『モーツァルト 父の夢、子の夢』(2)なぜ父と息子は、一緒に旅に出なかったのか
マンハイム・パリ旅行は、モーツァルトにとって、安定した就職先を探し、できることなら好条件で、大都市の宮廷に採用されるよう働きかけるための、『就活旅行』であった。モーツァルトのこれまでの旅は、家族全員で行くか、旅の達人であった父レオポルトに伴われての旅だった。旅の成果を確実なものにするためには、父親の指示が絶対的に必要であったからだ。この旅も、就活という大きな目標を達成するために、しっかりとした計画立案と交渉が何より求められ、本来なら、父親同伴で行われるはずであったが、レオポルトは、故郷ザルツブルクに、留まらなければならない事情があった。どうしてだろうか。本書の解説は次のように説明する。「レオポルトは当初この旅を息子の就職の旅と位置づけ、おそらく綿密な計画を立てていたと思われます。もちろん、同伴者は自分だと考えていたはずです。当時、父子二人はザルツブルク宮廷に召し抱えられており、旅行するには大司教の許可を得なければなりませんでした。レオポルトは、何度か大司教に旅の許可申請を提出しましたが、もともとモーツアルト家の人々を快く思っていなかったコロレド大司教は、なかなかそれに応じてくれません。長年の願望、大都市の楽長に息子を就かせたいという自分の描いた夢がなかなか実現せずに、不満は極に達していました。そこで、レオポルトは、蛮勇を振るい、息子の辞職願を出して、大司教に揺さぶりをかけてみたのです。しかし、これが裏目に出ました。まるでモーツアルト家の会話を盗み聞きでもしていたかのように、大司教は、ならば先手とばかりに、父子二人に辞職受諾の通知をしたのです。その通知にレオポルトはさすがに驚愕、思い切った決断をして事態を動かそうとしましたが、まさか自分の失職にまで至るとは思いもよらぬことでした。ショックのあまり臥せってしまいます。それでも生活をやめるわけに行きません。致し方なく彼は頭を下げて復職願いを出しました。幸いにも復職は数日後に認められましたが、改めて旅の休暇を求めることなど、とてもできる相談ではありません。かくなる上は、母親を監視役に付けて、手紙で息子に指示を与える。レオポルトの覚悟は決まりました。こうしたことを背景に父子の手紙のやり取りが始まるわけです。」この旅には、その始まりから、「父親の不在」というこれまでにない展開を予想させる不安定な要素があった。父親の指示、命令を直接受けることができないモーツァルトは、それでも晴れ晴れとした気持ちで、ザルツブルクを旅立つのであった。
モーツァルト・バー「キール」
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