滋賀報知新聞(ニュース)平成17年8月15日(月)


県に「ゼロ戦」を寄贈

山田利治・滋賀県遺族会長

戦争の生き証人・語り部
=「平和祈念館のシンボルに」=

▲ゼロ戦の上に立つ山田会長
(湖東・東近江市)
 山田利治・滋賀県遺族会会長(69)が自費で購入した零式艦上戦闘機52型「ゼロ戦」の復元機を旧八日市市東沖野の冲原神社に奉納して九年近くになる。戦後六十年を迎えて戦没者への思いを新たにしようと、再び、このゼロ戦を自宅(東近江市尻無町)近くの所有地で組み立て、平和祈念館のシンボルにと、建設計画する県に寄贈することにした。贈呈式は、十三日午前九時からの平和祈願リレー行進出発式の直前に県庁玄関口で行われ、目録が国松善次知事に手渡される。

 山田会長は、パプア・ニューギニアへ海外戦跡慰霊に訪れた平成六年、ジャングルの奥深くに放置され、日の丸が描かれた戦闘機の残骸を見て、同行の稲葉稔前知事が涙して、つぶやかれた言葉「何とか連れて帰れないか」が耳を離れなかったという。 

 この生きた証人を日本のふるさとに連れて帰り、戦争の話はできないものの、平和の喜びを教える語り部にと、戦闘機を日本に持ち帰れるよう各界に働きかけた。ポートモレスビーの日本大使館にも打診したが、五十年も野ざらしになっていたため、運ぶのが不可能との返事を受け断念した。

 稲葉前知事の「平和祈念館の建設は八日市が適当」を受け、何とか「戦闘機を祈念館のシンボルにしたい」との思いがあきらめ切れなかった矢先、戦争遺品収集家の故中川三治郎氏(旧八日市市在住)の紹介を受け、ゼロ戦に出会った時の喜びを昨日のごとく振り返る。
▲県に寄贈の戦闘機「ゼロ戦」復元機

 茨城・霞ヶ浦から持ち帰って組み立て、陸軍八日市飛行場から飛び立つ兵士の無事を祈った冲原神社に奉納したのは、平成八年十一月のことだった。その後は、解体して自分の倉庫に保管し、再び、二日がかりで組み立てられた。

 長さ八・五メートル、高さ四メートル、全翼十一メートル、プロペラ一片一・五メートルの「ゼロ戦」は、時速六百二十キロの最高速度をもち、大東亜決戦機として海軍が最も期待を寄せていた戦闘機だった。ゼロ戦のプロペラは三枚で、今回の復元機が四枚になっていることから、平和祈念館完成までには、本来の三枚に戻すことにしている。

 戦後六十年を経過した今、時代とともに戦争の悲惨さを物語る資料や体験が薄れがちになり、その風化は加速化しつつある。陸軍飛行場のあった八日市には戦争に関する遺品などが数多く残されているが、今回のように実感できるものは数少ない。
 山田会長は、遺族会の仲間と各地の祈念館を訪ね、一番に感銘を受けるのは「無言の歴史の語り部、すな

わちシンボル」と話す。東近江市の布引丘陵に建設される平和祈念館は、戦争の悲惨さ、空しさ、さらに平和の尊さ、ありがたさを訴える「平和学習の発信施設」でなければならない」と強調する。その上で「戦争の生き証人の役目を果たしてくれるものと信じ、寄贈することにした」と、戦闘機にシンボルを託す思いは強い。


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中国・常徳市

友好訪問リポート《下》

=交流の意義と未来=

▲使節団が行くところすべてに歓迎の看板が飾られていた(湖南文理学院の売店前で)
(湖東・東近江市)
 中国の経済発展は、地方都市でも顕著で、訪問した常徳市内でもあちこちで大きな工場や高層ビルの建設工事が進められていた。今回で六度目の訪問となる中村功一市長と五度目の高村与吉議長は、異口同音に「来る度に街が変わっている」とバスの車窓から街を見回した。

 街中を走る車は、日本車が多かった。省都の長沙市ほどの車の混雑はなかったが東近江市の何倍もの交通量だった。バスを降りて驚いたのは、猛烈な暑さだった。日中は連日三十八度Cを超える酷暑で、路上では四十度を超える。加えて湿度が高く、夜になっても蒸し風呂に入っている感じがした。しかし、ほとんどの屋内では冷房が効いて快適だった。

 もてなされた本場の中華料理は、油炒めものばかりではなかった。通訳の羅さんが「これまでの交流で日本人は、激辛の料理や油濃いものは口に合わないことが知られているので特別の調理をした」と話していた。そういえば、中国では食べる習慣のない「サーモンの刺身」も出された席もあり、客をもてなす気遣いにありがたく思った場面でもあった。

 繁華街は、八日市駅前を何十倍も大きくしたほどのスケールがあり、立派なビルも林立していた。(十二日付報知写真新聞に掲載)。街を歩く若い女性も日本人と同じファッションだったし、スーパーの店内も日本と変わらない陳列方法で豊富な商品が並んでいた。物価は、日用雑貨品や食料品以外は、貨幣価値から考えて日本より高いように感じた。

