中島敏(びん)ちゃんとの想いで
私の母親が50歳を超えた時に、大脳が萎縮し歩行が困難になる病になり、出来る限り自分の足で歩かせたく思い、杖を付いて歩行させて居りました。ある時母親が近江鉄道を利用して近江八幡駅から帰る電車から市辺駅で下車しようとした時「頭から落ちそうになる」というので、私はどういう事だろうと思い慌てて市辺駅のプラットフォームを見に行きました。実際に自分も杖を付き電車に乗り、母親の言っていた事がどういう事なのかとテストをしたところ、上体が前のめりになり、私も頭から落ちそうになりました。当時電車とプラットフォームの高低差が約35センチ以上もあったのです。そこで、当時の八日市市長様とある会合で2回お会いし、2回説明し「高低差が危険なので改修工事をしてもらいたい」とお願いしました。また「近江鉄道沿線に市町から赤字路線に対して補助金が出ているようですが、近江鉄道が改修工事をしないのであれば補助金をカットして改修工事を」と話をしましたが結果改修工事には至りませんでした。
ある時中島敏さんが「選挙に出るから応援を頼む」と友達と来られ、私は選挙応援するが当選した暁には「市辺駅のプラットフォームの改修工事を実現してほしい」と話をし、選挙の応援を致しました。そして中島敏さんは当選されました。その後、2期目の途中にこちらへお見えになり「国の補助金を探したよ、近江鉄道が高速鉄道になる」と笑いながら話をしてくれました。後に近江鉄道近江八幡駅から八日市駅まで、ノンストップの快速電車が走るようになったのです。そしてしばらくして市辺駅をはじめ、近江鉄道沿線改修工事が始まったのです。
中島敏さんは私との約束を守り、障害者のためにもこのように活動をしてくれました。近江鉄道沿線改修工事は1人の老婆の意見が10数年の時を経て見事に花開いたのでした。
中島敏さんがおられ無ければ近江鉄道沿線改修工事は出来ておりません。
本当にありがとうございました。今後は中島敏さんの様な議員は出ないでしょう。
中島敏さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
近江鉄道の改修工事でお世話になりました 一市民より。
合掌
「敏(びん)ちゃん」の愛称で親しまれ、先月73歳で亡くなった旧八日市市選出の元県議会議員、中島敏さんを悼むお手紙が読者から本紙に寄せられたので、紹介します。





