県当局と摩擦を生じながら近代化に貢献した道のり紹介
◇県
朝の連続テレビ小説で幕末明治の「商い」にスポットライトが当たる中、近江商人と滋賀の商業をテーマにした展示が十一月二十六日まで、県の公文書を歴史的文書として保管する県政史料室(県庁新館三階)で開かれている。
現在、近江商人といえば、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」の経営理念で知られ、その高い倫理性や社会貢献が注目を集めている。
しかし、明治初期の県当局は、近江商人を自己の利益ばかり追求して、地域に貢献しない存在ととらえていた。県の産業化を推進したい県令たちは、県内有数の富豪でありながら、大阪や東京へ出て地元に投資しない近江商人を、あまり望ましいものとは考えていなかったようだ。
この一方で、近江商人は、近代的な商業教育を施す滋賀県商業学校や、県内での産業支援を目的とした金融機関設立に関わるなど、地元に貢献した面もあった。
展示では、県と近江商人が、ときに摩擦を生じながら、ともに県内の商業の発展に尽くしてきた様子を見ることで、新たな一面を探る。
資料の一つ、「江州バンク設立伺書」(明治五年)は、県内初の銀行「江州バンク」の設立を、県が大蔵省へ伺い出たもの。この中で当時の県令(知事)の桑田安定は「県内には富豪の民が多く、東京・函館・松前などに出店して交易をなす江州商人が世に名高いものの、彼らはもっぱら各自の事業に務め、規模も小さく、共同して遠大な事業に着目しない」と批判している。
「近江商人の士官学校」と呼ばれた県立八幡商業高校の校報(昭和十七年十一月)の連載「その頃の母校を語る」では、「日露戦争直後は全国の中流階級の子弟が多く、学資も潤沢で『モダンボーイ』もいた」と卒業生が回想している。また、校内で仏教派とキリスト教派の対立が激しくなり、英語教師だったヴォーリズが同校を去った逸話を伝えている。
開室日時は、月曜日~金曜日の午前九時~午後五時。展示資料二十点。問い合わせは県政史料室(TEL077―528―3126)まで。





