「ステージパパ、レオポルトの本音」 オペラ『イドメネオ』の上演(31)
――オペラ『イドメネオ』は、どんな風に作曲が進められたのですか。
レオポルト 台本はザルツブルグに住むイタリア人司祭のヴァレスコが担当したこともあって、私がヴォルフガングとの連絡役を演じなければなりませんでした。ヴォルフガングは1780年の11月7日にミュンヘンに着き、役柄に合わせて作曲を始めていたので、息子の台本に対する要求を仲立ちするわけです。久しぶりのオペラ制作に、ヴォルフガングは、台本の冗長な部分を切り詰めることで、音楽にリズムを与え、従来のオペラ・セリアとは違う、生気溢れた作品を作りたいと意気込んでおりました。
――そうですか。ところで、ここで、オペラ・セリアについて、少し説明していただけますか。
レオポルト まあ、ごく簡単に言うと、昔の英雄伝説や神話に題材を取るシリアスな劇といったところでしょうか。息子の今回の劇は、ギリシャ悲劇の「イドメネオ伝説」を扱ったものです。クレタ王イドメネオが航海中に嵐に会い、命を救ってもらう代わりに、「陸に上がって最初に会った人を、生贄として差し出す」という約束を、海の神ネプチューンとするわけです。そして、まあ、何とイドメネオが最初に会った人間が、息子のイダマンテだったのです。そんな悲劇的な展開が軸となって、話は進みます。
――なかなか、面白そうな話ですね。大成功だったのですか。
レオポルト ヴォルフガングは自分では自信作と言い切っていますが、そもそもオペラ・セリアは、もうその頃にはやや時代遅れなものと受け止められており、実際のところは、演奏回数は、初演を含め3回のみでした。それでもオペラの初演は誕生日の2日後の1月29日でしたから、25歳になった息子の心境としては、感慨深いものがあったのだと思います。いや、何より息子が嬉しかったのは、久しぶりザルツブルグを脱出できて、自由な空気を吸えたことです。実は、息子に大司教から与えられていた休暇の期限は、前年の12月18日でしたから、上演の時点で、タイムリミットを大幅に超えていたのです。
――おおらかな時代だったのかもしれませんが、それで大丈夫だったのですか。
レオポルト いや、このあたりから、大司教と息子の感情的な対立が鮮明になってくるのですね。大司教にしてみれば、命令を平気で無視して、我がまま勝手に振る舞う雇用人を、いつまでも許しておくわけにはいきませんよ。しかも、息子の方は、私に対して、「大司教と事を構えないのは、ひたすら、お父さんのためだ」と書いてくるわけですから。板挟み状態になっている、私の立場になってみてくださいよ。
――大爆発が間近に迫っているのですね。次回は、そのあたりを、お聞かせください。
モーツァルト・バー「キール」
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