「ステージパパ、レオポルトの本音」 最初のシンフォニー(12)
――初めてのイギリス滞在は、いかがでしたか。
レオポルト 私の中では、イギリスは「たえず暑気と寒気が交替していて危険な国」でしたので、宮廷伺候という公式の行事以外では、なるだけ、健康に留意して、万が一にも病気にはなるまいと緊張して過ごしていたのですが、到着から3カ月たった7月、案の定、体調を崩してしまいました。その日は、ある身分の高い方に招かれましての演奏会でした。暑い一日でしたが、先方さまの指定してくださった時間に遅れてはなるまいと、二人の子供の手を引いて必死に徒歩で急いだのが良くなかったのでした。熱が出て床に伏してしまい、結局、完全に治るまでに2カ月近くもかかってしまいました。
この間、すべての演奏会はキャンセルされたのは、まったくの誤算でした。
――それは大変でしたね。姉のナンネルさんが、「ロンドンで、私たちの父が危うく死にかけるほどの病気にかかった時、私たちはクラヴィーアに触れることが許されませんでした」と後年回想されていますが、その辺の事情を物語っているのですね。
レオポルト ええ、そうなんです。家族の中では、演奏会や宮廷への伺候がない時は、家で音楽の「お勉強すること」と娘と息子には言って聞かせてあったので、ヴォルフガングは初めてのシンフォニーを書きました。K16と番号が打たれているのが、その時、書いた曲です。
――イギリスでも王室に、ヴォルフガングの曲を献呈されていますが、何かほかにイギリス滞在中に特筆すべきことはありましたか。
レオポルト 当時イギリスには、あの高名なセバスチャン・バッハさんの末子にあたるクリスチャン・バッハさんがおられ、当地で大変な人気を博しておられましたが、その方が息子をとっても可愛がり、息子にイタリア音楽への憧れを吹き込んでくださったので、ヴォルフガングは、すっかりイタリアファンになってしまいました。バッハさんは、イギリスに来られる前は、イタリアで音楽経験を積まれていたからです。私も息子をイタリアへ連れて行くのは、ぜひとも実現したいことで、出来れば、帰郷の途中に立ち寄りたいと密かに考えていたんです。
――ところが、帰り道には、イタリアには行かれてませんね。どうしてですか。
レオポルト 重い荷物はすべてパリに残していたので、パリを経由した後は、イタリアへの旅程を組むはずでしたが、オランダのさる伯爵が「ぜひとも当地へよってくれないか」と打診されまして。当然、こちらもそれ相応の見返りは期待しますし、イギリスでは私の病気のために、思ったほど儲けられなかったので、その分を回復するチャンスが来たと飛びついてしまったのです。いつも息子には理性の声を聞き、熟慮して行動するよう言い含めているのに、欲に目がくらむと駄目ですね。そこでもまたも思わぬ落とし穴が待っていました。
――じゃあ、次回はオランダでの出来事をお聞きできるのを楽しみにしています。
モーツァルト・バー「キール」
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