参院選比例代表 得意の領土問題訴える有村治子氏
今月一日、大津市の大津プリンスホテルで「自民党県連政経パーティー」が開かれた。昨年十二月の総選挙で議席を奪還した四人の県選出の代議士が壇上に並ぶのを隔世の感で眺めていた女性がいた。七月の参院選比例代表(全国区)で三選を目指す有村治子参院議員である。参院選比例代表に出馬予定の県出身の候補予定者として、先週の奥村展三(民主)に続いて、今回は自民の有村を追った。
(文中敬称略)【石川政実】
滋賀県出身の誇り胸に
県内は前回比2倍の5万票目標
●県連中興の祖
二十二年七月十一日、自民党県連役員は茫然(ぼうぜん)自失だった。自民党県連会長を辞めて知事選に出馬した上野賢一郎(現衆院議員)が現職の嘉田由紀子知事に、同日の参院選滋賀選挙区でも自民新人の武村展英(同)が民主現職の林久美子に大敗したのだ。
同党県連は、十八年に行われた知事選で現職知事を推薦して嘉田に敗れて以降、十九年の県議選と参院選(現職であった山下英利落選)、二十一年の衆院選(四小選挙区で議席ゼロに)、二十二年の知事選、参院選と六連敗だった。
このため自民党県連の石田祐介幹事長(当時)らは、思い切った改革を図ろうと清新な県連会長候補として、有村に白羽の矢を立てて、二十二年九月に上京し、必死にアタックを続けた。
●煮え湯飲まされる
身を隠すかのように個人演説会場の壇上の端から「山下アニキをなんとしても国会へ送り出してください」と涙ながらに訴えていた。 「治子!」。会場では大きな掛け声と拍手が鳴り止まなかった。有村は、山下に小さく会釈して、会場を後にした。
これは十九年七月二十六日、近江八幡市文化会館で開かれた山下の個人演説会の一幕だ。
有村が壇上に立てなかったのは、自民党県連が山本香苗(かなえ)を抱える公明党へ配慮したからだ。なお山下はこの時、人生で初めての土下座を行った。
煮え湯を飲ました県連が最後の切り札として、県連会長就任を懇願するという運命の皮肉に、有村は戸惑いを隠せなかった。
結局、有村は二十二年十月、自民再生のために県連会長を引き受けた。そして翌二十三年四月、自民は県議選で圧勝し、今日の隆盛を手に入れる。
●ガチンコの訴え
今月一日、大津プリンスホテルで「自民党県連政経パーティー」が開かれた。壇上に四人の滋賀県選出の代議士が並ぶ光景を有村は“隔世の感”で眺めていた。
梅村正・公明党県本部代表は「自民党と公明党の歴史は古い。信頼関係をさらに確かなものにするため、私どもは滋賀選挙区は二之湯さんに全力を挙げるかわりに、全国区では山本香苗にご支援を」と訴えた。
その後、あいさつに立った有村は「山本香苗さんは、比例区で約百万票をとっておられる。これに対し、私の第一回目(十三年)は十万票、二回目は二十万票にすぎない。私のよりどころは出身の滋賀県しかない。どうか戦う力を滋賀選挙区は二之湯、比例区は有村に与えてください」と切り返した。
有村は初当選以来、日本の安全や領土問題に取り組み、党内でもタカ派で知られている。尖閣諸島や竹島などの問題が噴出する中、あたかも時代が有村にすり寄ってきたかのようだ。
●初めて得票目標公表
そんな有村だが「選挙をする度にこわくなる」という。十九年七月二十九日投票の参院選。有村が当選を知ったのは、翌日の午前五時七分だった。前日にマスコミの友人から「出口調査では当選圏外であり、敗北のコメントの用意を」との電話があっただけに、思わず腰が抜けた。
ちなみに過去の得票は、初当選の十三年が滋賀県内では約九千二百票(比例区全体で約十一万四千二百票)、十九年が約二万二千七百票(約二十万一千三百票)と倍増。
有村はこの十五日の決起大会で初めて、県内の目標得票数「五万票」を公表した。それは自負でもあった。自民党再生のため、過去の怨讐(おんしゅう)を超えて引き受けた県連会長。その“男気”ならぬ“女気”に自民党県連は応えることができるだろうか。
≪有村治子氏のプロフィール≫
平成十三年、社会人大学院生として青山学院大学大学院博士課程に在籍中、参議院選挙比例代表(全国区)で初当選。
十七~十八年 文部科学大臣政務官として教育基本法改正に取り組む。
十九年 参議選で二期目の当選。自民党女性局長、参議院環境委員長などを歴任。
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今夏の参議院選挙に向け、神道政治連盟、日本遺族会、日本保育推進連盟などが推薦。







