親王が勧請された筒井八幡宮(蛭谷)
現在、蛭谷集落のなかほどに鎮座する筒井神社は、もとは筒井峠にあって筒井八幡宮と称えた。『近江愛智郡志』には、かつて筒井八幡宮周辺にあった人家がなくなり「祭事に不便なるにより明治初年、現在の地(蛭谷集落)に移転す」と記している。「神社周辺の人家」とは、あるいは木地師集落の跡地とも伝えられる「筒井千軒」のことであろうか。現在、筒井峠には境外社の筒井神社が祀られている(『滋賀県神社誌』)。
筒井神社所蔵「御縁起」には、第一皇子でありながら皇位継承のならなかった惟喬親王は、貞観元年(八五九)三月五日、太政大臣実秀卿ら三人を供に、都を後にして東に向かわれたと記す。愛智郡・岸本を経て小椋郷へ。柴庵を御座所としつつ、ご出家。親王は、貞観七年(八六六)霜月(十一月)八日に筒井峠の地に正八幡宮(御祭神・応神天皇)を勧請された。この地に十九年間を過ごされたのち、元慶三年(八七九)十一月九日に崩御されたとつたえる。御祭神として応神天皇とともに惟喬親王が祀られた。
筒井峠旧址にある杉木立の参道を登ると、左に社祠がいる。さらに進むと右手に延宝六年(一六七八)に行われた「親王八百年会式塔」がある。深く彫り込まれた碑の文字から、盛大に行われた会式(えしき=宗祖などの命日に行われる法要)のことが偲ばれる。
昭和三十三年、親王千百年遠忌を記念し木地師に携わる有志により筒井峠に大きな惟喬親王像が建立された(『永源寺町史』)。
筒井神社境内には「木地師資料館」があり、各地の伝統的木地製品や親王信仰の伝統をつたえる品々が展示されている。
中島 伸男
(野々宮神社宮司)






