『モーツァルト 父の夢、子の夢』(5)ミスリヴェチェクとの再会
ミュンヘンの選帝侯から、就職につき色のいい返事をもらえなかったモーツァルトは、当時ミュンヘンに滞在していたイタリアの音楽家、ミスリヴェチェクを訪ねることにした。初めて彼にあったのは、モーツァルトが14歳の時で、あれから7年の月日が経っていたことになる。ミスリヴェチェクがミュンヘンに滞在していたのは、「梅毒」の治療を受けるためで、モーツァルトは、彼が入院している病院を訪ね、久しぶりの再会を果たすのであった。モーツァルトは、この辛い邂逅を、次のように描写した。「あの人が僕のところにやってきたときに、本当に親しげに、僕はあの人の、あの人は僕の手を取り合ってね。あの人は『さあ、ご覧あれ、私のなんとも無様な格好を!』と言ってきました。この言葉と、父さんの手紙の書きぶりからして、父さんもすでに知っているあの人の姿が、僕の胸にとてもこたえて、半泣きしながら『ああ、あなたのことを心からお気の毒に思います、わが親愛なる友よ』ということしかできなくて。あの人は僕が動揺していることに気づくと、すぐに陽気に話し始めてくれて、『あなたはいったい何をなさっておられるのか言ってください。人伝手にあなたがここにおられると聞きおよび、わが耳を疑いました。モーツァルトがこの地にいる。なのにいまだに訪ねてきてくれないということが、いったいどうしありえるのだろう』と言ったんだ。『本当にご容赦ください。何かと出かける用事がいっぱいありましたし、ここには多くの良き友人たちがいるものですから』と、そんなふうに答えて。するとあの人は『あなたはここで本当に良きご友人に恵まれておられますが、しかし私ほどすばらしい友人は決して他にいないと確信しております』って返してきたんです。」ミスリヴェチェクは親切にも、イタリアでオペラを書くために、手紙でナポリの興行師にもつないであげるから、翌日もモーツァルトに病院に来るように勧めたが、鼻がもげたミスリヴェチェクを見るのも辛く、異臭のただよう病室にはどうしても足が向かなかった。解説は、次のようにこの出会いをまとめた。「ミスリヴェチェクは、イタリアでの成功者でしたから、ヴォルフガングの心の中には羨望に近い気持ちがあったことは間違いないと思われます。何といってもイタリアは、終生彼にとっては、憧れの国なのです。だが、病院で再会したミスリヴェチェクは、病気と治療の影響で鼻はもげて、その顔は直視に堪えないものとなっていました。憧れの国で活躍している人と会ってさまざまなアドバイスをもらいたいのは山々なのですが、病気が伝染するのではないかとヴォルフガングは心配で仕方ありません。手紙から、その臆病な様子が手に取るように分かります。」
モーツァルト・バー「キール」
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