「ステージパパ、レオポルトの本音」 息子からの最後の手紙(43)
――1787年4月4日付けの息子さんからの手紙が、お父さんが受け取った最後の手紙と聞いていますが。
レオポルト ええ、息子が私の健康状態について、どこからか噂を聞いて、書いてきてくれたんだと思いますが、死の床につく私の不安を和らげようと、お見事な説教をしてくれましたよ。「死は、僕らの人生の真の最終目標ですから、僕はこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました」と書き、その考え方を心の中で反芻すると、「死の姿はいつのまにか僕には少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました」と、おせっかいにも言ってくるあたりは、いかにもヴォルフガングらしい気がしました。娘は、私の容態を心配して、ザンクト・ギルゲンから何度か帰って来てくれましたが、息子は手紙をくれるきりで、私を見舞うことはありませんでした。
――当時、息子さんは『ドン・ジョヴァンニ』の作曲に忙しくて、手が離せないと言われてましたが、実際はどうだったのですか。
レオポルト それは、私にも分かりません。オペラを書き始めると、手を止めるわけに行かないという理屈は、もちろん、ある程度の説得力を持っています。それは、第三者的に、事態を静観すればの話です。でも、関係者になると話は別です。息子の心の中で、オペラの完成と父親の死が天秤にかけられ、オペラに軍配が上がったわけですから、あの子への私の値打ちは、オペラ以下だったということになります。もっとも、私も息子の帰郷は、これっぽっちも期待していませんでした。なぜって、もう息子がウィーンに行き、私の気に食わない女と結婚した時点で、お互い、心の糸が切れていたからです。あいつは、手紙の最後のところで、「あらゆる期待に反して、回復されない時は、どうか事実を隠さないでください。事実をありのままに書くか、書かせるかしてください。人間わざで可能なかぎり速く、あなたの腕に抱かれに駆けつけます」なんて書いてますが、虚しい慰めです。当時、私の老いた体は、あちこちから悲鳴の声を上げており、貧血で動悸、息切れをすることは日常茶飯事で、特に調子が悪い時は、呼吸が苦しくて、立ち上がることさえできませんでした。息子に言われるまでもないですが、私はいよいよ覚悟を決めなければいけないと思ったのです。
モーツァルト・バー「キール」
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