「ステージパパ、レオポルトの本音」 寂しい一人暮らし(42)
――1785年5月には、息子さんのいるウィーンから、またザルツブルグに戻られていますが、お父さんご自身は、どんな暮らしぶりだったのですか。
レオポルト 実は、前年の1784年に、娘は結婚をして、ザンクト・ギルゲンに移り住んでいましたから、寂しい一人暮らしですよ。寂しさが特に身に沁みるのは、夜ひとり食事を終えて、ぼんやり食卓で佇んでいる時。声をかける家族もおらず、あたりもしーんと静まり返り、無音の虚空だけが私の周りを支配しているんです。娘のナンネルが居てくれた時は、二人で演奏の練習をしたり、カードゲームをしたりして、無聊を慰めることもできたのですが、それもかなわない。冬の夜は殊に長く、早く明るいお日様を拝めないかと、そればかり願っているのです。
――息子さんとの手紙のやり取りは続いていたのですか。
レオポルト あいつの送って来る手紙は、1784年以降、特に少なくなり、たまに来ても、「忙しくて長い手紙を書いている暇がない」とすげない内容。オペラを書いていると、時間がかかるのは分かるのですが、私のことに気を配っているようには、少しも思えない。正直これは、私が思い描いた老後の過ごし方では、まったくありません。私の夢は、息子がパリのような大都市で宮廷の楽長に指名され、安定した収入のもと、私や妻も含め、家族全員が大きな家で、和やかに暮らすことだったんです。息子の妻は、もちろん、教養と身分のしっかりした女性で、私や妻を何よりも大事にしてくれる。息子はその才能を最大限生かして、音楽家としての最高の栄誉を手にしている。私も妻も、オペラや音楽会を存分に楽しみ、これ以上ない老後を楽しんでいる。こういう夢を実現するために、私は息子に小さい時から英才教育を施し、方々へ旅をしてその才能を高め、実践経験を積ませて楽長への道を踏み固めてやったのですぞ。それがどうですか。息子は、不注意で旅先のパリで母親を死なせ、挙句の果て、家族と故郷を見捨て、ウィーンへ逃亡したのですぞ。まあ、ナンネルが何とか私の心の荒びを慰めてくれましたが、その娘も嫁いでしまった。結局、私は、ひとり取り残されてしまったのです。私の喪失感を想像してみてくださいよ!私の立場になって考えると、誰だって、私が息子に対して持つこの「恨みの感情」を分かっていただけると思います。
モーツァルト・バー「キール」
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