八日市郷土文化研究会「蒲生野」に紹介
◇東近江
八日市郷土文化研究会の中島伸男会長が機関誌「蒲生野40号」に紹介した「世界のミフネの航空兵時代」で、掲載された当時の故三船敏郎さんの写真二枚から、戦時中に陸軍八日市飛行場教育隊に所属していたことが証明された。
今年一月、東近江市が生んだ映画監督・出目昌伸さんを招いて同研究会が催した講演会で、中島会長は出目監督に「三船敏郎さんの軍隊生活」について話す機会を持った。なぜなら出目監督は、黒沢明監督の愛弟子で、生前の三船さんとも懇意にしていたと聞いていたからである。
出目監督は「確かご子息の三船史郎さんが、八日市飛行隊時代のお父さんの写真を残しておかれたと思う。貸していただけるよう私から頼んであげよう」と、三枚の写真が届けられた。
うち二枚の写真について、中島会長は次のように分析している。軍服を着た上半身の写真は、八日市の写真館で撮影したものかも知れない。澄み切った目が一直線に相手を見つめている。
こんな情熱的な瞳で見つめられたら、女性ならずとも、ついふらふらとしてしまう。その襟には「98」のマークが付いている。まさしく中部九八部隊(第八航空教育隊)の襟章である。
一方、飛行服は着ているが、脱いだ飛行帽を右手に持ち、坊主頭の立ち姿の写真の背景には、小さく航空機の機首部分が写っている。これだけで航空機の機首が判定できないものだろうか…。
その方面の知識がまったくないので、写真をコピーして東京の小杉弘一さんに送り判断を仰いでいる。小杉さんは、八日市飛行場で戦闘機を隠す「掩体壕づくり」にかかわった一人である。
小杉さんの回答は、細部が明確に写っていないので断言はできないが「三菱九七式軽爆撃機(キ三〇)もしくは三菱九九式偵察機(キ五一)ではないか」とのこと。いずれも日中戦争時に活躍し、太平洋戦争初期まで使われた航空機だという。
小杉さんが、三船さんの背景に写る航空機の機種判定に当たって、「世界の翼」(朝日新聞社)を参考に根拠とされたのは次の三点である。
(1)固定脚であること。
(2)車輪にカバーが付いているが、外側から車輪が見えていること。
(3)プロペラは、I型でなくY型と推定されること。
三船さんの写真から、中島会長は「当時の八日市飛行場の配備機を推定する貴重な資料になった」と、忘れ去られると同時に置き去りにされがちな郷土の歴史研究にさらなる意欲を燃やす。機関誌「蒲生野」については、藤本長蔵事務局長(TEL0749―45―1486)へ問い合わせる。一部二千円。








