リンチ殺人で息子を失った青木さん
◇大津
いじめやリンチ事件で命を落とした子どもたちのパネル展が八月二十九日から今月二日まで、大津市の大津百町館で開かれた。大津市で十一年前に起こった少年暴行事件で次男の悠君(当時16)を亡くした青木和代さん(63)=大津市=は、同市立中学二年の男子生徒(当時13)が昨年十月に自殺した問題を重く受け止めて、いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の協力で開催した。パネル展示では、全国の十三~十七歳で亡くなった十五人の写真や遺書、遺族からのメッセージが紹介され、詰めかけた人の多くが目に涙を浮かべていた。パネル展を成功させた青木さんに思いを聞いた。 【石川政実】
―昨年十月に自殺した大津市の男子生徒が通っていた中学校は、息子さんの悠君が卒業した学校でしたね。
青木 ええ、そんな縁で、命のメッセージ展をやろうと、いじめ問題の解決に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の小森さんに相談して、なんとか開催できてホッとしています。
―リンチを受けて亡くなられた悠君は、頑張り屋だったと聞いていますが。
青木 平成十一年に交通事故に遭い、右脳を強打し脳挫傷で重体となりました。七か月の入院生活を送り、持ち前の気力でリハビリを続けて、足を引きずりながらも、なんとか歩けるまでに回復しました。私も会社に勤めながら、毎日、病院に通う毎日でした。
そして中学を卒業した息子は、定時制高校に入学しました。担任の先生からのアドバイスもあり、家業の佃煮(つくだに)屋を継ぐために京都の大学を受けようと猛勉強し、全日制高校に合格しました。
しかし、息子の全日制合格を快く思わなかった少年A(当時15)と少年B(当時17)が十三年三月三十一日、「合格祝いにカラオケをおごってやるよ」と、待ち合わせ場所として市内の小学校に呼び出した。
そこには加害者のA、B、そして見張り役の三人の計五人の少年がいました。「障害者のくせに全日制に行くのはなまいきや」とAとBが息子を七十回以上殴り、プロレス技のバックドロップやパイルドライバーを繰り返し、リンチを何時間も続けました。暴行から三時間後に息子の友人が学校に駆けつけて、電話があり、私が一一九番して、大津市民病院に搬送されたのです。
同年四月六日、息子の耳元で「悔しかったやろ、お母さん助けられなくてごめん」と泣き叫んでいたら、息子の目から涙がすーと流れました、やがて心臓が止まりました。つらいリハビリを乗り越えて、やっと全日制に合格したのに、なんでこんなむごい仕打ちを受けなければならないのか、加害者に対する怒りがわき上がりました。どうして人間はここまで残忍になれるのかと。加害者の少年らは少年法で守られるのに、死んだ息子は戻ってきません
―改正少年法施行の前日に起こった事件だったこともあり、悠君に手を出したAとBは刑事裁判にかけられることなく少年院送りとなり、取り囲んで見ていた三人は不処分となりましたね。
青木 許せないと十三年八月、AとBと保護者を相手取って損害賠償を求めて提訴しました。そして十五年に和解。十六年一月には、見張り役でリンチを見ていて止めもしなかった三人と両親に損害賠償を求めて提訴しました。しかし二十年二月、最高裁は上告を棄却しました。私の七年間の訴訟は、ようやく終わったのです。
息子が遭ったリンチ殺人や大津のいじめ自殺事件を二度と繰り返さないためにも、子どもたちには命の大切さを学んでほしい。今回のようなパネル展が県内の各市町や学校でもっと開催できれば、いじめが少しでもなくなるかも知れませんね。
―息子さんが亡くなられて、十一年がたちましたが。
青木 事件後、勤めていた会社を早期退職し、息子の夢であった家業の佃煮屋を営んでいます。正直、加害者は今も憎い。でも佃煮をつくるときは、何もかも忘れて優しい気持ちでつくらないと、いい昆布巻はできません。 息子が日記に残した「尊敬する人はお母さん」の言葉を大切にして、現在も尊敬されるように生きていきます。







