「ステージパパ、レオポルトの本音」 息子の裏切り(33)
――大司教と息子さんの決裂は、結局どんな結論をみたのですか。
レオポルト いや、正直言うと、私はこのことを思い出したくもないのです。言葉にできない不快の念と許しがたいことに出合った時に味わう憤怒の感情が、どうしても心の奥底から湧き上がってくるのを止めることができないのです。息子は私を、仲の良かった姉を、そして心から応援してくれていた故郷の人々を裏切り、ザルツブルクに砂をかけて、自分勝手にウィーンに行ってしまったのです。
――お父様の口から「裏切り」という言葉が出て来るとは、驚きですが。
レオポルト いや、私は事実を言っているのですぞ。あいつは、大司教から指示された出発日を守らず、宿舎を出て、ウェーバー家に転がり込み、あいつらの悪知恵にまんまと騙され、その挙句、大司教直々から厳しい言葉で叱責されたら、こんどは、「ごろつき」のように、大司教に逆切れして、世話になっている雇用主に盾をついたのです。大司教が怒り心頭に発し、「ばか」「まぬけ」とののしると、自分の名誉が大いに傷つけられたと、今度は私に食ってかかり、私が、冷静になるように説得すると、「もうお父さんは、昔の愛情深かったお父さんではない」と非難を私に向けよったのですぞ。私が、「お前の名誉は、大司教に謝罪しないと回復しない」と何度言っても、聞く耳を持たなかった。あれは、そんな強情な息子ではなかったのに。結局ウィーンに行ったら行ったきりで、私に相談するために、ザルツブルクに帰ってくることもなければ、もちろん大司教に謝罪することもしなかった。私の立場にもなってくださいよ。私はもちろん当時まだ大司教に雇用されている身で、宮廷での仕事がないと生活できませんでした。周りの連中から、息子を甘やかすからそうなったんだと、言葉には出さないものの、侮蔑の目つきで見られ、地元での私の名声は、地に落ちてしもうた。家族をほっぽり出して、自分のことだけ考えて出て行った息子を私は今でも許すことができんのです。
――直接息子さんとお話しする機会がないとすれば、どういう方法で、息子さんの翻意を促したのですか。
レオポルト ひたすら、手紙ですよ。連日、どれほどの時間をかけて息子宛ての手紙を書いたことか。当時は怒り狂っていたので、そうとう露骨な言葉を使い息子を非難し、ウェーバー家の連中には、罵詈雑言を書きつけたと思います。コピーを取ったわけではないので、果たしてどんな文面の手紙を書いたのか、今となっては、興味ありますね。でも、聞くところによると、当時の手紙は、息子の嫁によって処分されたと聞いてはおります。だって、コンスタンツェのことを「毒婦」呼ばわりしたんですから、まあ、当人とすれば、焼き捨てたくもなりますよね。
モーツァルト・バー「キール」
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