平成18年6月25日(日)第14448号

◆東近江・東近江市◆
県議補選(八日市市選挙区)
山田候補 県政に新しい風を
中島候補 東近江を変えたい
=元職と新人の一騎打ち=

◆東近江・東近江市◆
4選挙区で県議補選告示
神崎郡は無投票
=宇賀さん当選=


◆東近江・東近江市◆
市内小・中学校
32校の特色紹介
=市教育研究所=


◆東近江・近江八幡市◆
八幡商人の引き札を図録化
明治・大正の広告鮮明に
=フルカラー 資料館で販売中=


◆東近江・安土町◆
お披露目兼ねて展示
県立安土城考古博物館
新発見含む新購入資料6点
=7月2日まで 戦国ロマン=


県議補選(八日市市選挙区)

山田候補 県政に新しい風を
中島候補 東近江を変えたい
=元職と新人の一騎打ち=


◆東近江・東近江市◆

 二十三日に告示された県議補選の八日市市選挙区(被選挙数一)には、東近江NPO運営委員長で新人の山田実氏(55)=民主推薦=と、元自民県議の中島敏氏(58)の無所属二人が立候補した。知事選で相乗りの自民(元職)と民主(新人)の一騎打ちとなり、スタート直後から激戦の様相をうかがわせている。有権者は三万四千八百七人。知事選と同日の七月二日に投開票される。

 山田候補の出陣式は、名神八日市インター前の焼肉レストラン大陸園駐車場に設けた事務所前で行われ、集まった支援者ら約二百五十人を前に、推薦の民主党と連合滋賀のスクラム体制の強化と結束を呼び掛けた。

 川端達夫、奥村展三、林久美子の各国会議員ほか連合の中村憲市会長らが激励に訪れ、それぞれ「山田候補を県政の場へ」と訴えた。特に奥村、林両議員は選挙カーに乗り込むなど、必勝に向けての力を込める。

 山田候補は、不信感が漂う政治を変えるには「新しい風を吹き込まなければ変わらない」と訴え、環境やMPO、ボランティア、自治会活動での経験を生かし「新しい自治の形を東近江から県政に持ち込み、生活者の思い、働く者の痛みが県政に反映されるよう頑張る」と第一声を挙げた。

 一方、聖徳中学校に隣接の自宅に事務所を構える中島候補の出陣式には、百五十人が激励に訪れた。三日間で臨戦態勢を整え、多くの支持者が集まるなど、三期十二年の県議経験と過去四回の選挙実績を見せ付けた。

 寺村義和、畑博夫市議や大洞共一、深尾俊幸、丁野永正元市議ほか、これまでの選挙を支えてきたときめきの会メンバーらが中心となり、九日間の選挙戦を戦い抜こうと、ガンバローコールで結束を誓った。

 中島候補は第一声で「三年間の浪人生活から、私には政治の道しかないことを悟った」と振り返り、相談を受けても「現役でないと手助けできないことも知らされた。自分の力が発揮できる場を与えてほしい」と訴え、東近江を変えるため「選挙戦では政治への思いをぶつけていく」と。


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4選挙区で県議補選告示

神崎郡は無投票

=宇賀さん当選=



▲大勢の支持者に囲まれ、当選を喜ぶ宇賀さん
◆東近江・東近江市◆

 県議会議員補欠選挙が告示され、四つの選挙区のうち高島市・長浜市・八日市市の三選挙区で選挙戦がスタートした。神崎郡選挙区では、自民党公認新人で元能登川町長の宇賀武氏(58)=東近江市今町=以外に届け出はなく、無投票当選が決まった。

 宇賀氏は、能登川町青年団長を経て昭和六十三年に町議会議員に初当選。四期連続当選を果たし、布引斎苑組合議長、神崎郡議会議長会会長、県市町村議会議長会副会長などを歴任したほか、平成九年から通算六年、議長を務め、過渡期(合併)にあった十六年十月、能登川町最後の町長に就任、今年一月の合併で失職した。早くから、故大谷元太郎県議の後継と期待され、地元・能登川地区から後援組織が拡大し、永源寺地区にも後援会支部が発足。多くの市議、元町議らの支持を受けたこともあり、無投票での当選が決まった。

