今年をスポーツ・イヤー元年へ
「水と緑にあふれる若さ」をスローガンに掲げ、昭和五十六(一九八一)年に滋賀県で開催された『第三十六回国民体育大会(びわこ国体)』は、簡素ななかにも内容豊かな国体として好評を博した。あの国体から四十三年後の平成三十六年には、湖国で二巡目国体が開かれる。そこで二巡目国体を一つのきっかけにして、滋賀をどのように元気にしたらいいのか―、滋賀県知事の三日月大造さんをはじめ、トップアスリート(棒高跳び)の我孫子智美さんや著名な指導者、大学教授の皆さんにお集まり願い、新春に語り合ってもらった。
【司会・文責=石川政実、写真=畑多喜男】
銀は滋賀の誇り
司会 我孫子さんは、昨年のアジア大会での棒高跳びで四メートル二十五センチに成功し、見事、銀メダルを取られましたね。
我孫子 アジア大会では、公益財団法人日本陸上競技連盟(日本陸連)が派遣設定記録Bを四メートル三十九センチに決められた。最終選考会は昨年六月の日本選手権でしたが、あまり調子が良くなくて四メートルという結果に終わってしまい、選ばれるのは無理かなと思っていました。それが選ばれましたから、「最低でもメダルを」との思いが強かっただけに、達成できて本当に良かったです(笑)。
この八月は世界選手権陸上が北京であり、来年にはブラジルでリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックが開催されます。
世界選手権では最低でも四メートル五十センチの記録がいるという話ですので、自己ベストである四メートル四十センチ(日本記録)を更新して、世界のトップを目指したいと思います。
我孫子「大学卒業後も競技できる環境に」
南「10年のスパンで選手育成を」
豊田「国体はまさに県民の自己実現」
司会 我孫子さんのような優秀なアスリート(運動選手)の陰には、必ず素晴らしい指導者がおられる。日野町の県立日野高校でずっと教員をされ、レスリング部の監督として、数多くの優秀な選手を世に送り出してこられた南さんは、最近、注目を集めている園田新さん、平さんの兄弟(注1)をどのように育てられたのですか。
南 昭和五十八年に日野高校へ着任した当時は、園田崇さん(元全日本学生チャンピオン)が三年生でした。その子どもが今の園田兄弟です。十年計画で育成しようと、最初はじゃれあいから入っていきました。彼らは小学生や中学生の大会で優勝し、高校生でもインターハイなどで優勝するわけですが、幼・小・中・高一貫で育てた選手です。このように二巡目国体に向けて、滋賀県も十年のスパンで計画的に選手育成に取り組まないと、成功は難しいと思います。
司会 三日月さんはテニス愛好家で知られていますが、知事になってから、「キラリ☆スポーツ」と銘打ち、これまで経験したことのないスポーツにチャレンジされていますね。
三日月 知事になってから初めてボート、バレーボール、フェンシング、障害者スポーツのグランドソフトボールを体験しました。 また体験するだけでなく、プロバスケットボールチームの滋賀レイクスターズの試合も観戦しました。
さらにスポーツイベントを支える人たちとの交流もしています。
「キラリ☆スポーツ」は、スポーツの楽しさを知事自らが演出できればとの思いからです。
なお、「十年計画で人を育てるべき」との南さんのご指摘の通り、滋賀県では昨年十月から、基礎能力を高めて次代を担うアスリートに育ってもらおうと、次世代アスリート発掘育成プロジェクト(注2)を進めています。
司会 横山さんにはスポーツの果たす社会的役割、豊田さんには個人的な役割について、それぞれうかがえますか。
横山 我孫子さんが銀メダルを取られた。そこには必ず経済的な価値が生まれてきます。富とか、いい意味での力を表すものです。 同時に忍耐力や誰にも負けない心とか、体力もそうですが、数字にできないような力(非認知能力)がスポーツにはあります。経済的な価値以外のもので、人が安心できる力です。
なにがスポーツによってもたらされるかと言えば、信頼(トラスト)なのです。今、労働市場で求められているものは、この信頼です。その信頼に寄与するのがスポーツではないかと思います。スポーツは、脳・こころ・からだが重なり合って高い次元で統合された文化ですから、我々に感動を与える。この感動と経験が次の新たな価値を創造するのです。