 一歩繁華街を外れると、天秤棒をかついで歩く人やリヤカーで荷物を運ぶ人、路上でスイカを売る人、軒下でのんびりトランプを楽しむ人々など、近代的な街の中に昔の中国が混在していた。

 市街地の規模からすると「我々は、小さな市からやってきて熱烈に歓迎して頂いている」という感想を持った。それは、旧八日市市がこれまで交流を続けてきた成果だろうと強く感じた。事実、湖南省政府関係者から常徳市の交流が一番うまくいっているという、評価を聞いた。

 今回の訪問で一番気になることがあった。それは、戦時中、常徳市は日本軍の七三一部隊が細菌戦を展開して被害を受けた都市で、現在、被害者と遺族が日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしており、それを市民がどう受け止めているのだろうか、ということであった。
▲五強ダムを見学した時の友好親善使節団員と常徳市政府の関係者

 一九四一年十一月、七三一部隊は、飛行機からペスト菌に感染した大量のノミを綿や穀物に混ぜて投下し、大勢の常徳市民がペストに感染して死亡したという事件があった。通訳の羅さんは「現在、およそ四割ぐらいの常徳市民がこのことを知っているだろう」と話していた。

 使節団が訪問する一週間前、東京高裁でその控訴審判決が言い渡され、裁判長は被害事実を認めた上で「戦争被害を受けた個人が加害国に損害賠償を請求する国際慣習法などはない」として控訴を棄却した。原告は上告をめざしている。

 常徳市政府主催の歓迎会に、この裁判に出向いて帰ったばかりという訴訟代表団の一人と偶然にも同席した。日本に戦争責任を追及する姿勢を堅持しながら日本の都市と友好発展をめざしている、ことについて尋ねてみた。すると「戦争の問題といま、我々が目指している友好とは別の話だ。中国人民と日本国民が仲良くすることはみんなが望んでいることだ」と答えた。

 また、他の同席者は「日本と中国は、二千年の交流の歴史がある。戦争はそのうちたった六十年前のことで、比較にならない」とも言った。

 しかし、省都の長沙市でも平和堂前で小規模ながらも抗日デモがあり、公安当局が鎮圧したという話しも聞いた。滋賀県を何度も訪れ、日本をよく知る湖南省政府職員は「日本のテレビがデモばかりを強調して伝えていたのでないか。反日デモに疑問をもっている中国人もいることを知ってほしい」と話していた。懇親の場では、こうした戦後処理の問題をお互い敬遠する雰囲気があるようだった。

 招かれた多くの歓迎会の席で、市の要人からは、発展する中国経済の波に乗って開発が進む常徳市の現状をPRする話が相次ぎ、経済交流を求める思いが伝わってきた。

 今回の友好都市調印で、小学生の絵画が常徳市の学校に送られることになったが、何らかの経済交流が検討課題として挙がってきそうだ。

(畑 多喜男)


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八日市W・D・Cが優勝!

20日にドッジボール全国大会

=憧れのカラーコートへ=

▲ドッジボールの甲子園「全日本ドッジボール選手権」へ出場する八日市W・D・Cのメンバー
(湖東・東近江市)
 滋賀県ドッジボール協会と日本ドッジボール協会主催の「第十五回全日本ドッジボール選手権滋賀県大会」がこのほど、野洲市総合体育館で開催され、東近江市立八日市西小学校の「八日市W・D・C」が優勝に輝いた。今月二十日に開かれる全国大会へ出場する。

ドッジボールの甲子園「全日本ドッジボール選手権」を掛けた強豪二十六チームが競うなか、団結プレーを見せた八日市W・D・Cが優勝を果たし、見事、出場キップを手に入れた。二年前の第十三回大会では三位に入賞しており、今回は優勝を目指して闘志を燃やす。会場は全国大会初の大阪市中央体育館。各都道府大会を制した四十八チームが進む。

 八日市W・D・Cは、六年生八人、五年生二人、四年生三人の少数精鋭チームで、キャプテンの瀧口あやのさん(6年)は「一人ひとりが互いの力を信じ合い、みんなが一つになって悔いの残らない試合をしたい、『一球入魂』で頑張ります」と、頼もしい決意を表明。暑さにも負けず練習に励んでいる。

 監督の瀧口敦之さんは「学年に関係なく、非常に仲のいい子どもたちです。憧れのカラーコートで思いっきりプレーしてほしい」と意気込みを語り、選手らを温かく見守る。選手は次のみなさん(敬称略)。

 瀧口あやの、北岸亮、奥村康晃、宮上勇人、川橋亮介、平田長之、南健隆、山本大介、山本圭介、中西孝紀、川合政志、山辺弘樹、松瀬裕司


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ほしがりません 勝つまでは!

