元新党さきがけ代表、元知事
【東近江】 旧八日市市(現東近江市)出身で、細川護熙(もりひろ)、村山富市両内閣で官房長官、蔵相を歴任した武村正義氏が9月28日、腎不全で亡くなった。88歳だった。
武村氏は東大卒業後、旧自治省に入省。1971年、帰郷して八日市市長選への出馬をきっかけに政界入り。その後、滋賀県知事時代には、県内全域に出かけた対話重視の県政運営に努め、日本初のリンを含む合成粉石けんの使用禁止を掲げた「琵琶湖の富栄養化防止条例」や県主催の国際会議「国際湖沼環境会議」を成功させるなど、環境保全の重要性を先見した政治家として手腕を発揮した。
郷土の首長から国政へ
「きらりと光る国、日本」目指す
知事を3期務めたあと国政に進出し、宮沢内閣不信任による衆議院解散選挙時に「新党さきがけ」を結党、代表に就任し、「きらりと光る国、日本」を目指した。選挙では支持を集めて勝利し、政局のカギを握る政党に躍進させた。細川内閣時代には官房長官に就任、日本を代表する政治家として世界を駆け巡った。
政界再編で誕生した自社さ連立政権の村山内閣では、大蔵大臣に就任し、増発される赤字国債による「日本財政危機」を憂いて財政改革を進めたほか、バブル崩壊に伴う銀行の不良債権処理などを手がけた。
2000年に腹部大動脈瘤(りゅう)破裂で倒れ、同年の衆院選で落選し、翌年に政界を引退した。政界引退後は、大学教授のほか論客として活躍し、テレビ番組にレギュラー出演し、政界の動きを独自の観点から見つめ、持論を展開した。
県政においても、2014年の知事選で三日月県政を誕生させた政策形成集団「チームしが」特別代表を務め、若手政治家の育成や自らの政治家として総括を行い、明日の日本、そして滋賀への提言を送った。
三日月大造知事「私が知事に就任した後も、よき先輩として様々なご指導やアドバイスを賜りました。多大な業績と、県政に対する御貢献に対し、県民を代表して、改めて深く敬意と感謝の意を表します」。