豊田 スポーツに関わる個人は、プレッシャーとか、不安といった、ネガティブな感情体験を強いられます。けれども我孫子さんは、背中を痛められて不安な中でも取り組みを強化することで銀メダルを獲得された。スポーツの個人的な体験は計算しがたいものがあります。スポーツでは、不安に立ち向かう選手、プレッシャーを味わう選手こそが、自己実現することができるのです。南さんのようにコーチとしての自己実現、平成三十二(二〇二〇)年開催の東京オリンピック・パラリンピックなら日本国民としての自己実現、二巡目国体なら滋賀県民の自己実現、このようにさまざまな自己実現をキーワードに、ここ十年はスポーツを介して楽しく人生を過ごせると考えられます。
一方、選手たちにとっては、大きな舞台で経験し、感動することがすごいレガシー(遺産)になるわけです。
冨田 少し脱線しますが、スポーツを通して、ぜひとも取り組んでもらいたいものの一つに「健康寿命」(注3)があります。厚生労働省が平成二十四年に発表した二十二年の「健康寿命」では、滋賀県は男性が七十・六七歳(二十二年の平均寿命八十・五八歳)で全国十九位に対し、女性が七十二・三七歳(八十六・六九歳)と全国最低です。滋賀県にはスポーツなどを活用し、女性の「健康寿命」を改善してもらいたいですね。
司会 三日月さんは常々、「スポーツと文化で滋賀を元気に」とおっしゃっていますが、どのようなビジョンをお持ちですか。
三日月 三点を考えています。二十三年の東日本大震災(3・11)を経験して、人生は無常であることを痛感しました。それだけに、精いっぱい一瞬一瞬を生きたいと思うようになりました。その発露がスポーツだというのが一つ。
二つ目は、いま県をあげて新しい豊かさを提唱していこうとしていることです。ものの豊かさだけでなく、だれもが将来にわたって持続的に実感できる心の豊かさを追求しませんかと。
スポーツと文化は、人生を豊かにし、滋賀と日本を元気にしてくれます。先ほどの「健康寿命」のお話もそうですが、体を動かせば心が動く。心が動けば感動が生まれる。感動が生まれれば刺激になる。 三つ目は、この循環を滋賀の新しい形にすることです。
冨田 スポーツの話が出ると、いよいよ国体の話になるわけですが、昨年の長崎国体では、滋賀県は三十五位でした。でも昭和五十六年のびわこ国体では一位に輝いたわけです。調べてみると、過去、開催都道府県のほとんどが一位です。しかし、終わってしまえば「それまで」のところが数多く見られます。事実、滋賀県も昭和六十三年以降では、ほとんどの年で三十位台以下に低迷しているでしょ。やはり二巡目国体後もスポーツの底上げを図る施策を継続すべきですね。
司会 滋賀県は昨年十二月に、二巡目国体に向けて「競技力向上基本計画」を策定していますが、国体成功へのアドバイスがあれば。
選手の県外流出防げ
豊田 南さんは指導者不足の課題を指摘されましたが、やはり、びわこ国体からのレガシーをうまく使いこなせなかったと思います。
二巡目国体までの間には、優秀な選手が滋賀県から出ていってしまう可能性もあるわけです。滋賀県出身のアスリートが他府県で活躍するようであれば、滋賀で国体を開催する意味がありません。今からそれを防ぐ環境整備に着手する必要があります。知事のお話のように、小学五年生から優秀な選手を発掘して、十年計画で育てていくことが求められていますが、ここで大事なことは、どれだけ大人が本気で取り組むかです。
横山 昭和三十九(一九六四)年に東京オリンピック、五十六年にびわこ国体が開催されましたが、そこでのレガシーはなんだったかですね。ひとつはインフラが整備されたことです。
そこで二巡目をどうするかというと、3・11を教訓に、健康的で安全、安心な都市づくりを目指すことだと思います。
競技力向上も非常に大事ですけれど、ポスト国体ということでは、たとえば優秀な子どもを小学校で見つけて、十年後に高校や大学で活躍するまでに育てたとしても、そのキャリアをどう職業に生かすかです。