戦時中の子どもたちが見たものとは

=近江日野商人館で「戦争展」=

▲戦時中の人々の声が聞えてきそうな展示品の数々(近江日野商人館で)
(湖東・日野町)
 こんなに平和で自由な日々が、すぐにやって来るとはあの頃は思ってもみなかった―。徹底した軍国教育の中、小学五年生のときに終戦を迎え、玉音放送を聞いた男性は静かに戦後六十年を振り返る。忘れてはいけないことが忘れられてしまいそうになっている今、二度と戦争の愚を繰り返さないためにと、戦時中の子どもたちに焦点を当てた「第十八回日野と太平洋戦争展」が、日野町大窪にある近江日野商人館(正野雄三館長)で開かれている。会期は三十一日まで。

 木造瓦葺きの日本家屋が資料館となっている同館に、一歩足を踏み入れると、蝉の声とともにタイムスリップしたような錯覚に陥る。畳部屋に並べられている展示品からは、戦時中の人々の声が聞えてくるようで、多くの犠牲の上に現在の平和が成り立っていることに気付く。

 戦争体験者にはその非道さを伝える重要な使命があると、正野館長は長年収集してきた戦時中の品々を、これまで十七回におよぶ戦争展で紹介し、今回は総まとめとして地元住民から提供された物も含めて約二百点を展示している。

 特に、“ほしがりません勝つまでは”と幼い頃から我慢を強いられてきた子どもにスポットを当てたコーナーでは、軍事色一色の塗り絵やマンガといった遊び道具、教科書、絵の具などの学用品、高射砲と軍人の絵が印刷されているお菓子の袋のほか、正野館長が手作りした土人形が並ぶ。

 学校での伏せの練習や我慢する心を育てるためにと素足でのにわとり通学、お国のために死ぬことは誇りであると教えられ散っていった人々の遺骨迎え、日の丸の小旗を振り万歳しながらの兵隊送りなど、リアルに再現された土人形が戦争を知らない世代の想像力をかき立てる。

 なぜ、遊び好きで食べ盛りの子どもたちが我慢できたのか―。徹底した軍国教育はもちろんのこと、お国のためとはいえ、親や兄弟、子ども、愛する人のために命をかけた大人の後ろ姿を見ていたからではないだろうか。

 展示品の中には、軍服や防毒マスク、戦闘帽、軍靴、鉄かぶとなど召集を受けた男子学生に支給された品々のほか、必ず生きて帰って来てほしいとの願いが込められ「祈武運長久」と記された千人針、出征する兵隊を見送るときに掲げられたのぼり旗などがあり、召集令状一枚で家族をおいて戦地に向かわねばならなかった成人男性また志願兵として軍服に身を包み教室をあとにした男子学生の姿が目に浮かぶ。

 男性だけでなく、学徒動員で“神風はちまき”を締めて名古屋の工場へと出発する日野高等女学校の生徒の様子を捉えた写真は、キリッとした顔付きが印象的で、工場が爆撃を受け学校長が出向いていた女学生たちを引き上げさせたという逸話も残っているという。

 このほか、同館が独自に戦争体験をまとめた記録集も閲覧でき、家族が揃って暮らすという当たり前のことが許されなかった時代を知ることで、今の幸せまた命の大切さが実感できる。

 入場料は、大人三百円、小中学生百二十円。休館日は毎週月曜日と金曜日。開館時間は、午前九時から午後四時まで。詳しくは、近江日野商人館(電話52―0007)へ。


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第2分団 消防センター完成

安土町東老蘇に新築

防火・防災拠点施設を整備
=災害発生時へ備蓄倉庫併設=

▲完成した安土町消防団第2分団消防センター
(湖東・安土町)
 安土町は、町南部地域の防災拠点施設として町消防団第二分団消防センターを同町東老蘇に建設、十日、竣工式で完成を祝い、住民の安全確保への誓いを新たにした。

 同センター完成で、町消防団の第一分団消防センターと町コミュニティー防災センター(いずれも町役場内)を合わせた、消防・防災の拠点施設が整った。

▲非常用品を格納した備蓄倉庫
 グリーン近江農協老蘇支店向かいに完成したセンターは、昨年十二月に着工、今年七月末に完成した。鉄骨平屋建特殊銅板段瓦葺で、延床面積は約一一〇平方メートル。消防車輛二台分のスペースを持つ消防車庫、消防団員の詰所、飲料水・毛布・食料・簡易トイレ・応急処置資材・救助機材など、災害時に備えた非常用品などを格納した備蓄倉庫などがある。

 竣工式には、津村孝司町、大林輝男町議会議長をはじめ、地元区長、消防団、町など、関係者ら約二十人が出席。神事のあと、簡単なあいさつなどの式が行われた。

 津村町長が「多くの方々の協力により完成することができました。消防、防災の拠点として、十分活用されるよう願います」、大林町議長が「西老蘇・東老蘇・内野など、長年の地元住民の願いであった。住民の生命と財産を守るための拠点に」と完成を祝い、田中明町消防団長が「住民の安全・安心にこたえていけるよう、一層、努力して参ります」と決意を述べた。

 


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