「近江牛」が知られる理由とは!?
水と気候と愛情がおいしさの秘訣
【全県】 三大和牛の一角に数えられ、滋賀の魅力を発信する主要産品として県がブランド力の向上に力を注いでいる「近江牛」。湖国の豊かな自然と先人たちの取り組みや現在も関わる農家、職人、流通企業などの努力がトップランクの味わいを生み出し続け、今年4月には滋賀食肉センターが開設15周年を迎える。近江牛はなぜ、最高級の味わいとして世界中の食通をうならせ、全国で300以上あるブランド牛肉の中で激しい産地間競争を勝ち抜いているのか。改めてその魅力に迫り、今後の展望を探った。(石川政実、羽原仁志)
『近江牛の歴史』
●近代以前
牛肉を食べることが禁じられていた江戸時代、全国で彦根藩だけが薬用として牛肉の加工を認められていた。
県の資料によると、彦根藩では、牛肉の味噌(みそ)漬け「返本丸(へんぽんがん)」や「寒の干牛肉」などが作られ、滋養になると多くの大名などに贈られ、喜ばれていたという。
●幕末~戦前
開国に伴い、外国人らが食べる牛肉が注目を集めるようになった。明治時代になると東京や横浜などで「文明開化の味」として広く牛鍋料理が好まれるようになり、この時、近江商人たちが生きた牛を引いて東京に行き、販売したことで「江州牛」の名が知られていった。
明治初年頃、滋賀県から東京へ牛を運ぶ移動手段は徒歩だったが、半月以上かかる過酷な行程だった。やがて神戸港や四日市港から船で運ぶようになり、1889年に東海道線が開通すると近江八幡駅から鉄道で運ぶ輸送が一般的となった。その結果、「滋賀県の近江八幡駅からやってきた牛肉」、すなわち「近江牛」の名が東京で有名になっていったのだ。
●戦後~現代
広く知られるようになった「近江牛」だが、第二次世界大戦中の食料政策と戦後の食糧難により、流通がいったん途絶えてしまう。
1951年、「近江牛を復興させよう」と滋賀と東京の家畜商らが「近江肉牛協会」を設立。全国で初めて「牛肉を地域ブランドにするため」に設立された団体で、初代会長には当時の服部岩吉・滋賀県知事が就任した。
同協会は東京都内で近江牛のパレードを実施、そのまま日本橋にあった百貨店の屋上で品評会を開催するなど、官民一体となってPRを展開、都民の関心を大きく集めた。
やがて消費者から再び「近江牛」を求める声が高まり、今では「三大和牛」の一角を占め、世界中にも多くのファンを持つブランドとして認知されるまでになっている。
『近江牛の今』
近江八幡市武佐町で近江牛食肉卸販売業を営む「びわこフード」の佐野和夫代表は近江牛の流通について「最近、通信販売の注文割合が多くなってきた。コロナ禍を経て消費者の間では近江牛を求める声が増しているのではないか」と語る。
「びわこフード」では、50年以上牛を見てきた目利き師が厳選するトップクラスの近江牛を扱う。今、多くの消費者がそれを「外食が難しくても食べたい」と求めている。
佐野さんは、近江牛の最大の特徴は「その脂の質にある」と述べる。肉の等級を決める「霜降り」の具合が絶妙で、おいしさをベストに引き出し、胃もたれしにくい“体に優しい”独特の脂の味わいが多くのリピーターを作っている。
そんな肉質の牛を育てるためには「栄養を含んだ鈴鹿山系の伏流水とはっきりした四季のある滋賀で、農家が一頭ずつ丁寧に愛情を持って育てることが欠かせない」と佐野さんは語る。
近江牛の人気は今や海外にも広がっている。特に経済発展が目覚ましいアジア各国の富裕層を中心に評判で、ポスト・コロナの時代にはさらに需要が増すことが予測されている。
佐野さんは「牛肉を食べると活力がわいてくる。今の時代に国内外から求められる理由はそこにもあるのかもしれない」とし、「近江牛の良さを知ってもらうためには食べてもらうのが一番。これからも多くの消費者に最高の近江牛を届けていく」と意気込む。
また、三日月大造知事は「お肉のおいしさだけでなく、心のこもった丁寧な生産過程も含めて近江牛の魅力を発信することで、滋賀県民に根付く文化や調和のとれた暮らしを世界中の方々に知っていただきたい」とコメントしている。
近江牛の輸出拡大に向け
滋賀食肉センターの改修急務
滋賀食肉センターは、安心・安全な食肉を安定的に供給しようと、県の出捐(出資)が大半を占める(公財)滋賀食肉公社が近江八幡市長光寺町の県有地に総事業費約40億円をかけて整備し、07年4月から操業を開始した。
