「ステージパパ、レオポルトの本音」 西方への大旅行、パリへ(11)
――ミュンヘンから生まれ故郷のアウグスブルクに行かれていますが、どんな意図がおありになったんですか。
レオポルト ええ、たった二週間でしたが、当地のクラヴィーア製造家のシュタインさんから、旅行用の楽器を買う必要がありました。何しろ息子の練習には欠かせませんからね。それと、私がヴァイオリン教程の本を出版する時に世話になったロッターさんに直接お礼を言いたくて。
――そのあと、マンハイムからフランクフルトに移動されていますが、そこでゲーテ少年との邂逅(かいこう)があったと聞いています。もう少しお話しいただけますか。
レオポルト そうなんです。当時まだゲーテは無名の少年で、偶然、ヴォルフガングの演奏会に居合わせたみたいですね。もちろん、貴顕の方々対象の演奏会ですから、誰かれなく参加できるわけがありません。何しろゲーテ家はお金持ち。フランクフルトの生家を訪れたことがありますが、豪華の一言で、借家住まいのうちとは大違いでした。それはともかく、未来の大作家と音楽の天才が、ほんの一瞬すれ違ったのです。不思議なものです。後年、ゲーテはエッカーマンにその逸話を語ってますね。面白い運命のいたずらですよ。年は、ゲーテの方が7つほど上のはずですが。
――そして、ブリュッセルなどを経由して、いよいよパリに入られたわけですね。
レオポルト そうです。パリの宮廷でヴォルフガングがどんなに驚きをもたらすか、ワクワクするような気持ちでした。それまで、どの宮廷に行っても、息子の演奏は讃嘆の嵐でしたから。宮廷への伺候だけでなく、ピアノ・ソナタの王女さまへの献呈など、公式的な行事をこなしながら、お知り合いになった方々のお宅にお邪魔しては、息子の演奏を披露させていただきました。パリにおける活動のお膳立てをしてくださったのは、百科全書派の人たちと交流があり、ジャン・ジャック・ルソーとも親交があったグリム男爵でした。彼は『文芸通信』という文化評論を書いては、各地の宮廷に送っていたのですが、その中で息子のことを『あまりにも並外れた現象なので、誰も自分の眼で見、耳で聴くことを信じるのが困難なほどです。6度にもやっと届くか届かないくらいの手で、最大の難曲を極めて正確に演奏するのは、この子にとって何でもないことです』と激賞してくれました。こういう記事を読むと、誰だって、聴きたくなりますよね。パリには6カ月ほど滞在しました。ここで得た人脈は、後年、就職旅行で再びパリを訪れた際、大いに役立つことになりました。ただ、パリという町が何もかも気に入ったというわけではありません。女性は華美に装飾するし、人々の道徳意識も低い。壮麗な宮廷に対し、町はゴミと異臭にあふれている。それでもここは、大都会。ザルツブルクにはない文化がやはり魅力的でした。
――パリを発たれてから、ドーヴァー海峡を渡り、いよいよ往路の最終目的地、イギリスですね。では、次回は、じっくりとイギリスのお話しを聞かせてください。
モーツァルト・バー「キール」
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