示せるものはない。

 ただ、50年前の合併が、市民生活にどんな結果をもたらしたのかは今判断できる。昭和の合併と云われた昭和二十九年ごろの市町村合併の動きを伝える当時の新聞が本社に残されているので、その内容を連載で紹介します。

 その新聞は、本紙の前身である「湖東よみうり」で、故・深田正治社長が主宰し、湖東地域に配布していたローカル紙。

 当時の合併の記事からは、八日市市の新市建設計画や周辺町村の合併の動きのが読みとれ、町の移り変わりの一端を知る面白い読み物となっている。

 当時の合併で議論になっていたことをシリーズで紹介します。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

あの頃と変わらぬ人情

桜川西地区の「小房銀座」

人と人とを結ぶ商店街
=一日限り 区民の手で復活=

▲大勢の人が行き交い活気づいた「小房銀座」
(湖東・蒲生町)
 モノクロの街並に色が戻り、時が経っても変わらぬ人情が、一日限定で蒲生町桜川西地区「小房(おぶさ)銀座」に復活した。近江鉄道桜川駅から現在の町道桜川下田線を結ぶ街道(約二百メートル)を、昔は「小房銀座」と呼んだ。今は賑わいの面影もなくなってしまい、当時の様子を知る人が少なくなってきたが、昭和初期から戦後の昭和四十年代頃まで最も繁栄した商店街で、旧桜川村をはじめ住民の生活拠点として人が行き交い活気に満ちあふれていたという。

 桜川西地区文化部と夢プラン推進委員会、歴史を誘う会は、「第十一回桜川西文化祭」(十一〜十三日)の一事業として、“小房銀座”の再現に取り組んだ。

 昭和に入ると、小房銀座には食料品「富屋」や金物店「鍋兵」、米塩販売「塩半」、金融業「滋賀銀行」と「蒲生銀行」、百貨商「谷茂百貨店」、逓信業「桜川郵便局」、料理仕出し旅館「そば梅」、精肉業「丸喜肉店」、瓦屋「村田<MG CHAR="p","新" SIZE=70.0>瓦店」、履物「谷口履物店」など十一店舗が軒を連ね、村の要だった。

 十三日は、当時の店舗位置に、店名と創業年が書かれた手作り看板が掲げられ、地元の人々は「昔のことが思い出されて懐かしさがこみ上げてくる」と気取らずに普段着で出掛けられた銀座通りに浸り、「小さい頃、銀座通りの前を歩いていると、料理仕出し屋から三味線の音がしていた」と幼き記憶に思いをはせていた。

 商店街としての姿は今はないが、雑草だらけの店の跡地を整備したり、屋台の準備をしたりと、区民が力を合わせて成し遂げた一日限りの復活。

 日野警察署の許可を得て、午前十時から歩行者天国となった小房銀座には、同地区組ごとや子ども会、農業組合らによるバザーのほか、焼き鳥・チョコバナナ・釜飯といった屋台約十五店舗がずらりと並び、「おいしいよ。食べていって」と威勢のいいかけ声が飛び交った。
▲我が社のチンドンカーも登場

 大きな爆発音でお馴染みのポン菓子や昭和初期に製造された鍋でじっくり炊き込んだ大根焚なども振る舞われ、老若男女が井戸端会議しながら舌鼓を打った。街を盛り上げるチンドンカーも走り、久々に活気づいた銀座通りは人が集うだけで自然と笑顔になれる場所へと変身した。

 また、地域の財産である歴史を伝えようと、旧滋賀銀行の建物跡を活用して「小房銀座 歴史の館」を仮オープン。館内には、各家庭に眠っていた農機具や生活用品など約百点を展示。訪れた子どもたちは、初めて見る道具の数々に目を丸くし、高齢者から使い方などを教わっていた。

 さらに、昭和初期に製造された手動の蓄音機が、今も現役で昔と変わらぬ音色を響かせた。昭和三十年代の曲“こんなべっぴんみたことない”などレコード板に針を乗せ、聞えてくる流行歌に来館者はしばし酔いしれていた。この歴史の館は、常設展示も検討しているという。

