川瀬重雄氏「人との出会いが宝。地域貢献が恩返し」
元全国商工会連合会筆頭副会長
川重株式会社会長、川瀬重雄氏(94)=上山町=は、家業だった製材業に従事する傍ら、1976(昭和51)年から88年まで旧愛東町議員としてまちの発展に励み、同町議会議長などを務めてきた。一方で、85年には愛東町商工会会長に就任。滋賀県商工会連合会会長、全国商工会連合会筆頭副会長を歴任するなど、県や日本の経済を牽引するリーダーとしても活躍した。
また、2005年の東近江市発足後もそのリーダーシップを発揮し、旧単位にあった6つの商工会の合併にも尽力した。11年4月に発足した東近江市商工会の初代会長に就任。17年には各支部事務所を一本化するなど、名実ともに商工会の一本化を実現。同市の地域経済の発展に寄与した功績をたたえ、市制20周年を機に名誉市民の称号が贈られた。
名誉市民の称号を受け川瀬氏は「夢にも思っていなかった」と驚きと喜びをかみしめ、「自分の力は万分の一もない。先輩諸兄の貴重なご意見、ご指導を仰いだおかげで地元、県、国と重要な役をさせていただいた」と感謝の気持ちを並べる。
市の合併後、いち早く商工会の統合に奔走した当時を振り返る川瀬氏。商工会の統合は各商工会の経費削減や効率化につながるだけでなく、合併した今後の市の発展を支えるためにも経済団体が一致団結し、市民の生活を支える必要があったと当時の熱き思いをしのぶ。
「うれしかったのは経済団体や商工会というものを認識、理解したうえで商工会の合併に市が協力していただいたこと。県下でもいち早く統合できた。経済界の先輩諸兄にもお世話になり、恩を返す意味でも地域に貢献しないといけないと心に決めた」。
その後、市内に複数存在した経済団体の相互理解にも尽力し、東近江市商工会、八日市商工会議所が有機的に業務を推進する礎も確立させた。
「人との出会いが一生の大きな宝。人の意見を聞き、自分が反省し、また努力する」と自身の経験を振り返るとともに、まちの繁栄にも人一倍の意欲をみせる。
「郷土愛を持ち、心の中でいつでも市の発展を願っている。ここが日本で一番、世界で一番繁栄してほしい。称号に恥じないよう今後も市制発展のため貢献していきたい」と話す。
小嶋太郎氏 「皆様に感謝。文化芸術の土台になれれば」
東近江市のシンボル「布引焼」を創立
東近江市の工芸品として広く認知されている「布引焼」を生み出した陶芸家の小嶋太郎氏(85)=外町=は、1971年に八日市市(現・東近江市)で窯を開き、独自に開発した「七彩天目」と呼ばれる釉薬を使った技法で、優しく色彩豊かな陶板画の新世界を切り拓いた。
1940年に宮城県で生まれた小嶋氏は、5歳の時に母の実家がある信楽町(現・甲賀市)へ移り住み、焼き物文化に触れながら育った。1958年に京都市立日吉ヶ丘高校美術部図案科を卒業。翌年に京都工芸指導所を卒業し、八日市に窯を構えるまで約10年、信楽の地で芸術家の岡本太郎氏らと交流しながら作陶を続け、大阪万博のシンボル「太陽の塔」制作などに携わった。
布引窯を創立して以降は国内外120以上の施設に壁面レリーフや陶画を設置。全国各地で展覧会開催などを通じて東近江市の魅力発信に貢献している。
また、地域の様々な作家と共に「東近江の芸術を愛する会」を発足して市の文化芸術振興にも尽力し、姉妹都市芸術家交流をはじめ海外作家とも意欲的に芸術交流を行ってきた。
現在もあふれる創造性をもって新たな境地を追求しつづける姿を後進に伝えており、創作活動を通じて市の文化芸術の発展に寄与した長年の功績をたたえ、市政20周年を機に名誉市民の称号が贈られた。
名誉市民の称号を受け小嶋氏は「布引山でかつて焼かれていた緑彩陶器(白鳳時代)の出土品を目にし、この緑の釉薬をなんとか再現したいと生み出したものがここまでつながった。土産物になるものをつくろうと制作した『布引焼』をここまで大切に広げてくれた市民の皆様に感謝したい」とほほ笑んだ。
これまでの作陶人生を振り返り「やはり『芸術は爆発』という言葉を残した岡本太郎さんとの交流は大きな財産。そのおかげで建物につけるレリーフをこしらえられるようになり、記憶に残るものを制作できた」と恩師からの影響を語った。
これからの東近江市に対しては「地道に焼き物ばかりやってきた50年。自分がやってきたことを子どもたちや教え子がつないでいくことで、東近江市の文化芸術の土台になっていくことを期待している。質の高いまちになってほしい」と期待を込めた。








