国政刻刻 「子どもの留守番は虐待」埼玉県条例案の問題点
子ども(小学三年生以下)だけの留守番、おつかい、登下校、公園で遊ぶことなどが放置・虐待にあたるとする条例案が埼玉県議会に自民党議員提案によって提出されました。
委員会では自民・公明の賛成多数で可決、あとは本会議採決という段階になって、世論の猛反発を受け、結局、取り下げられるにいたりました。
この条例案の中身が知れるや否や、SNS上では「頭おかしい条例」「トンデモ条例」とまで呼ばれ、批判の大合唱が起こっていました。
また、埼玉県内の首長やPTA団体からも、ゴミ出しの際に子どもを一人で家に置いていけないうえに、虐待の通報義務まであるという極端な条例案に、成立すれば「共稼ぎではやってられない」「シングルマザーは自動的に虐待していることになる」という批判の声が猛烈に湧き行ったのも当然のことです。
この条例案の理念には、「子どもの放置に起因する悲惨な事故をなくしたい」と記されており、それ自体には賛同できます。ただ、その理念を具体化するにあたって大きな問題点が見えてきます。
政治的な議論をしていてありがちなことは、「アメリカでは…」「ヨーロッパでは…」と外国の例を持ち出して自己を正当化すること(こういう議論をする人を「出羽守」という)。
今回の条例案もご多分に漏れず、「アメリカでは…」です。ちなみに、アメリカでは、小学生を一人で家に置くことは虐待にあたり、遺法です。アメリカでは、親の責任が重くなっています。
こうしたアメリカの枠組みだけを採り入れようとした気配が濃厚です。そして、大いに見落としているのは、アメリカでは、ベビーシッターや学童保育的なサービスが充実していて、子ども一人の留守番が回避できる仕組みが整っているということです。
放置・虐待を防止したいという思いには賛同します。問題なのは、そのために何が必要なのかを地に足をつけ、人々の生活感覚にマッチした考えをまとめることなく、海外の仕組みをそのまま採り入れ、精神論的に落とし込もうとする安直さなのではないでしょうか。






