「ステージパパ、レオポルトの本音」 息子との最後の対面(41)
――1785年の2月からウィーンを訪問されて、息子さんとお会いになったようですが。
レオポルト ええ、4月の下旬までウィーンに滞在し、息子の生活ぶりをこの目で見ることができました。私の言うことを聞かず、勝手にウィーンに行ってしまった息子のことを、私は当初、どうしても許すことができなかったのですが、所帯を構え、それなりにウィーンで活躍しているようですから、いろんな思い出の詰まっているウィーンへ、最後にもう一度行って、息子の様子を見てみようと思ったわけです。私も66歳になっていましたから、身体のあちこちにガタが来ており、好きな旅ももうこれ以上は無理かなという感触がありました。それに、1781年から新たに弟子に取ったハインリヒ・マルシャンという、ミュンヘンにいる親しい友人の息子を、音楽の都に連れて行き、ウィーンの最新音楽を聴かせようという、別の意図もありました。
――息子さんの生活ぶりは、いかがでしたか。
レオポルト 私は保守的な人間で、音楽家は宮廷に採用されて一人前と考えていましたが、あれの生活の仕方は、私の理解をはるかに超えたものでした。私には想像もつかないような贅沢な家に住み、秒刻みの忙しさで、演奏会場を渡り歩き、帰宅したら帰宅したで、次の演奏会用のピアノ協奏曲の作曲をするなど、寝る暇もないのではないかというほどの多忙ぶりでした。さらに私を驚かせたのは、ご本人を招いて息子がハイドンさんに献呈した曲の演奏会が内々に行われ、終演後にハイドンさんから、「私は誠実な人間として神にかけも申し上げますが、ご子息は、私が直接知っている、あるいは名前だけ知っている作曲家の中で、最も偉大な方です。ご子息は様式感を持ち、その上に、全く優れた作曲の技術を持っておられます」と激賞されたことです。まあ、曲を6曲も献呈されたのですから、多少のリップサービスはあるとは思いますよ。でも、私もヴァイオリンでその演奏に参加しましたから、曲の出来栄えを直接この目で確かめることができたのですが、どの曲もそれぞれ調性に変化をつけた見事な作曲ぶりで、ハイドンさんの賞賛も、あながち間違っていないなと、親バカながら思ったわけです。私の教育上の苦労も、ようやく報われた思いがいたしました。ただ、その後私はウィーンを離れ、息子は多忙のため、ザルツブルクに帰ってくることは二度となかったので、この訪問が、私たち親子の最後の交流になりました。
モーツァルト・バー「キール」
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