この4月で15周年の節目の年を迎える同センターはまさに、近江牛が国内市場はもちろんのこと、世界に向けて羽ばたけるか――のカギを握る。
同センターは、公社が同施設の維持・管理、(株)滋賀食肉市場が同センターでと畜・解体、県副生物協同組合が副生物(内臓等)処理を行っている。
県では食肉センターの開設にあたり、牛の年間と畜計画を1万2千頭と見込んで、と畜場使用料などを設定したが、07年から現在までの14年間、と畜実績は年間約8千頭にとどまって食肉市場と副生物組合の売り上げが伸び悩み、結果的には公社も累積赤字を余儀なくされた。
そんな中、「食肉センターの赤字解消の方策は、国・県と連携して輸出拡大を図るべき」と主張するのは小寺裕雄衆院議員。
同議員は「近江牛を輸出拡大するには老朽化した食肉センターの大規模な施設改修が必要だ。財政的に厳しい県に代わり、改修には民間の資本を活用する『PFI』(注)方式が望ましい。ただし地元畜産業の発展を考えるなら、公共性の高いJA全農(全国農業協同組合連合会)や地元企業を中核に据える必要がある」と提案する。
ちなみに食肉センターは現在、マカオ、タイ、シンガポール、フィリピン、ベトナム、ミャンマー、台湾の7か国・地域から輸出施設の認定を受けている。
だが、米国や香港は輸出施設認定の基準が厳しく、現在の食肉センターの施設では認定許可を受けられないため、食肉公社は14年度にこれらの国・地域への認定申請を取り下げた。
●脅威の京都食肉市場
逆に18年4月に稼働した京都食肉市場の新施設は,最新の設備を導入して、米国、EU、香港などから輸出施設認定の許可を受けており、食肉センターとの差が歴然となってきている。事実、近江牛の昨年度の輸出は、コロナ禍の影響もあり396頭(前年度比33・0%減)にとどまった。
農協系の県内肉牛生産者で構成する県肉牛経営者協議会の沢晶弘会長は「近江牛のみならず、滋賀県の優れた農産物の輸出強化のために、県農政水産部内に輸出局を設けるなど抜本的な手を打つべきだ」と提案する。
また、県副生物協同組合の村松安雄理事長は「食肉センターでのと畜解体、内臓処理には、高度な専門的技能が必要であり、1級技能士の技能検定制度の創設などを県から厚生労働省に要望し、人材確保や後継者の育成に力を貸してほしい」と訴えた。
県畜産課では「今年度と来年度の2か年をかけて、県として食肉センターの在り方の見直しをハード、ソフトの両面から検討している」と言う。
先人の努力で県内の3と畜場は“滋賀食肉センター”として統合され、現場のがんばりで日本でも有数の近江牛ブランドが守られてきた。さらに食肉センターの開設15周年を機に、世界に羽ばたく近江牛を目指して、大規模な施設改修が急がれるところだ。
(注)PFI=公共施設等の建設、維持管理、運営などを民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う手法
滋賀食肉センターの沿革
1989年 滋賀県食肉流通機構整備推進委員会を設置
1990年 県土地開発公社で事業用地(約11ha)を先行取得
1992年 県食肉流通機構整備推進室を設置
1996年 推進委員会で整備基本計画骨子を策定
1997~1998年 事業用地の区画造成(県土地開発公社)
1998年 財団法人滋賀食肉公社 設立
2000年 県事業用地を取得
2001年 新食肉センター業務運営推進会議を設置
2004年4月 (株)滋賀食肉地方卸売市場に新会社移行準備室を設置
9月 施設整備基本計画および基本設計の策定(~2005年3月)
2005年5月 国が事業計画承認、実施計画の策定(~7月)
2006年2月 建設工事着手
2007年3月 竣工
4月 滋賀食肉センター操業開始
2008年5月 滋賀食肉センターHACCP推進委員会発足
2009年9月 マカオ輸出認定
11月 タイ輸出認定
2010年9月 シンガポール輸出認定
2011年3月 県から公社に土地(110,349.04・)、建物(公園内休憩所、便所等)を現物出資
2013年12月 滋賀県食肉センター大規模太陽光発電設備 開設
2014年1月 (財)滋賀食肉公社の公益財団法人化
3月 フィリピン輸出認定
9月 ベトナム輸出認定
2015年12月 ミャンマー輸出認定
2017年9月 台湾輸出認定