 地元の今公民館では、立候補の届け出が締め切られた午後五時、待ち構えていた支持者らから大きな拍手がわき起こり、宇賀県議の誕生を喜び合った。また、自民党県連会長の宇野治衆院議員や、岩永峯一衆院議員(代理)、山下英利参院議員(代理)、吉澤克美市議会議長らが駆け付け、会場の全員で万歳三唱を繰り返した。

 あいさつに立った宇賀さんは「無投票ではありますが、この重みをしっかりと受け止め、県政のいや栄えと地域、東近江市の発展に力を尽くしたい」と深々と頭を下げ、続けて「本格的な地方分権の中、行政と政治の舵取りが問われる大切な時期であり、少子高齢対策、基幹産業・地域振興としての農業、商工業発展など喫緊の課題。また、県下三番目の大きな市になった東近江市だが、盤石な礎を築くことが大切。暮らしよいまちづくりへ誠心誠意、頑張りたい」と力強く抱負を語った。
 このあと、女性支持者から花束が贈られ、高々と掲げながら「ありがとうございます」と繰り返し、満面の笑みをほころばせた。


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▲市役所本庁一階ロビーで開かれている学校紹介のパネル展
市内小・中学校

32校の特色紹介

=市教育研究所=


◆東近江・東近江市◆

 東近江市教育研究所は、二度の合併により三十二校になった市立の小・中学校の教育方針や特色ある授業と成果などを広く市民に知ってもらおうと、紹介パネルを作成し、二十一日から市役所本庁一階ホールで展示を始めた。二十八日からはアピア四階の情報プラザでも展示し、多くの市民に見てもらえる機会を増やすことにしている。

 展示パネルには、教育研究所が取り組んでいる「三方よしの教育方針」や具体的な事業の内容を解説したものも加え、市の学校教育の現状を伝えている。


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八幡商人の引き札を図録化

明治・大正の広告鮮明に

=フルカラー 資料館で販売中=



▲刊行した「八幡商人の華麗なる商い 引き札と広告」
◆東近江・近江八幡市◆

 近江八幡市立資料館(新町二丁目)は、明治・大正期に市内の商家が広告宣伝に配った「引き札」を紹介する図録「八幡商人の華麗なる商い 引き札と広告」をこのほど刊行し、販売している。

 昨年秋に開催された市制五十周年記念特別展「八幡商人の華麗なる商い――百年前の引き札とカタログ展――」で展示された引き札六十三点をカラーで収録し、解説をつけた。

 また、引き札製作のためのサンプル画集「引き札見本」、大正四年発行の八幡町明細地図と実業者案内、御婚礼調度御案内などの共同広告、開店記念や大売り出しの宣伝広告なども紹介する。

 掲載された引き札は、同館所蔵や市民からの協力などにより集められたもので、武者、七福神、子どもや女性、鶴亀などの色鮮やかな絵や、暦(こよみ)、当時としては珍しい写真などが使われている。

 それぞれの引き札からは当時の生活や文化を知ることができ、貴重な資料として、また、印刷技術などの面からも楽しむことができる。

 A4版九十六ページ(カラー八十ページ)、一千部発行し、五百部を一冊一千五百円で販売している。問い合わせは、市立資料館(TEL0748―32―7048)まで。


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お披露目兼ねて展示

県立安土城考古博物館

新発見含む新購入資料6点
=7月2日まで 戦国ロマン=



▲「織田信雄書状」
◆東近江・安土町◆

 県立安土城考古博物館(安土町下豊浦)は、昨年度購入した「織田信雄(のぶかつ)書状」など新資料五点と、このほど修復を終えた「顕如画像」のお披露目を兼ねた公開展示を、第二常設展示室で行っている。七月二日まで。

