「ステージパパ、レオポルトの本音」 母親の死(28)
――息子さんをパリに行かせたのは、失敗だったとおっしゃってましたが。
レオポルト もともと、マンハイムがうまく行かなかったら、パリに行くものと決めてはいましたが、アロイジアの出現で、事態は大きく変化しました。とりあえず息子をアロイジアから遠ざける必要があったので、予定を前倒しして、パリへ行かせました。それにパリには、グリム男爵という信頼できる友人がいたので、男爵に息子を任せれば、局面の打開はできるという自信もありましたし。ところが、事はそう簡単に運ばなかったのです。
――グリム男爵があまり動いてくれなかったのですか。
レオポルト これまでも私自身も大変お世話になったこともあり、また息子の名前を広報してもらったりしたので、悪く言うのは失礼かと思いますが、実際のところ、がっかりしました。息子の才能は高く買ってくれていたのですが、息子との相性はよくなかったのでしょう。「才能は半分でいいから、世間知がもっとほしい」と言ってきたのです。それに自分も忙しくて、なかなか息子の世話をする時間がないとも。体よく見捨てられたわけです。私が息子の横にいてくれたら嬉しいとまで言ってきたのですから。
――で息子さんは?
レオポルト グリムに言われるまでもなく、パリ中をレッスンや何やらで駆けずり回っていました。それが悲劇の導火線になってしまうとは!
――えっ、何があったのですか。
レオポルト 私の妻が死んでしまったのです!愛する妻が!息子にあれほど、お母さんの健康には十分注意をしてほしいと頼んでいたのに。
――持病をお持ちだったのですか。
レオポルト 瀉血(しゃけつ)を受けるのが遅すぎたのです。それにパリの空気も合わない。いつも使っている薬もない。そのうえ、妻は医者が嫌いで、多少調子が悪くても、しばらくすれば治るとあまりに楽観的で。私がヴォルフガングに注意をしてほしいといったのは、その点なんです。ところが、息子は家を空けることが多くて、母親の健康に十分な注意を払わなかった!やはり、パリまで息子の同行をさせるのではなかった。これだけは悔やんでも悔やみきれません。
モーツァルト・バー「キール」
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