ある研究会で、スポーツ経験が買われて採用された人とそうでない人との十年後の給料を比べると、全く差がなく、スポーツ経験が評価されていないということがわかりました。スポーツにかける生活が保障されないのは貧しい国です。スポーツを資本としてとらえ、共有する、シェア(分担)するのがポイントだと思います。
施設面で言うなら、将来に残すために施設をどのように活用するかが、一番大事なことですね。施設が活用されれば、人が配置され、雇用が生まれ、継続できるからです。
司会 滋賀県の競技力向上基本計画では女性選手の育成・強化が大きな柱になっていますが、我孫子さんはどう受けとめられましたか。
我孫子 私はまだ結婚も出産もしていませんが、先輩の間では少しずつ、結婚しても走る、子どもを産んでも続ける人が出てきました。ただ、かなり苦労されているようです。今までそういう例が日本では少なかったですから、どういうプロセスをたどればいいのか、もっと実例が増えてくればチャレンジしやすくなると思います。
横山「感動は新しい価値の創造」
冨田「スポーツで活気あるまちづくり」
横山「みんなで新しい豊かさを」
司会 二巡目国体へのアドバイスは。
我孫子 私はずっと滋賀県で競技を続けてきました。なぜ県外へ行かなかったかというと、指導者の先生が県内におられ、棒高跳びの施設があったからです。大学を卒業する時に就職先が見つからなくて三か月間アルバイト生活をし、ようやく滋賀レイクスターズに所属させてもらいました。大学生の場合は部活動で競技を続けられますが、社会人になって続けようとすると生活もしないといけません。 働きながら競技ができるのが一番ですから、県内でバックアップしていく方向性になれば、たとえ県外に進学していても帰ってくると思います。
司会 南さんは、県に注文がありますか。
指導者の配置固定化を
南 昭和五十五年のモスクワオリンピックでレスリング代表に選ばれたのに、旧ソ連のアフガニスタン侵攻で、日本は西側諸国と同調して出場をボイコットしたため行けなくなりました。目標を失っていた時、滋賀県から五十六年のびわこ国体に出ないかとのお誘いをいただき、出場して優勝しました。この縁で、二年後に県立日野高校に着任し、レスリング部を創設して、ずっと指導に当たっています。
二巡目国体を成功させるには、まず日本のスポーツを支えているのが学校体育だという認識が必要です。欧州には、学校のクラブはありません。学校が終わったら地域のクラブに行って活動します。
しかし日本では、学校のクラブで活動するわけです。滋賀県が私を日野高校に三十二年間、ずっと置いてくれたからこそ、長いスパンで子どもたちを育てることができました。
滋賀県が失敗したのは、びわこ国体が終わった後に選手をきちんと指導者として採用しなかったことです。私もあと二年半で引退します。あと五年もすると、さらに(レスリングの)指導者が五人も現場から離れていきます。一日も早く指導者を育成することと、子どもたちがスポーツを楽しむ場所、地域をつくらないといけないと思います。
私が平成十五年に学校のクラブでない、地域スポーツクラブ「日野クラブ」(注4)を設立したのもこのためです。その場合でも、学校をうまく巻き込んで施設を活用することですね。いずれにせよ二巡目国体の成功には、指導者の配置を固定化しないとだめですよ。
冨田 スポーツのすそ野を広げようとするなら、「日野クラブ」のように、地域密着のスポーツクラブを育てあげる必要がありますね。それが活気あるまちづくりにもつながるからです。
私どもの地元、東近江市では、サッカークラブのMIOびわこ滋賀が市の布引運動公園陸上競技場をホームスタジアムにして、Jリーグ入りを目指しています。
選手たちは、企業に勤めて、土、日に試合をする全くのアマチュアです。当社も含め地元企業や市などが、「サッカーでまちを元気にしよう」と支援を続けています。二巡目国体も県民にもっと関心を持ってもらわないと、成功はしませんよ。
司会 三日月さんは二巡目国体にどう取り組まれますか。
アクセスの整備も
