自治刻刻 命の尊さを自覚しよう
先月、京都市伏見区で発生した京都アニメーションの放火事件は、35人もの尊い命が犠牲になり、今なお生死の境をさまよっている方がおられるということです。まことに残忍かつ非人道的な事件で、これほど多くの全く落ち度のない無垢の市民を死に至らしめた事件は犯罪史上も類をみない虐殺事犯として歴史に刻まれることでしょう。
それにしても、被疑者は何故このような残虐な犯罪を敢行するに至ったのか。単に興味本位からではなく、法治国家における刑法を中心とする刑罰法令が有する犯罪抑止機能が本来の効果を発揮しているのかという観点から、犯行に至った動機や背景を徹底的に解明しなければならないと考えます。
近代刑法では犯罪と刑罰について、罪を犯す行為をその個人責任のみに転嫁するのではなく、境遇や性格等犯罪に走らせた社会にも責任があるという立場から、刑罰も目には目をという応報刑の考え方から矯正を主とする教育刑へと変化してきているのです。
この考え方には理論上は賛同すべき点もあるのですが、最近の犯罪情勢をみていると、個人責任を社会責任に転嫁し続けることで、果たして刑罰法令が期待する一般予防機能が発揮され続けるのか甚だ疑問を感じざるを得ないのです。悪いことをしたら捕まるという基本的で当たり前の「威嚇力」が国民の間で低下してきているのではないかと思えるのです。
最近頻繁に報道されるいわゆる「あおり運転」も、こうした観点から、決して許されるものではないもので、このような行為はあくまでも個人の資質と責任によるものであり、無垢の市民の命を守るために徹底した取締りを推進していただきたいと思います。日常生活で車を運転する私たちも、利便性が高く快適な自動車は、常に人を殺傷する凶器となるものであることをしっかり認識しておきたいものです。
何よりも大切なことは、人の命の尊さを全ての人が自覚することなのです。
改めて、お亡くなりになった京都アニメーションの方々の御冥福をお祈りします。






