史跡紫香楽宮跡に追加指定
◇甲賀
国の文化審議会は十九日に開催され、甲賀市信楽町の史跡紫香楽宮跡(しせきしがらきのみやあと)の追加指定を文部科学大臣に答申した。この追加指定により滋賀県内の史跡は四十七件となる。
今回、史跡に追加指定される地域は、「史跡紫香楽宮跡(大路跡)=新宮神社地区」の北半部に位置する山林内にあり、幅員約十二メートル、推定長約八十五メートルの切通しを伴う古代官道が明瞭に残っている個所。周辺はすでに指定地となっており、文部科学大臣が土地所有者から史跡指定に対する同意を得たことから、文化庁に史跡指定について意見具申を行い、十九日の国の文化審議会で追加指定の答申を得たもの。
これにより、紫香楽宮跡は、大正十五年に国史跡に指定されて以来、平成十七年と平成二十二年の二度の追加指定により既指定面積二十六万三千三百平方メートルだったが、今回の追加指定面積二千七百平方メートルが加わり、合計二十六万六千平方メートルの指定面積となった。
指定を受けた理由は、天平十四年から十七年にかけて聖武天皇が造営した都城跡。内裏跡、朝堂、梵鐘の鋳造遺構、紫香楽宮に伴う幹線道路と見られる道路遺構などからなる。今回、道路遺構とその周辺で条件の整った箇所を追加指定したもの。宮殿のあった宮町地区と大仏をつくろうとした寺院跡の内裏野地区を結ぶ官道で当時の都市空間の姿をうかがわせるものだ。
紫香楽宮跡は、信楽町を南北に縦断する信楽谷の最北端、同町の小盆地に位置する。『続日本紀』によれば、紫香楽宮は、天平十四年から十七年にかけて聖武天皇が造営した都とされる。
聖武天皇が天平十二年の「藤原広嗣の乱」の直後に平城宮を離れ、十七年に再び平城宮に還都(せんと)するまでの「聖武天皇彷徨の五年」の主な舞台であり、国家の安寧を願う毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ=大仏)建立の詔(しょう)が出されているが、存続期間が短く、文献も少ないことから、かつては仮宮的な存在と考えられてきた。
しかし、遺跡としての紫香楽宮跡については、近年の分布調査や確認調査で大規模な都城遺跡であることが明らかになっている。
(石川政実)







