県平和祈念館の市民教養講座 龍谷大文学部、佐々木浩雄教授
【東近江】 県平和祈念館(東近江市下中野町)の市民教養講座で、龍谷大学文学部の佐々木浩雄教授は、「戦時期の体育・スポーツと国民統合」をテーマに講演し、戦時体制の強化に伴って、国民の身体が体育を通じていかに管理され、国家と一体化していったのか解説した。
この中で佐々木教授は、明治期の近代体育について、国家が軍事的観点から導入したのが始まりとした。さらに各年代の流れについて次のように紹介した。
▽1930年前後~37年頃(昭和恐慌、満州事変)
「民衆体育の時代」と位置づけ、ラジオの普及により一般の人でも気軽にできるラジオ体操(1928年)が始まり、さらに労働者による工場体操が広がった。「みんなで参加する国家観念、民族意識につながった」とした。
▽1937年~41年(日中戦争開戦)
国民精神動員運動が展開された「国民体育の時代」。国際競技(スポーツ)よりも国民体育(体操)が優先された。このため東京五輪が返上され、1万人が参加する大規模な体操イベントが催されるようになった。
また、現在の国スポの原型になる明治神宮国民体育大会では、体操や国防競技が増えた。
日本陸連は、戦勝を祈るため伊勢神宮~明治神宮間をリレーでつなぐ「聖矛競争」を行った。ただ、時代の空気について「強権的に行われたのでなく、みんなが集まって体操を楽しむ文化も育まれた」とした。
▽1941年~45年(アジア太平洋戦争)
「国民錬成の時代」とした。学校では、野球やサッカーなどの「敵性スポーツ」はほぼ排除され、武道・体操・教練が中心に。大日本体育会という政府の外郭団体が設立され、戦力増強のための統一組織となった。
佐々木教授は、「スポーツが国によって弾圧、統制された感じだが、スポーツ界も政治にすり寄っていた」「政治的にも経済的にも役立つと主張しはじめ、単純に被害者と言えない」と指摘した。
締めくくりに、「スポーツは健康的な生活や豊かな人生に寄与するものだが、国家の統制の対象にもなった。そこにはスポーツ・体操関係者が、競技の普及向上を目的に、国策を前提に国家的な有用性を主張し、批判はあまりなかった。これは今もそうではないか」と問題提起し、事例としてモスクワ五輪ボイコットやコロナ禍の行動制限などを挙げた。






