中島伸男氏が機関誌「蒲生野」に発表
◇東近江
世界中の映画ファンを魅了した三船敏郎が平成九年暮に他界して十年になる。羅生門、七人の侍、用心棒ほか、外国映画「大平洋の地獄」「レッド・サン」にも出演し、国際俳優としての名声も高い。
この「世界のミフネ」が、戦時中に陸軍八日市飛行場第八航空教育隊に所属していたことは比較的よく知られているが、軍隊での生活ぶりは、ほとんど知られていない。
八日市郷土文化研究会の中島伸男会長は、ミフネ没後十年を機に何とか調べ書き残したいと、同研究会の機関誌「蒲生野(発足40周年記念号)」に『世界のミフネの航空兵時代』を発表した。
中島会長は、陸軍八日市飛行場についての話を収集していく中で、三船敏郎と共に八日市で軍隊生活を送っていた二人から航空兵時代についての話を聞く機会を得た。
二人からかなり具体的な『三船像』を聞くことができたので、これらをまとめて「三船敏郎さん没後十年への餞(はなむけ)としたい」と前置きし、ペンを走らせている。
同じ中隊の同じ班に所属していた林信一さん(大阪市)は、当時の三船敏郎の生活ぶりを振り返る。第七中隊の古参兵(現役の上等兵)で、特業(特別業務の略)の基幹兵(上等兵)として、炊事場に泊まり込み食事作りの責任者をしていた。
しばしば同期の古参兵のために「特別料理」を作り、消灯後に仲間数人を集め、車座になって酒盛りを始めたが、三船上等兵は先輩だったので、黙って見過ごさざるを得なかった。
将校を軍刀で斬り付け「対上官反抗」の大罪で重営倉(兵営内の拘置施設)に入れられていた松本上等兵を営巣から連れ出し、風呂に入れたり、一緒に食事をもした。
食事をしながら「腹が立っても俺みたいバカなことはするな」とたしなめた。林さんは、三船上等兵の大胆な行動や暖かな人柄を「忘れることができない」と今も語る。
一方、同じ教育隊にいた寺井善七さん(京都市)は、飛行場の格納庫で行われた「部隊祭」での様子を鮮明に記憶している。サイパン玉砕をテーマにした演劇を観ていた兵隊たちの会話はこうだ。
「あの将校(主人公)はなかなか立派やないか。だれがやっとるんや」…。「兵隊らしいよ。ミフネとかいう上等兵らしいぜ」。戦後の同期会では、しばしば当時の話が出て「映画俳優になる人間がやっとったのやから、上手で当たり前じゃ」と。
筆者の中島会長は、三船像について「おそらく彼は軍隊内での栄達にほとんど関心がなかったのであろうし、自由闊達な個性は旧陸軍の軍律に収まりきらなかった。しかし、個々人の能力が尊重される戦後社会の到来により、その才能は一挙に銀幕で花を咲かせた」とペンを置く。
世界のミフネ航空兵時代を掲載した機関誌「蒲生野」は、会員以外の一般にも一部二千円で頒布され、希望者は、中島会長(TEL0748―23―2255)か藤本長藏事務局長(TEL0749―45―1486)へ申し込む。






