「ステージパパ、レオポルトの本音」 解職の知らせがもたらした運命(23)
――いよいよ、マンハイム・パリ旅行のお話をお聞きしたいと思います。確か、1777年の8月に息子さんが大司教に「離職を認めてくださるよう」との請願書を書かれていますが、その意図は何だったのですか。
レオポルト あれは息子から大司教への請願書の形式を取っていますが、私が書いたものです。それに先立つ3月にも、6月にも、大司教へ直々に請願書をお渡ししましたが、私どもの願いを全面的に叶えていただけることはできませんでした。私の願いとしては、我々二人に長期に渡る休暇を認めていただき、幼少時代に行ったような西方への大旅行をして、息子の大都会での就職へと結び付けたかったのです。しかし、2度の請願は踏みつぶされ、事態は一向に進みません。業を煮やした私は、息子の「離職」を突き付けて、大司教に攻勢をかけてみようと思ったわけです。しかし、意地悪な大司教は、私の狼狽(ろうばい)ぶりを見たかったのでしょう、息子の「離職」だけでなく、私も同時に「クビ」にするとの通達を送ってきました。もちろん、私は請願書のどこにも、自分の「離職」など、お願いした覚えがありません。両名ともども、「離職を許可する」という無慈悲な返事に私は茫然自失してしまいました。失職してしまえば、一家の家計の破綻です。さすがに私は寝込みました。
――まあ、それは大変でしたね。それでどうされたのですか。
レオポルト 頭を下げて、復職をお願いするしかなかったのです。
――認められたのですね。
レオポルト 解職は取り消されたのですが、息子の旅行はもう決まっていたので、計画の練り直しが必要でした。もともと私が息子と二人で旅行に出かける計画でしたが、復職を何とか認められた身分で、改めて旅のお願いなどできる筋合いではありません。仕方なく、妻がヴォルフガングの監視役で、同行することになりました。私は手紙で、息子を遠隔操作することにしたのです。
――なるほど。それであの長い「マンハイム・パリの往復書簡」が書かれることになるわけですね。
レオポルト そうです。手紙のやり取りでは、遠方に行けば行くほどタイムラグがあり、息子への指示も即効性がないことは分かっていましたが、仕方ありません。妻にも具体的な指示を与えれば、私の同伴とは比べ物にならないが、まあ、何とかなるだろうと思ったのです。いや、正直言うと、「大丈夫、大丈夫、全能の神様がついてくださるから」と自分に無理やり言い聞かせたのです。出発は9月23日と決定しました。当日まで、馬車の準備、荷造り、紹介状の確認など、することが山のようにありました。旅慣れてない妻には、そういう準備も無理な話です。ましてヴォルフガングは旅への期待感から、ニコニコしていました。気楽なものです。まさに、「親の苦労、子知らず」とはこのことです!
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






