県政NOW 「ご存知でしたか?」
桜の季節が終わり初夏の鮮やかな新緑の季節となりました。大型連休を皆様は、どのようにお過ごしになられましたでしょうか。私は、市内各地で繰り広げられるお祭りにお招きいただき、地域に受け継がれた伝統や文化、地域の力を今年も体感させていただきました。四季の移ろいや祭礼を通して、改めて日本人で良かったと感じました。また、この伝統と豊かな自然を守り継承していかなければならないと強く感じました。さて、日本は、四方を海に囲まれる島国でありますが、海に面していない海なし県が8つあります。滋賀県もその一つです。ところが、その昔、滋賀県も海に面していた時期があったのです。皆さん、ご存知でしたか?明治4年(1871年)7月、廃藩置県によって県が置かれ11月、近江南部6郡(滋賀郡、栗太郡、蒲生郡、甲賀郡、神崎郡、野洲郡)をまとめて大津県(翌年1月、滋賀県に改称)が、近江北部6郡(高島郡、愛知郡、坂田郡、犬上郡、伊香郡、浅井郡)をまとめて長浜県(翌年2月、犬上県に改称)ができ、2県となりました。そして、明治5年9月、滋賀県と犬上県が合併して、古代からの近江国を範囲とする現在の形の滋賀県が誕生しました。明治9年8月、福井県西部にあたる敦賀郡など4郡(敦賀郡、三方郡、遠敷郡、大飯郡)が滋賀県に編入されました。明治14年2月に分離されますが、約5年間、滋賀県は日本海に面した県でした。皆さん、ご存知でしたか?私も、恥かしながら県議会議員になって調べるまで知りませんでした。もし、この当時のままならば、小浜市や、皆さんが北陸へ行かれたら必ずと言っていいほど海産物を買いに寄られる敦賀の日本海さかな街も滋賀県内であったわけです。何より、この春、敦賀まで延伸した北陸新幹線の敦賀駅も滋賀県の北の玄関口になっていたのです。今、あちらこちらから米原ルート再考の声が上がる新幹線の延伸計画も変わっていたかもしれません。引き続き注視してまいりたいと思います。昔から、交通の要所であった滋賀県、時代が変わっても関西圏と中部圏と北陸圏の接続点として物流をはじめ、産業、商業、文化、観光等の重要な役割を果たす必要があります。リニア等、交通網が目覚ましく発展する今日、滋賀が取り残されることなく地の利を十二分に発揮して発展していくことを願うものです。私も一生懸命にお手伝いさせていただきます。