三日月 ハード面では、びわこ国体当時の施設が古くなっていますから、整備し直さないといけない施設も出てきます。それとスポーツ施設に行きやすくなるアクセスの整備も重要で、今後、検討していきたいですね。
ソフト面では、指導者、研究者、、競技団体、学校現場と連携しながらスポーツの裾野を広げるとともに、アスリートたちが指導者として活躍できる環境づくりに努めていきます。
ところでたとえば、滋賀レイクスターズに所属されている我孫子選手に学校現場で指導してもらうといったことは可能ですか。
外部指導員制度
横山 ええ、可能です。東京都では、外部指導員制度を実施しています。大阪市なども制度の検討が始まっており、滋賀県も研究する必要がありますね。
豊田 日本の場合、教員は教員採用試験を経て、即戦力として採用されています。日本のスポーツの場合は、学生の段階から即戦力として雇うことはできませんが、海外の採用ではギャップ・イヤー(注5)と言って、まず会社に入れていろんなことをやらせてから配属を決める。直接的な成果主義ではないわけです。
やはり、あまり早くに成果を求めすぎるのは、よくないですね。選手とかスポーツに関わる人たちが十分に時間をかけて、安心して取り組める世界観が地域に必要だと思います。それを滋賀がロールモデル(手本)として発信できれば、新しいスポーツと文化になるはずです。
司会 最後に次世代のアスリートである子どもたちへのメッセージをお願いします。
豊田 選手にはチャレンジ精神で、目を輝かせて取り組んでほしい。そのためには周りで関わっている我々が、スポーツに意味や価値を持たせていくべきだと思います。

「第36回国民体育大会(国体)」は昭和56年、滋賀県で「びわこ国体」として開催された。滋賀県勢は、念願の天皇杯・皇后杯を獲得した。このびわこ国体から43年後の平成36年には二度目の国体が滋賀県で開催される。(写真は、県の『写真で見る滋賀の20世紀』から)
横山 スポーツに親しむということは自己実現、自己表現ということです。自分が取り組んでいる競技の素晴らしさを、説得力をもって周囲に説明できるようになってほしい。
南 ちびっこたちには楽しく練習をしてもらっていますが、試合になったら「厳しく勝ちに行きや。夢を持って大きな選手になるんだよ。前を向いて踏み出す勇気をもちなさい」とアドバイスをしています。
我孫子 二巡目国体の時は、三十六歳です。いつまで競技を続けることができるかわからないですが、現役でいる間はしっかり滋賀県代表として出場したいですね。引退した後も、スポーツに関わっていければと思います。若い人たちにはもっともっとスポーツを楽しんでほしい。
三日月 お話をうかがって、スポーツの多様な魅力や可能性を改めて実感しました。トップアスリートには、より高みへ登っていただくために指導者の層を厚くしていきたい。もう一つは、みんながスポーツを楽しむ、感動、感激、感謝、共有、そういう“スポーツ・イヤー元年”に今年はしたいと考えています。
冨田 国の「スポーツ基本法」の前文には『スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む権利』が明記されていますが、二巡目国体を一つのきっかけにスポーツに親しむ気運を県民みんなで高めていきたいですね。
(注1)園田兄弟=次男の新さん(拓殖大二年)は高校四冠、現全日本チャンピオン、世界ジュニア大会五位、三男の平さん(拓殖大一年)は高校四冠など輝かしい記録を残している。
(注2)次世代アスリート発掘育成プロジェクト=小学五年生から参加を募り、運動能力に優れた素質の子を発掘し、小学校を卒業するまでの間、トップアスリートを目指す育成プログラムを実施する事業。
(注3) 健康寿命=日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間。
(注4)日野クラブ=地域でレスリング選手を育てようと、県立日野高校教員の南敏文さんらが平成十五年に設立した地域スポーツクラブ。
(注5)「ギャップ・イヤー」=米国企業ではフレッシュマンが入社後二年間をかけて、社内の各部署を経験し、自分にあった部署で働けるように配慮したシステム。













