「ステージパパ、レオポルトの本音」 二度目の裏切り(35)
――オペラ『後宮からの逃走』では、主人公は捕らわれの身であるコンスタンツェの救出に成功しましたが、息子さんの実生活の話はどんな風に進んだのですか。
レオポルト 以前にも申し上げた通り、私はウェーバー家の連中を、誰一人信頼をしておりませんので、息子が何を言おうと、一切信じられないのです。あいつは、1781年の12月になって初めて、結婚相手が、ウェーバー家の「真ん中」の娘であることを打ち明けてきました。たとえ相手が、一番「うえ」であろうが、「した」であろうが、私には関係ない。誰であろうと「ノー」の一言です。
――ということは、結婚の承諾をされなかったのですか。
レオポルト もちろんですよ。何で好き好んで、大嫌いな奴らに「同意」などできるものですか。
私は、息子に、「ウェーバー夫人とその後見人であるフォン・トールヴァルト氏を、ともども鎖につないで、『若者の誘惑者』と書いた札を首に下げさせたうえ、街路を掃除させなければならない」とまで書いたのですぞ。やつらは、若者をかどわかした犯罪者なのです。無理矢理、結婚の承諾書にサインさせ、「破ったら金を払え」というのは、ごろつきのやることです。それが分かっていながら、息子は、「それは言いすぎだ」とぬかしおる。もう、私の我慢の限界を越えているので、ずっと承諾書は送りませんでした。
――当時は、結婚には親の承諾書が必要だったのではありませんか。
レオポルト そんなこと、知るもんですか!親の言うことを聞けない子は、もう子とは言えません。
あいつは、親の承諾などなしに、勝手に1782年8月4日に結婚式を行い、数日後に報告の手紙を送ってきましたよ。ザルツブルグを捨てウィーンに行ってしまったのが、最初の裏切りだとしたら、今度の結婚は、二度目の裏切りです。もう所帯を構えてしまったのだから、私にはどうしようもありません。息子は完全に私と縁を切ったのです。私も、もう息子をモーツァルト家の一員とは認めません。好きにすればいいんです。困ったことがあっても、助けることはありません。家族を捨てて、自分で出て行ったんですから、「どうぞ、ご自由に」って感じです。私の心は、息子に対して凍り付いたので、それ以降、手紙のやり取りはありましたが、もう形式的なものばかりです。私の文通相手は、その後結婚をして家を離れた、娘に変わりました。
モーツァルト・バー「キール」
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