衆議院議員 武藤 貴也
近年「地域主権」という言葉が流行っている。09年の政権交代時には、民主党が「地域主権」を最重要テーマとして掲げた。国民もそれを正しいと錯覚したことだろう。
歴代政府も「地域主権」という言葉を検証もせずにすすめてきた。確かに、国がしっかり政治を行わないから、地方がそれを正そうとある種の「ムーブメント」を起こそうとすることは理解できる。しかし、そもそも「主権」とは、統治の独立性・最高性を示す国家の権利であり、歴史的に「国家主権」という言葉でしか使われない。あくまでも「主権」というのは「国家」に帰属するものである。
行政が行う事業を、地域に根ざし、きめ細やかにすることは必要であろうが、一部の分権(「権限」と「財源」の移譲)にとどめるべきである。「国家主権」を否定し「地域主権」なるものを濫用し続けることは、更に国民の「国家意識」を希薄にさせる。
明治の廃藩置県は「中央集権化」を図るために行われた。欧米列強のアジア侵略に備え、一致団結し国を強くするためであった。今も昔もアジア情勢は変わっていない。中国は領海侵犯を繰り返し、北朝鮮は核開発を続けている。そういう時代にあって、国と地域の権限と財源の奪い合いのために、国の力が弱くなり地方が「わがまま」を言うような状態に陥ってはならない。
埼玉大長谷川三千子名誉教授は「地域のことは地域で勝手に決める。日本国全体がどんな危機に直面しようと自分達は関係ない、こういう考え方が地方主権という言葉の中にはっきりと現れ出ている。」
私は、国と地方の役割を明確化し、非効率な行政を改め、ある部分地方分権を進め、きめ細やかな行政サービスを行えるような改革には賛成である。しかしそれは「地域エゴ」のためであってはならない。
地域がオスプレイ訓練の受け入れに反対することは簡単だ。また3・11で生じた福島の瓦礫の受け入れに反対することは簡単だ。電力を享受しておきながら、原発そのものに反対することも簡単だ。しかし地域が国全体のことを一切考えず、国全体の利益が損なわれれば結局地域も衰えて行くことになる。「地域の発展は国の発展から」という意識を持ち、地域の発展と国の発展を両輪のごとくとらえて政治を進める、そうした首長が今の日本には必要だと私は思う。






