戦火に消えたアスリート 巨人軍20勝投手の広瀬さんら
【東近江】 県平和祈念館(東近江市下中野町)は、県内で今秋開催される国スポ・障スポにあわせて、企画展示「戦時下の滋賀県民とスポーツ」を開催している。
明治以降、日本人は西洋発祥の様々なスポーツを知り、学校での授業やクラブ活動を通じて体力向上に役立ててきた。太平洋戦争がはじまると、武道が奨励されるとともに、スポーツの全国大会開催への規制が強まるなど戦時色が濃くなる。
同展では、滋賀県民とスポーツの関わりについて、昭和初期から昭和20年の終戦までの15年にわたる戦争の期間中を中心に、関連資料などで紹介する。
昭和初期のスポーツの展示では、吉田信太郎さん(1945年4月に特攻隊として南西諸島方面で戦死)が旧制八日市中学校(現八日市高)の水泳部で使っていた水着や、滋賀師範学校(現滋賀大教育学部)サッカー部時代に全国大会3位となった活躍ぶりを伝える遺品を紹介している。
戦争の犠牲になったアスリートでは、滋賀県出身のプロ野球選手で、巨人軍で20勝投手となった広瀬習一さん(1945年、フィリピンで戦死)と、南海軍で投手として活躍した天川清三郎さん(1944年、フィリピンで戦死)を紹介し、ユニフォーム姿の写真やチームメイトが寄せ書きした日章旗が展示されている。
広瀬さんは大津市出身で大津商業学校(現大津商業高)の投手として、1939年の春の甲子園に出場した後、実業団を経て、巨人軍に1941年入団し、20勝投手の輝かしい記録を打ち立てている。
天川さんは大津市生まれで平安中学校(現龍谷大学附属平安中・高)の投手として1938年の夏の甲子園で優勝し、後に南海軍(現福岡ソフトバンクホークス)で活躍した。
同展を担当する田井中洋介学芸員は「スポーツは平和な時代だからこそ楽しめる。平和のありがたさを感じてほしい」と話していた。
会期は6月22日まで。入館無料。学芸員による企画展示説明会が2月1日午後1時半からある。予約不要。問い合わせは同館(TEL0749―46―0300)へ。








