関西人になったモーツァルト 僕の愛を信じてや(49)
1789年の春、モーツァルトは、再び旅に出る。名目はもちろん、家計の緊迫を打開するためであるが、この旅には、疑問点も多い。行き先は、プロシア。最終目的は、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世に面会し、何らかの大きなビジネスチャンスを得ること。しかも、この旅のために借金までして。結果は、御前演奏をして、王からは6曲の弦楽四重奏を、王女のために6曲のピアノ・ソナタの注文を貰ったというのが、一般の伝記の伝えるところであり、事実、モーツァルトは『プロシア王のための弦楽四重奏曲』を3曲は作ったが、残りの注文には答えなかった。王女のためには1曲を書いたのみである。なぜ中途半端に放っておいたのか?誰にも分らない。そもそも、旅には出たが、目的が違ったのではないか。妻あてに書いた手紙の中にモーツァルトからのお願いをしたためた6か条の箇条書きがある。「�;@憂鬱になったらあかんでー。�;A健康に注意しーや。春の陽気に誘われ、調子のったらあかんでー。�;B一人で出かけんときや。出来たら、外出やめとき。�;C僕の愛を信じてや。いつも君のかわいらしい肖像画を見て、手紙書いてるんや。�;E手紙はもっとくわしゅー書いてーな…」と5つ目を飛ばして、順番を逆にし、最後に「�;D自分と僕の名誉を考えて、行動するだけやないで。外見にも、気つこーてな。僕は名誉を重んじてるんやし、これをきっかけに、もっと僕を愛してや」と強調した。モーツァルトにすると、コンスタンツェは、自分の愛に相応に答えていない。「愛の相互性」に反していることになる。こんな手紙を書いた夫婦があったら、夫婦の破綻も近い。妻には外出禁止令を出しておいて、自分は「外出」をエンジョイ。これでは、妻も切れる!プロシアの道中には、ドレスデンに立ち寄り、女友達のドゥーシェク夫人とは再会を喜び合う。モーツァルトは6月4日には、ウィーンに戻った。果たして、夫婦はどんな会話を交わしたのだろうか。






