伊庭庄の歴史を語る会
◇東近江
伊庭庄の歴史を語る会(福嶋崇雄会長)は先月三十日、結成五周年を記念し、集落内を流れる伊庭川の正嚴寺橋から謹節館前までの区間で、田舟で遡上(そじょう)して稲刈りに向かう約六十年前の光景を再現した。
琵琶湖の有力な港として栄えた伊庭。集落の内外に水路が縦横に張りめぐらされた生活には、田舟が欠かせず、明治初期に四百八十二艘(明治十五年の戸数五百五戸)あったとの記録が残っている。三艘が行き交える川幅で、各家のカワトには係留スペースが設けられていたという。
田舟は、主に内湖への漁労や水田への往来に活用され、現代の軽トラのような役割を果たしていた。そんな昭和二十年代の光景を、京都大学大学院景観設計学研究室自主プロジェクト「伊庭の景色を考える会」の学生や伊庭町自治会、伊庭水郷美化保存会、東近江市、東近江市教育委員会の協力を得て、再現した。
肝心な田舟は、近隣からもらい受け、伊庭庄の歴史を語る会の会員が繊維強化プラスチックなどを貼って強度を高め、浸水を防ぐ修復を重ねたもの。
記念イベント当日は、地元住民約五十人が見守る中、全長約八メートル、幅約一・二メートルの田舟に、足踏み式の稲こきやむしろ、ほうしこ、籾どおし、弁当箱、やかんなどを積み込んだ。
田舟の操縦は、船首につけた綱を引く人・船首に竿をさし舟が岸に当たらないよう間隔を保つ人・船尾にいて竿で舟をこぐ人の三人一組で行う。昔は“引き綱は嫁、船首に竿をさして舵をとるのは家の主、船尾で舟をこぐのは息子”という役割分担が普通だったとか。
今では田舟一艘進むのが目いっぱいの川幅だが、当時の暮らしを覚えている高齢者らは「懐かしい」と声をあげ、「橋の下に差し掛かると、ロープで舟を引っ張って通り抜けたことを、今でも覚えている」や「生きているうちにもう一度、こういった光景が見られるとは思ってもいなかった」、「こうやって再現してくれる人がいることがうれしい」と感慨にひたっていた。
福嶋会長は「伊庭庄の歴史を語る会を五人で発足してから、今では二十人ほどが毎月寄って伊庭のことを知り、極めようと取り組んでいる。あるとき、伊庭町を訪れた大学教授が『田舟が一艘もないのは残念』と話されたのがきっかけで、田舟を一艘でも浮かべようと修復を行った。これで伊庭らしい情緒が生み出せれば」と語り、水辺の集落が培ってきた生活文化の継承バトンの一つに田舟を加えた。
伊庭町の集落景観は、「近江水の宝」に選定されている。東近江市は、この湖辺集落を文化的景観として重点的に保全継承していくため「景観形成重点地区」の指定を目指している。








