『モーツァルト 父の夢、子の夢』(6)父親レオポルトの故郷、アウクスブルク
ミュンヘンで選帝侯から「空席がない」と就職を断られたモーツァルトは、アウクスブルクに赴き、父レオポルトの若い頃の学友であった当市の市長と面会したが、その息子とは、モーツァルトがイタリアでもらった十字勲章のことで、いささか「不愉快な会話」を経験することになる。事の成り行きは、書簡集に詳しいが、この不快な出来事を忘れさせてくれるような出会いが、アウクスブルクには待っていた。それは、従妹ベーズレとの出会いである。父レオポルトは、この弟の娘のことをいささか軽率な行為をする娘であると、息子に注意を与えたが、モーツァルトには、この娘の気安さがとても心地よかった。冗談が大好きなモーツァルトは、軽妙な会話を大いに楽しみ、その後この娘と「糞尿譚」を含む際どい手紙のやり取りまでも始めるのだ。父レオポルトはそんな二人をどんな思いで見ていたのだろうか。そもそもレオポルトは、故郷アウクスブルクに複雑な感情を抱いていたと思われる。「レオポルトは、もともと製本業を営む職人の家の長男として生まれ、本来は職人として家計を支える役目を担うはずでした。とことが、頭脳明晰で学業もずば抜けていたレオポルトは、職人の道ではなく、大学を出て当時のエリートである僧侶になるよう周囲の者から勧められたわけです。僧侶になって故郷に錦を飾ることは、まさに立身出世のあかしです。しかし、母親だけはどうしてもこの計画に対して、首を縦に振ろうとはしませんでした。彼女にすると、夫を早くに失くしたこともあり、苦しい家計を長男に担ってもらうのは、当然のことであり、何としても必要なことでした。貴重な稼ぎ手を取られるなど、もってのほか、考えられないことです。息子の大学進学話を契機に、母親と長男の間に大きな亀裂が入ります。事の真相は分かりませんが、その後レオポルトはアウクスブルクを去り、ザルツブルクの大学に進学していますから、家庭内で何らかの結論が出たことは間違いありません。しかし母親の態度にその後の一切の変化はなかったことから判断すると、レオポルトが逃げるようにアウクスブルクを出て行った可能性は十分にあります。母親からすると一種の勘当です。レオポルトはそのことについては、その後も一切触れようとしません。」故郷を捨て、家族を捨てたレオポルトにとって、唯一話の出来るのは、弟のフランツ・アロイスだけだったようだ。当然、その娘のことは気になっていたことだろう。
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






