自治刻刻 統治における国家のあるべき姿
令和の新しい年号で明けた今年は、様々な意味で大きな節目の年に当たる1年になるものと思います。
まず、東近江市が誕生して15年が経過します。平成の広域合併がもたらしたメリット・デメリットを検証しつつ、将来の展望とそれに向けての布石を打たなければならないと考えます。
次に、日本の敗戦後75年という年に当たります。先の大戦については様々な観点から考察が繰り返されてきていますが、その多くは戦争に至った原因究明と敗戦国であることがもたらしたであろう自虐史観に基づく自省の弁であり、なぜ敗戦に至ったのかという観点からの検証が少ないと思います。戦勝国の支配下で構築されたアングロサクソン流の統治の仕組みが、私たちの先人が営々と築いてきた当たり前の文化と乖離(かいり)若(も)しくは二重構造になっている状況が露見してきているのです。
例えば、直面する空き家対策問題も、戦後家督相続が否定され法定相続が採用されたがために、家を守り存続させるという思想が憲法や民法から排斥され、結果としてお墓や仏壇の維持管理を誰がするのかという現実の問題として顕著になってきているのです。
そしてもう一つは、明治維新からざっと150年が過ぎた年であるということです。東京遷都によって人、物、金が東京に集中し続け、この過度の集中が国家の基軸の傾きをもたらし、極めて脆弱(ぜいじゃく)な国家になっていると言わざるを得ないのです。
私たちの東近江市は、惣村文化が色濃く残っています。これは将来にわたり日本が固有の発展を遂げるための極めて重要な要素であるのです。今こそ歴史に学ぶ謙虚さを国家の統治上で反映させるべきなのです。「うるおいとにぎわいのまち」をめざすわが東近江市こそ、これからの日本のあるべき姿のモデルとなり得るものと考えます。本市が有する多様性を生かし、近代の合理性や機能性を優先する科学技術至上主義から人間性に満ち溢れた、言わば人としての豊かさが感じられるまちづくりを、実現していきたいものです。