 出会い・触れ合いを大切に、「<RUBY CHAR="集","つどう">」をテーマとした今回の文化祭。同地区の杉島市造文化部長(56)は、「みなさんの協力あってこその文化祭だったので、多くの人の支援と賛同を得られたことがうれしくて、本当にありがとうという気持ちでいっぱいだ。会社務めとはまた違ったまちづくりという生きがいに触れ、老若男女がいきいきとしている。これからも、昔賑やかだった通りや地域の歴史を、若い人に継承していきたい」と語り、区民の笑顔同様に手応えとやりがいを感じていた。


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ

編入への不安 払拭が責務

=能登川町の合併住民説明会=

▲東近江市への編入合併に関する能登川町の住民説明会
(湖東・能登川町)
 東近江市、能登川町、蒲生町の1市2町合併に関する住民説明会が十、十二、十三日に能登川町で開かれ、全体的に編入合併に対する住民の不安が表立った。なかには「東近江市に何が起きても合併できるか」といった東近江市長選の行方を懸念する声も出、法定期限内最後の合併として後は無いとする緊迫感と、選挙によって左右しかねない町の将来に不安を隠せない様子だ。

 午後七時半から始まった十日、この日は東学区の住民を対象に開かれ、役場職員を含めて約百五十人が参加した。

 開会あいさつで、宇賀武町長は「交付税の削減に加えて税収は落ち込み、町を取り巻く情勢は非常に厳しく、単独では困難な状況です。重複する事業の無駄を省き、効率的な行財政改革を図る合併は確かな将来を築くためのもの。昨年十月にみなさんのご理解を得て町長を務めさせていただき、1市2町の任意協議会も四回開くことができた。編入の不安はお持ちでしょうが、それらを払拭する責務が我々にあると認識し、寄せられた声を新市に反映させたい」と話した。

 このあと、パワーポイントを用いて、任意協議会で決定した協定十六項目と、合併建設計画の概要、合併後の財政シュミレーションなどが説明された。

 質疑応答で、質問のあった「編入と吸収合併の違い」について事務局は「明治、昭和の合併は国の指導によって協議もなされないまま合併したが、今回は、行政・議会・住民代表らが十分に協議し合い、自主自立に向けて声が反映されている」と答えた。これに対して住民は「編入であろうが気兼ねせず、精一杯に議論してほしい」と要望した。

 このほか、既存の町名を使用しない町名・字名の取り扱い方針に、「能登川町の名を残してほしい」「一つの行政区に複数の自治会があるが、どう扱うのか」等の質問があった。

 これについては、一月十四日の区長会に町が「原則、町名は使用しない」と説明しており、どうしても使用したい、または変更したい行政区については、今月末までに区の総意をまとめるよう特例措置を設けている。

 現在のところ、町名の使用を検討していた佐生区(佐生、東佐生)の佐生自治会がアンケートを実施した結果、町名は付けずに読み方を「さそう」から「さそ」に変更することを決めた。また、栗見出在家区も「栗見」を削除して「出在家町」と希望しており、会場の参加者に説明した。また、行政区に複数の自治会がある件については、将来的に「◯丁目◯番地」とする住居表示の変更が検討されている。

 最後に「東近江市に何が起きても、必ず来年一月に合併できるか」と直球が投げ掛けられた。選挙後の首長によって政策変更された先例を心配してのもので、一瞬、会場はどよめいた。

 宇賀町長は、力を込めながら「能登川町、蒲生町が参画する新・東近江市に向けて活発な協議が進み、能登川町の思いはただ一つです。また、東近江市を構成する旧一市四町も真摯に受け止め、十一万四千人のまちづくりへ全身全霊を掛けている」と答えた。 

 


メインメニュー|全 県| 湖東・湖北| 湖南・湖西| 中央政界特報| 社説
今週の運勢| お誕生・他| 今日の首長| 取締情報| リンク| E-Mail

TOP インデックスへ