 「織田信雄書状」(縦二十六・七センチ、横三十八センチ)は、信長の死後に羽柴秀吉と覇権を争った信長の二男・信雄が天正十二年(一五八四)卯(四)月二日に、家臣の吉村又吉郎に、小牧長久手合戦の際に和泉(大阪府南部)の岸和田城を包囲した紀州の根来・雑賀衆からの戦況報告を伝えたもの。久米田で鉄炮二万丁を使い七百人余の死者が出たことや、大坂に進軍して天王寺や難波などを焼き払ったなどと、かなりこ大表記され、戦下の混乱、偽情報のまん延さえうかがえる。京都の古美術商から購入。信雄の資料はこれで三点目。信長死後の天下取り競争の経過や、力を失っていく子供たちの動きを見る上で、大変輿味深い。

 「桶長諳(くすのきちょうあん)書状」(縦十二・九センチ、横四十三・八センチ)は、元亀三年(一五七二)閏(うるう)正月九日付けで、信長の代筆役「右筆(ゆうひつ)」を務めた側近の桶長諳(実名・正虎)が、信長の前に仕えていた松永久秀の家臣だったころのもので、将軍足利義昭や京都の情勢が記され、信長の名を呼び捨てしている。京都の古美術商の紹介で購入。信長の自筆を確定する手がかりとなる右筆の自筆文書を入手できたことに、大変意義がある。

 「木下秀吉書状」(縦十八・二センチ、横三十六・七センチ)は、名主百姓中に宛てたもの。内容は、京都南禅寺末寺である法皇寺の末寺領を安堵した旨を、寺領の百姓たちに知らせたもの。永禄十一年(一五六九)の信長の上洛に従った秀吉が、京都中央の政務に携わっていた時のもの。年紀はないが、同十二年から元亀三年(一五七二)頃と考えられる。京都の古美術商から購入。木下姓の文書は非常に少なく、同館でもはじめての収蔵で、希少性からも重要。戦闘以外の秀吉の働きや政治手腕を知ることができる。

▲「木下秀吉書状」
 「六角定頼書状」(縦二十五センチ、横四十・四センチ)は新発見の文書。鎌倉から戦国時代まで、近江守護として南近江の覇権を握っていた佐々木六角氏の中でも、京都を逐われた第十二代将軍足利義晴を桑実寺(安土町)にかくまったり、京都に軍隊を派遣したりして、大名として最も発言力を持っていた定頼が、宜竹軒(ぎちくけん)というところから贈られた年始の祝儀に対し書いた礼状。京都の古美術商から購入。六角氏当主の高頼(定頼の父)・義賢(子)・義治(孫)の資料は収蔵するが、定頼のものは初めて。

 「木曽路名所図会(ずえ)」(縦二十六センチ、横十八・四センチ)は、文化二年(一八〇五)に秋里籬島(あきさと・りとう)が刊行した七冊の地誌の初版本。木曽路(中山道)を、挿絵と文書で紹介している。近江の部分で沿線の名所・旧跡が扱われており、信長が安土山中に建てたそうけん寺や、観音寺城跡の江戸時代の様子がわかる。東京の古書店から購入。安土城や観音寺城などは絵画資料が全く残されていないため、貴重。

 「顕如画像」(縦九十六・七センチ、横三十九・四センチ)は、江戸時代初期のもの。浄土真宗総本山、本願寺の第十一世法主(ほっす)である顕如を描く。大坂に本拠を構えていた本願寺の顕如ははじめ、信長と友好関係を結んでいたが、元亀元年(一五七〇)、全国の門徒に信長に対する蜂起を呼びかけ、一向一挨や本願寺との戦いは、その後十年の間、天下統一を目指す信長を苦しめた。作品は、信者もしくは寺院に与えられたものの一つと考えられる。丁寧な描き方から、江戸時代早期の作と思われる。三重県在住の所蔵者からの紹介で平成十五年に購入、十六年度に修理した。古い時期に描かれているという点でも、珍しい。顕如の息子で信長に徹底抗戦を主張した教如の画像を平成八年度に購入しており、今回、親子の画像がそろった。

 入館料は、大人三百五十円・高大生二百円・小人百二十円。月曜日休館。問い合わせは、同館(TEL0748―46―2424)まで。


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