自治刻刻 ピョンチャンのオリンピック
まもなく韓国平昌のオリンピックが終わります。冬のオリンピックというと、何といっても札幌オリンピックを思い出します。72年に開催された日本で初の冬季五輪は、私たちにはすべてが新鮮に映り、また、北海道の発展という多くの成果をもたらしたものです。
当時の五輪は、まさにスポーツの祭典、アマチュアリズムの極致であったのではないかと思います。
今回の平昌五輪は大会としては成功することになるのでしょうが、これほど露骨なまでに政治的利用がなされた大会はなかったのではないかと思わざるを得ない極めて後味の悪いオリンピックとして私たちの記憶に残るのではないでしょうか。いや、この印象を残さなければならないのです。
北朝鮮の核・ミサイル開発に対して、国連決議により加盟各国とりわけ日米韓からの強力な制裁が科されている事態を全く無視するような形で、北朝鮮は露骨な微笑戦術の敢行によりいかにも平和を欲する国家らしさを偽装し、見せかけの優しさを演出していたのです。
私たちは、日本人として、北朝鮮がこれまでに敢行してきた国家としての犯罪が何一つ解決していないことを改めて認識すべきで、拉致の被害者及びその家族の怒りや苦しみを共有しなければならないのです。また、唯一の被爆国として、度重なる核実験やミサイル発射に関しては、核兵器の縮減・廃絶を目指す国際目標を完全に裏切る行為であるとの主張を強力にしなければならないのです。
しかし、残念ながらマスコミの目線、とりわけテレビメディアは五輪開催中、北朝鮮の一連の行動を批判することなく、韓国政府の北への対応も好意的に報道していたかのような印象を持たざるを得ない姿勢であったのです。毒樹に実った果実は毒のある果物であることを忘れてはいけないのです。
それにしても、政治的に最も中立であるべき立場のバッハIOC会長の北朝鮮からの訪問団への対応ぶりと平壌訪問の約束は、何を意味しているのでしょうか。
みんな美女応援団の微笑みにコロッといかれてしまったのでしょうか。






